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ティモシー・クラーク『マルティン・ハイデガー』(高田珠樹訳、青土社、2006)|宮崎裕助 2006年07月26日

これまでハイデガーの入門書・概説書といえば、『存在と時間』の解説に大半の頁を割く、というものであることがほとんどであった。『存在と時間』に至る初期ハイデガーの思想形成、そして『存在と時間』の解説が、全体の半分、いや2/3以上の紙数を占め、残りは、たとえばニヒリズムの超克をめぐるニーチェとの対決、最後にスキャンダラスなエピソードとして、ハイデガーのナチズム関与の問題が扱われる、というのが標準的なパターンになるだろうか。

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ティモシー・クラーク
『マルティン・ハイデガー』

今回「ラウトリッジ批評的思想家」シリーズから訳出された本書は、入門書の体裁にもかかわらず、『存在と時間』にとどまりがちな従来の解説書とは大きく異なる、新鮮なハイデガー像の提示に成功している。というのはつまりこうだ。「文学研究や人文科学に大きな影響を及ぼした主要な批評的思想家」(333頁)を導入するという本シリーズの趣旨に忠実であることによって、本書は、ハイデガーの思想を狭義の哲学研究の枠組みから説き起こすというやり方を採用しなかった。むしろ表向きは「文学を専攻する学生」(24頁)のために書かれることで、『存在と時間』での基礎存在論の企図が放棄された以後の──いわゆる「転回(ケーレ)」以後の──後期の言語論や芸術作品論、ヘルダーリン釈義をはじめとした詩作論、あるいはその他断片的テクストにアプローチしうる、包括的で一貫した視座を提示することができたのである。これはしかし、たんに文学や芸術寄りの特殊なハイデガー解釈だということではない。本書の利点は、ハイデガーによる「ゲシヒテとしての存在の歴史」の解明という論点を一貫させることにより、いわゆる「転回」を強調せず、『存在と時間』での術語系や問題設定とも充分両立するような仕方で、より包括的なハイデガー像を描き出しているということだ。要するに、このようなアプローチによって、後期思想における、世界を開示する言語の根本的な働きへの洞察、「芸術の死」以後の詩作や文学の可能性への追究を、ハイデガーの中心問題として位置づけることが可能になるのである。

結果、本書は、重要であることが明白な問い、にもかかわらずこれまでのハイデガー論においていまだ充分に取り組まれてこなかった問いに対しても、一定の回答を与えるに至っている。すなわち「なぜハイデガーがヘルダーリンを重視したか」「ハイデガーはどのようにテクストを読解するのか」「芸術の死後、現代芸術(文学ないし詩作)は可能か」といった問いである。通常、こうした議論を入門書の枠内で行なうのはほとんど不可能なように思われる。しかし著者クラークは、ハイデガーの難解な文章に振り回されることもその特殊な言葉遣いに溺れることもなく、絶妙な距離感をもってハイデガーのテクストに切り込むのであり(シェイクスピアや人工知能等の例を出してくるクラークのざっくばらんな筆致は印象的だ)、かくして本書は、その困難な企図を見事に達成している──この種の入門書につきまとう単純化の代償をある程度引き換えとしているにせよ──といってよい。実際、本書は、以上のような視点からハイデガーを論じる際に、20世紀文学理論の展開(一方でガダマーやリクールといった解釈学、他方で、ブランショ、フーコー、デリダといったフランス現代思想)との具体的な関連をつねに考慮しており、そこから現代思想に与えたハイデガーのインパクトがあざやかに浮かび上がってくるのである。

最後に訳業について特筆しておきたい。訳文は非常に読みやすく流麗であり、後期ハイデガーの(しばしば異様な)用語が、吟味された日本語に移植されているという点で、模範的な翻訳を読者に示してくれる。また、クラークは数多くのハイデガーの英訳を縦横無尽に活用しているが、それに対応するドイツ語原文・邦訳の参照箇所が丁寧に調査されており、この点でも有益である。ただ、「ハイデガー・イン・イングリッシュ」と題された訳者あとがきについて一言しておけば、クラークの大胆なアプローチがあたかも英語圏のハイデガー受容の歪みを表わすかのような論調になっているのは残念だ(しばしばクラークが行なうドレイファスへの参照は、訳者の考えるような単純な依拠ではなく、ドレイファスを経由することで、ハイデガーの詩論を明快に読み抜く忍耐をもたない「頑固な分析系の哲学者」(223頁)たちをも説得するための工夫とみなすべきなのだ)。そうではなく、本書は、ハイデガーの英語への翻訳という試練によって初めて可能になった読解の経験、つまり、まったく一枚岩どころではない「ハイデガー・イン・イングリッシュ」の最前線で勝ち取られた、貴重な格闘の成果として読まれなければならないのである。


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