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第10回ヴェネツィア・建築ビエンナーレ・日本パヴィリオン「藤森建築と路上観察──誰も知らない日本の建築と都市」展|阿部真弓 2006年10月11日

「このぐらぐらする建物も、一度入ってしまえば、良いね」

ちょうど1週間前の豪雨のせいで、ヴェネツィアの水位はかなり上昇していたらしく、着いてすぐ、足早に乗り込んだヴァポレットからも、あちこちの岸に乗り上げて打ち返す波が、アクアアルタが眼に入る。どこより観光絵葉書的な風景を、期待されているヴェドウータを、どこまでも裏切らない街であって、水の色は、時節によって光によって、気まぐれである。混み合う舟の中で聞こえてくる声は、方言で響いている話の切れはしで、それが、そこで過ぎた時間のことを言っていた。「美術館、カジノ、外国人。その前は魚を釣って食べていた!」。ヴェネツィア・ビエンナーレは、展覧会ではあるが、巨大化しており、開かれている。美術、建築、映画が、期限付きで手にするこの領土は、2003年の美術ビエンナーレに踊っていた、フランチェスコ・ボナミの言葉を借りれば、従順な「観客の独裁」によって散策される。会場に定住型パヴィリオンを持たない国々の展示は町中に散逸するということにもなって、たとえば3年前にはユネスコのパラッツオがボスニアのパヴィリオンを収めていたというように、会場と街とは相互浸透している。それゆえ、どこから始めればよいのか、しばし惑いもするので、まずはジャルディーニ会場の奥にあるイタリア館のほうをなんとなく目指すということになって、そのために庭園のほうから入ると、人もまばらなところに大きな粒の砂利を踏みしめると、音がたつ。イタリアン・パヴィリオンへと前進してゆくと、いつもは真白のファサードが、迷彩的装飾とでもいうのか高速道路の航空写真印刷で覆われていた。ここと旧造船所会場のコルデリーエ館にかかっているのが「都市──建築と社会」展であった。

venice

左上から右下へ
■竹のドームからの会場風景/日本館/ジャルディーニ会場
■イタリア館正面ファサード/ジャルディーニ会場
■「都市──建築と社会」展/アメリカ・テキサス・
オースティン大学による展示/イタリア館/ジャルディーニ会場
■アメリカ館正面/「After The Flood」展/ジャルディーニ会場
■「都市──建築と社会」展/コルデリーエ館/アルセナーレ会場
■同展/レンゾ・ピアノによるジェノヴァ港湾のプロジェクト/
コルデリーエ館/アルセナーレ会場
■「メトロ-ポリス──ナポリとカンパーニャ州における鉄道の冒険」展/
アニッシュ・カプーア《ナポリ、モンテ・サンタンジェロ駅》プロジェクト/
アルティリエーレ館/アルセナーレ会場
■「Welcome to Paradise」展/ルクセンブルグ館/カステッロ

庭の中に場所を占めた万国を訪ねながら、日本館に入る。入るとすぐ、靴を脱ぐ。渡された袋に靴をしまうと、目の前には杉板の仕切りが建てられていて、腰を屈めて穴をくぐって、入る。毎年壁も床も張り替えるというが、入ってみると会場一面にゴザが敷かれていて、今回のビエンナーレには珍しく工作の跡がある、というのは、真白のままの会場中央に竹のドーム型建造物が作られていた。そうして一瞬、4年前の「漢字と建築」展の町家風の室内、そこに自然光を取り入れて陰影のつくられた、卍型の通路が眼に浮かぶ。ドームのなかに入ると小さなスクリーンがあって、十人ほどの若者が地べたに座って、時々驚きの混じったような歓喜の声を上げながら、スライド上映を鑑賞している。座り込んでスライドを一回り見終えると、竹の小屋を出て、ぐるりと回って建築作品のパネル写真を見る。そうしてたどりついた奥のモニターでは、英語字幕付の映像が流れていて、藤森照信氏、赤瀬川原平氏、松田哲夫氏がくつろいでしゃべっており、「このぐらぐらする建物も、一度入ってしまえば、良いね」と言って、頷き合っている。3人は、昼寝をしよう、と徐に、ごろりとなる。「入っちゃうと安心するよね」。ごろり、となる感じは、夏の信州のものであり、場面が変わって、藤森教授が1年に2、3件だけ友達のために森の中の木の上に建てる予定の家について語りながら、「夏の昼寝に良い」のだ、という台詞も口にされるので、季節は夏で、大体の用途は昼寝であるということがわかる。

ということは、猫の家に近い。ヴェネツィアに場所を移した路上観察のテーマのひとつは「猫によって愛された場所」といって、木の上でつぶれたように眠る猫のスナップが幾つか映し出され、続いて5軒くらいの「猫の家」が発見されていた。ゴザの上に設置された竹の構造物のある会場光景が、山小屋の畳の上に長らく置いてあった、藁でできた猫のねぐらにあまりにもよく似ていたということもあってか、そこにはなにかしら猫的なものが感じられた。もしそう言うのならば、近代建築からの、これは「猫的」避暑ではないか。壁には「シラク大統領をお招きできるようにと、細川護煕氏が注文した茶室建築」の写真のなか、粋な土色をした建物の窓に、殿の穏やかな面持ちが浮かんでいる。だが、このような夏の午後の昼寝や「城」でのもてなしといった、束の間でなく、世の大半の現在時のための、あらゆる類いのテロリスムに対して安全が備えられる建築、都市の「非常意識」に応えるもので、可能な限りZiplock的な建造物、というのはアメリカ館を中心としてテーマ展や雑誌特集に共通して見られたテーマは「ハリケーン・カテリーナ以後」であるので、そこで展示されていた、たとえば避難用具と、錆びているか、ひょっとしたら穴のあいていそうな路上の「じょうろ」とが対照的であったことは、言うまでもない。そうしてここで仮にも無意識と呼ばれ、集められているオブジェ・トルヴェのひとつひとつは、道端という自然であり、それは同時に、規模を問わぬ自発的建築であるが、その建築そのものの無意識のほうは、しばしば水との関係において垣間見えるかのようにも思われた。

反都市計画的なものに見えた、というのが、この展示を見た人から耳にしたなかで最も簡潔な感想であった。この展示はもともと「藤森建築と路上観察──建築のシュールレアリスムと都市の無意識」と銘打たれている、とも聞いていた。ブルトンでさえ、接続詞で『シュルレアリスム〈と〉絵画』とを結んでいたということに思い至るのも、「都市の無意識」といった語を歴史的にどう説明するのか、という疑問が投げかけられることも当然であろう。とはいえ、路上観察学の無意識という問題、あるいは友愛に基づいたその営みが20世紀西欧の前衛芸術との間に有するシンパティアの諸相について、たとえば洗面台に残る水滴の生態の違いに現われるような、日本の「家の無意識」を西欧のそれと比較して論じることなく、さらに「ぐらぐら」といったオノマトペをも翻訳することなくして、ただそれだけを理論化するという試みはありえないのではないか。というより、それを無味とすることであるかもしれない。木の上に、人は頭を休めに登るのであり、「学問と逸楽との友である、猫たちは」といえば、そこでも「巨大なスフィンクスの、果てもない夢に眠り入るかと見える姿さながら」に眠っている。そうして夢想される、歴史という路上にて築かれるものこそ、城の像であるのだろう。と、黒く塗られた引き戸を開け竹の薫りを後に階段を降りて、砂利のある坂のほうへ出た。


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