SITE ZERO Review | サイトゼロ レヴュー

親密さの2形態──「アルド・ロッシのために」「画家ベルニーニ」両展|東辻賢治郎 2008年01月28日

昨年末に訪れていたローマで、表題の2展覧会を見る機会があった。いずれも扱われている芸術家の業績の全体からいえば、余白とはいえないまでもあくまでも副次的な部分に重心をおいたものでありながら、想像以上にそれぞれ印象深いものであったので、旅の覚え書きという体裁ながら報告させていただく。両展とも立体を主たる──あるいは公的な──活動分野としていた芸術家の、平面との関わりが扱われている展覧会である。

bernini-rossi

上:「画家ベルニーニ」展パンフレット
下:「アルド・ロッシのために」展告知
(筆者撮影)

「アルド・ロッシのために──10年を経て」と題されていたのは、昨年に没後10年を数えた建築家アルド・ロッシのドローイングと模型の展示である。展示されているのはDARC(イタリア文化財・文化活動省の現代建築・美術部門)とMAXXI(イタリア国立21世紀美術館、現在ザハ・ハディドの設計による新館がローマに建設中である)のコレクションから、1964年から1997年まで、つまり期間でいえば彼が実作に関わっていたほとんどの期間のものである。とはいえ、展示空間自体はきわめて簡素な、規模の小さなもので、内容もドローイングが数十点、模型が十点ほどであったと記憶する。建築家の仕事の展示として、それぞれのプロジェクトが理解されるに十分な情報が与えられる構成というよりは、比較的大判の作品化されたドローイングが固有のコンテクストから切り出されて並べられているという印象で、それらと対応しているのはどうかも俄には判断しがたい木製の模型がところどころに置かれていた。

ドローイング、と書いたが、線、そして色面の多いロッシの表現は、図面であると同時にコンセプトドローイングであり、時には同時に個人的な〈落書き〉としか思えないものも併存するもので、建築家の思考(試行)の軌跡としては自由な印象を与える。建築の形態を具体的に扱ったものにしても、たとえばアルヴァロ・シザのようにドローイングに残る手の軌跡を空間へと昇華させることへのある種フェティッシュ的な執着は感じられない。こうした印象は作品集等を通じてロッシの筆致に触れているわれわれの想像を裏切るものではなかった。しかしコピーされた図面の切片、貼り付けられた異種の紙、夥しい線、さらに水彩による彩色が執拗に重ねられたその紙面は、ドローイングというよりはむしろコラージュ作品であって、定規で描かれた図面と、手の軌跡と、コーヒーポットや犬の形などが互いに逸脱し続けるものというより、それらすべてが重なりあうものであった。色面と黒々とした描線が嬉々として折り重なる様が、観る者のうちに、子供のような、という感想をもたらすことは自然なことであるように思われた。その脆く重ねられた紙のマチエールは少なくとも複製を通じては知ることができなかったものであり、手の生々しさはきれいに払拭されているにも関わらず、日光にさらされた直後のような乾いた暖かみが残っているように感じられた。

展示物は上述の機関がローマに保有するアーカイヴからのみ選ばれたものであって、少なくとも今回の展示がレトロスペクティヴとして企画されたものではないことは明白である。後日知ったところによれば、このコレクション自体は2001年、つまりロッシの没後にDARCが得たもので、ロッシが最期までミラノで手元に置いていたものであったようだ。この「アルド・ロッシ個人アーカイヴ」の収蔵品の全貌を紹介する展覧会がすでに2004年に開かれ、目録が編まれている★1。そもそも、ローマはロッシの業績のうえでも人生のうえでも特別の舞台ではなかったはずで、街角でこの展覧会の告知(というより会場そのものを示す掲示であったのだが)を見つけたときには、ローマでロッシの名を目にすることに若干の奇妙なものを感じないわけではなかったが、そのような事情で展示品はミラノに由来するものであるらしい。「アルド・ロッシのために」、そして「10年を経て」という慎ましい展覧会の題目もこうしたある種の遠さに向けられたものだという一旅行者の理解は、果たして正しいものだったろうか。今回の展示には、フリーハンドの描線が目立つドローイングなどのロッシの個人的な色彩が豊かな、いわば作品性のあるものに加えて、標準的な図面の形式をとったものも含まれていたが、そのいずれも不思議とスケール感や実務的コンテクストから離脱した頼りなさを宿していた。こうした印象は、建築家がとりわけそれらを最期まで手元に置いていたこととも関係があるのではないだろうかとも思われた。その頼りなさの印象は、用に供することとも、作品化されることとも異なる作家と所産の親しい関係の名残であったのかもしれない。

帰り際に管理人らしい人物を探し当てて、暗い物置のような場所に積まれていたカタログを受けとってみると、それは図版のカタログというよりは小さなポスターの束のようなものであって、展覧会の規模に似つかわしくないほどに美しいものだった。大延ばしにされて切り取られたロッシのドローイングの裏面に、よく知られた名から挙げれば安藤忠雄、カルロ・アイモニーノ、ピーター・アイゼンマン、ラファエル・モネオ、パオロ・ポルトゲージ、アルヴァロ・シザ、ダニエレ・ヴィターレといった面々、あるいはロッシのスタジオで協働した少なからぬ建築家が寄せた証言(カタログには「友の証言testimonianze degli amici」とある)を認めるに至って、やはりこの展示は静かで、親密なイヴェントであったのだとの思いを強くし、それはなぜかいかにもこの建築家にふさわしいように思われた。

「画家ベルニーニ」と題された展覧会は、建築と彫刻を通じてよく知られるジャン・ロレンツォ・ベルニーニの画業に焦点をあてたもので、この〈画家〉がボッロミーニとともに建設に携わったバルベリーニ宮で開催されている。ベルニーニの仕事の全体にとって絵画があくまで副次的ものであることは知られているが、はじめて彼の真筆と認められているその絵画「すべて」が一同に会した今回の展覧会は、彫刻・建築の大家の知られざる一面、というありきたりなもの珍しさと無関係にひじょうに興味をそそられ、そして幻惑させられるものだった。なお今回新たに行なわれた、いくつかの作品に関する既説を覆すアトリビューションについては、その根拠は史料に基づくものではなく様式的な分析やベルニーニの特徴の解釈に拠るものであって、その意味で野心的な試みであるとする論評もあるが、この点に関する議論はほかに譲りたい★2。ベルニーニの真筆とされたもの16点、さらに彫刻1点、ドローイング10点とベルニーニ以外の画家の作品を含めて全部で30点あまりからなる小規模な展覧会である。

ベルニーニの絵画は依頼を受けた仕事ではなく、余暇に自身の楽しみとして嗜んだもので、したがって自由で、私的で、親密なものであるということはよく言われる。しかしながらけっして多くはないカンヴァスの並びを見ていると、そうした「余技」とか趣味的な慰みの残滓としてそれらを見ることへの甘い期待は見事に裏切られるのであって、しかも、それは「余技を越えた」力量がそこに認められるから、というわけでもない。なにしろ絵画として一応の「完成」を画家とわれわれが一致して認めうる、いわば「安心」して向き合うことのできる画布などほとんどないのである。その大部分を占めるのは、なによりも「顔」と、人間の相貌、とりわけそれを形づくる表面に向けられた執着の痕跡であるといって過言ではない。

7枚の油彩による「自画像」がある。そのうちの4枚は《自筆による自画像》、残りのうち2枚は単に《自画像》というタイトルを冠している。「自筆自画像」という呼称は、かつてはいずれも「自画像」とされてきたもののうちの3枚は実のところベルニーニ門下の画学生らが課題として描いたものだということがどうやら判明したため、それらと区別して呼ぶためのものである。展覧会場の初めの部屋におかれたその真筆の4枚の印象があまりに強い。それらは非常に似た構図をとり、物質的な対象としての顔の造形とマチエール、そしてごく僅かな表情の差異に揺るぎない注視が向けられている。そのやや横を向いた己の顔貌を見据える視線の透明さが忘れがたい。あたかも数十分の1秒の間の微細な表情の変化を追った連続写真のようにも見えるその4枚が、じつのところ数十年の長きにわたる時間軸の上に散在しているという事実が、むしろあまりに奇妙で、おもわず髭や髪の変化などを探して視線が彷徨う。そして、残りの「自画像」3枚は、自らの顔を、弟子らにほとんど自画像のように描かせたものだという。自らによるあまりに似通った複数の「自画像」と、真筆と誤解さえされてきた異なる手に描かせた「自画像」が隣り合っておかれ、すべてのベルニーニの視線が観る者に絡まり続ける空間は、4、50分もあれば一通りみられる展覧会の規模とは裏腹に予想以上の体力を必要とするものであったと告白しておこう。

思えば、没後十年、と題しているうえに作品を集める手間もかからないはずのロッシの展覧会が、その年の暮れも迫ってからようやく開かれていたのは、いずれも建築家や批評家として多忙を極めているであろう25名を数える「友」たちの証言を集め、訳し、編集することに費やされた時間の結果であったのかもしれない。そう思えばこの展覧会がまさしくロッシのために編まれたものであったという得心がいく。これは「たまたま建築家であった詩人」に時間を経て応える複数の声を編むための機会であったのだろう。

やや日が経って、触れようのない場に去った「友」を語るということ、そしてそのことのみが互いの言葉を同じ場に集わせるという、来訪者もほとんどない展覧会の近傍で静かに行なわれた編集作業がもたらした出来事への偶然の出会いと、素朴な親しさとは無縁のところで、己の顔をほとんど他なるものであるかのように捉え、あるいは他人にまで「自らの顔」を捉えさせようとする過程が残した一群の「自画像」がようやく互いを見つめているという奇妙さの感触をともに記憶のうちに確かめようとしたとき、それらがなぜか滑稽で真正な「親密さ」の2つの形態であったように思い返そうとしていることに気がついた。



会場・会期:
・「アルド・ロッシのために──10年を経て」(per Aldo Rossi, dieci anni dopo)
Accademia Nazionale di San Luca, Piazza dell’Accademia di San Luca 77, Roma
2007年12月19日─2008年1月25日
・「画家ベルニーニ」(Bernini pittore)
Palazzo Barberini, Roma
2007年10月19日─2008年1月20日




★1──展覧会、目録ともに未見ながら記しておく。
展覧会:「ALDO ROSSI. L' archivio personale. Disegni e progetti dalla collezione del MAXXI architettura」2004年7月1日—10月3日、MAXXI, Roma
目録:Aldo Rossi. L' archivio personale. Disegni e progetti della collezione del MAXXi architettura: inventario, a cura di Erilde Terenzoni, ed. MAXXI architettura, Roma, 2004.
★2──『レプッブリカ』紙web版の展評がこの点に触れている。http://www.repubblica.it/2007/10/sezioni/arte/recensioni/bernini-pittore/bernini-pittore/bernini-pittore.html



東辻賢治郎 Kenjiro Totsuji
1978年生。建築史研究/制作活動。東京大学大学院博士課程・スイス連邦工科大学ローザンヌ校博士課程在籍。論文=「建築理論における類型概念について」など。訳稿=ヘンリー・スミス「村としての東京」(東京大学出版会『シリーズ都市・建築・歴史6』所収)。作品=《Open Space》(東京大学病院中央診療棟壁面レリーフ)。


ページの先頭へ