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レオパルディへのふたつの経路──ジャコモ・レオパルディ『カンティ』(脇功+柱本元彦訳、名古屋大学出版会、2005)|鯖江秀樹 2007年05月10日

19世紀初頭を生きたイタリアの詩人、ジャコモ・レオパルディ(1798─1837)は、深いニヒリズムをたたえたアフォリズムでその名を知られる。たとえば日本でも、夏目漱石や芥川龍之介を介して、その箴言に魅せられた愛好者も多い。玄人好みともいわれるこの詩人の受容については、イタリアに目を向けても、同国の思想家たちからたえず敬愛されてやまないという経緯がある。そのため、彼はドイツ哲学におけるヘルダーリンにもしばしば譬えられてきた。

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ジャコモ・レオパルディ『カンティ』と
レオパルディの肖像
(Gaetano Guadagniniによる銅版画、1830)

この詩と思考との照応を辿るのに不可欠ともいうべき書が、今回はじめて完全なかたちで原典翻訳がなされた『カンティ』である。この訳書には、詩作品(「カンティ」)に加えて、散文集『オペレッテ・モラーレ』も併せて収録されていることも註記しておかねばならない。愛国主義的な《イタリアに》や、自然との観想から生まれた《無限》や《月に寄す》、「死」と静かに向き合った《えにしだ》といった詩とともに、レオパルディが古代ギリシアにならって編んだ対話篇をあますことなく楽しむことができる。これらの散文では、対話者として、古代の哲学者たちや、死と流行、大地と月、自然と人間が登場し、風刺や皮肉を交えつつ「生きることの不幸」を語り合う。真理を詩のことばで練り上げるこのスタイルにおいて、「詩作しつつ思索する(poetando filosofare)」詩人の姿が浮かび上がってくる。

レオパルディの詩句は、気の利いたエピグラムや厭世的世界観の警句として引用しやすい側面をもつ。ダンテ、マキャヴェッリ、ブルーノなどとならんで、使用され、利用される運命にあるのはまちがいないだろう。これまでも、後続の哲学者たちは、詩人の遺した言葉から数多くの魅力的な思考を紡ぎ出してきた。レオパルディをめぐる「イタリア近現代の哲学小史」の一端を、邦訳版の『カンティ』を片手に、ここで辿り直しておきたい。小史とはいえ、けっして単純な道のりではないが、20世紀だけに限定してみても、おおきく2つの経路があるように思われる。

まず一方には、レオパルディを「活動の人(uomo dell'azione)」に見立てたうえで、ジョヴァンニ・ジェンティーレ(1875─1944)とアントニオ・ネグリ(1933─)の切り拓いた道がある。他方には、マッシモ・カッチャーリ(1944─)が、カルロ・ミケルシュテッテル(1877─1910)を導き手として分け入った「得心の感覚(sentire persuaso)」とでもいうべき小道がある。

「行動的観念論(attualismo)」と呼ばれるジェンティーレの哲学によれば、考えるという行為のダイナミズムこそが、生を形づくる。芸術もまた、あらゆるものを止揚していく思考する主体の内部で完遂される──「レオパルディの思考は、自己に対する、心を揺さぶる絶え間ない省察である」、「彼の哲学は人間精神の奥底、したがって万人の魂の奥深くにある」。「活動」とは、現実を超克していく「超越論的自我の思考活動」にほかならない。ジェンティーレと同じく、この詩人に並々ならぬ関心を注いだネグリの場合、この運動は「転覆」の契機にこそ秘められている。彼は、青年時代に「レオパルディの詩に、詩的な希望のポテンシャルを直観した」と言う。だが、この「生に対する新たな希望」あるいは「生きられた経験(Erlebnis)」を、二重に奪還せねばならない。その仮想敵は、まずなによりも、1980年代にイタリアの哲学界を席巻した、ハイデガー的ニヒリズム、弱い思想、アカデミズムの懐疑的風潮であり、他方、ブルーノの火刑やガリレオへの有罪判決に象徴される、16─17世紀以降のイタリアの文化的貧困であるだろう。ここでレオパルディは、「資本主義による社会の抑圧」を予告し、現実の「対立や拮抗、裂け目」を暴露する革命家の役割を引き受けているのだ。

両者はともに、レオパルディを──精神においてであれ政治においてであれ──「活動」へとわたしたちを駆り立てる詩人=哲学者だとする点で共通している。詩人が纏った死と倦怠というヴェールを剥ぎ取ることで、本来あるべき生や現実の姿をそこに見出そうという戦法が、彼らの進むべき道を切り拓いたと言い換えることもできるだろう。逆にカッチャーリ─ミケルシュテッテルは、あたかも静かな森の小径に分け入るかのようにして、詩人が到達した「確信」へと肉迫することになる。カッチャーリによると、それは、「世界は《悪の共同体(koinonia kakon)》であり、自然の摂理にしたがって、善良なる者たちは根絶され、追放されてしまう」という確信である。

この「善良なる者たち」とは、「真の哲学者」にほかならない。とはいえ「事物のありのまま」を語る彼の立ち位置は本来的に逆説をはらむと、カッチャーリは力説する。仮に哲学者が明快に、生きるための真正かつ有用な術(arte vera e utile)を説明するとしよう。しかし世界を支配しているのが悪である以上、この術が、悪を「名指しで示す」ことを、世界が許すはずはないのである。もうひとつ印象的な例を挙げておこう。その世界に属する善良な者が、「取り返しもつかないほど破壊されたのは道徳だ」と告発しようとも、それ自体道徳的なこの告発は、道徳の堕落した世界にとってすでに不釣合いなのだ。このアポリアを耐え抜くために(けっして克服することはできないのだから)、真の哲学者は、世界=共同体から距離をとり、その境界を見定めるべく、「純粋な過去」を再認する。だからこそレオパルディは、「過ぎ去ったもの」を悲痛な詩で謳うのだ。 ここに見られるアナクロニックな思考や、近年集中的に議論されている「境界」の問題は、カッチャーリならではのものであろう。だがここで注意しておきたいのは、レオパルディに対するこの卓抜な読みは、彼ひとりで練り上げたわけではない、という点である。それを支えるのはむしろ、ミケルシュテッテルの説く「得心(persuazione)」という概念だと思われる。

「得心」とは、何かに信を置くこと、つまり確信や信頼した状態を意味する。アルカイック期のギリシアでは、魅了するのであれ、欺くのであれ、詩には人を「確信した状態」へと導く力があると考えられた。プラトン以降、この美的な力が失われたとき、「修辞」が世界を支配し、「世俗的退廃」が始まった──この筋書きは、『得心と修辞』を書き終えた後、みずから命を絶った哲学者ミケルシュテッテルによって描き出された。つまりカッチャーリは、ミケルシュテッテルに案内役を託すことで、レオパルディという深い森の全貌を、わたしたちに垣間見せてくれたといってもけっして言い過ぎではないだろう。

ここまで辿り直してきた2つの径路は、レオパルディをめぐるイタリア近現代哲学史の小さな一幕にすぎない。だが、カッチャーリが示したように、過去の哲学者たちの辿った軌跡を参照しつつ、『カンティ』や『オペレッテ・モラーレ』の世界をさまよい歩くという実践法は、わたしたちにとっても示唆的ではないだろうか。あくまで新しい道を切り拓こうとするのか。何重にも折り重なった過去の声を導き手として、思いもよらない小径に分け入るか。わたしたちにとってこの冒険はまだ始まったばかりである。



主要参考文献
• Cacciari, Massimo. Magis Amicus Leopardi. Due saggi, Caserta, Salatta dell'Uva, 2005(マッシモ・カッチャーリ『親愛なるレオパルディ』[2005]).
• Gentile, Giovanni. "Le Operette morali", 1916, e "Introduzione a Leopardi", 1927, in Manzoni e Leopardi (Opere Complete XXIV), Firenze, Sansoni, 1960(ジョヴァンニ・ジェンティーレ「オペレッテ・モラーレ」[1916]、「レオパルディ概説」[1927]、全集『マンゾーニとレオパルディ』1960).
• Michelstaedter, Carlo. La persuasione e la retorica, 1913, Milano, Adelphi, 1995(カルロ・ミケルシュテッテル『得心と修辞』[初版1913]1995).
• Negri, Antonio. Lenta ginestra. Saggio su Leopardi, Milano, Mimesis, 2001(アントニオ・ネグリ『しなやかなえにしだ──レオパルディ論』[第2版2001]).



鯖江秀樹 Hideki Sabae
1977年生。美学、イタリア近代文化史。日本学術振興会特別研究員(京都大学大学院人間・環境学研究科在籍)。イタリア政府給費生としてローマ第二大学文学部に留学(2005)。イタリア・ファシズム期の雑誌に掲載された芸術・思想・建築批評をてがかりに、政治と芸術との関係性について考究する。
論文=「グラムシの『美学』──剥奪された歴史的文脈をもとに」(『美学』、2005)など。訳稿=「マリオ・ペルニオーラ『芸術と残余』」(『RATIO』、講談社、2007)など。


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