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「ゼロ 1950─60年代の国際的前衛」展(サン=テティエンヌ近代美術館)|近藤學 2007年04月02日

グループ・ゼロは1957年、デュッセルドルフを拠点としていた2人の美術家ハインツ・マックとオットー・ピーネによって創始された集団である。この2人にまもなくギュンター・ユッカーが加わった3名が中核メンバー[fig.01]だが、何らかの形でこの集団に参加した顔ぶれは、イヴ・クラインやルーチョ・フォンターナ、ジャン・ティンゲリ、ダニエル・スポエリといった同世代ヨーロッパの主要美術家から、パリのベネズエラ人ヘスス・ラファエル・ソトら一連の「キネティック・アーティスト」たち、そして日本の具体美術協会までといったように、実に多彩であった。さらに、平面・立体にとどまらず、今日で言うインスタレーション、一連のパフォーマンス[fig.02]など、活動の様態や作品もヴァラエティに富んでいる。この不均質な集団を束ねていたのが、グループ名が端的に象徴している通り、すべてを一度ご破算にしてやり直そうという意志だった。第二次大戦からの復興が依然として急務であったこの時代、ラディカルな白紙還元というゼロの綱領は広く共有されたところであり、作風・思想・国籍などの違いを横断するこの集団の多様性は、こうした事態を具現化していると言えるだろう。したがってゼロを考えることは、戦後前衛美術をきわめて大きな視野から捉えることを意味する。フランス初の包括的回顧となる本展(デュッセルドルフから巡回)もまた、きわめて複雑で豊かなパノラマを呈示していた。

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「ゼロ 1950─60年代の国際的前衛」展
カタログ

とくに90年代以降、ゼロに関してはドイツを中心に次々と回顧展が開催されているが、その文脈における本展の特色として挙げるべきは、具体美術協会との関係を積極的に取り上げている点である。実を言えばゼロと具体とが直接交流を持ったのは、65年に、オランダのメンバーが中心となってアントワープで開催された重要なグループ展「NUL」一度だけである(今回の具体の作品選定と展示は一部この「NUL」再現にあてられていた)。しかし、しばしば等閑視されがちな具体をあえて焦点とすることにより、ゼロの多面性がいっそう明確に浮かび上がっていた。

こうした多面性を貫いて、ゼロにグループとしての統一性(きわめて緩やかなものではあったにせよ)を与えていたのが、上述したような白紙還元の意図であったわけだが、これは実作品においてはまず何よりも、終戦直後からヨーロッパ画壇を席巻していたアンフォルメルに代表される表現主義絵画の批判というかたちを取る(50年代末までにアンフォルメルはおおむね形骸化していた)。たとえば、生々しく残る筆触を通じて作者の感情や心理を無媒介的に表出する、というのがアンフォルメルの建前だが、これに対抗して、単一の色彩──多くは白──で塗り込められた均質な表面が多く制作される(クラインはもちろん、ペーテルス[fig.03]、スホーンホーフェン[fig.04]、マンゾーニ[fig.05]……)。ここには、作品を創造主体の意志の透明な実現と見なすアンフォルメル的思考を批判しようとする衝動がはたらいている。これこそがゼロの根本衝動であり、モノクローム以外にもさまざまな戦略を生み出した。作者と作品、手と画面を切り離し、作品に対するコントロールを放棄すること(離れたところからキャンヴァスに不確かな手つきで弓を射、そのランダムな結果を展示するユッカー、ロープにぶら下がって足で描く白髪一雄[fig.06]、絵具を滴らせるラジコンを支持体上で操縦する金山明[fig.07]、絵を蝋燭にかざして火に画面づくりを委ねるピーネ、さらに、芸術家に取って代わって独力でドローイングを描いてしまうジャン・ティンゲリの機械[fig.08]……)。さらに、こうして文字通り「白紙還元」された作品に、いわば主体の外部とも言うべき要素を呼び込もうとする試みが行われる。あらかじめ決定され、個人の趣味や意志とは関係なく存在する自律的構造やシステムの使用(フランソワ・モルレのグリッド[fig.09]、ヤン・ヘンデリクセ[fig.10]、ピエーロ・ドラーツィオ[fig.11]、エンリーコ・カステッラーニによる同一形態の機械的な反復[fig.12]、草間彌生の自己増殖する点……)。作品を通常の静止的・受動的状態から解き放って、それ自体の生命をもった存在のようなものに変えること(ユッカー[fig.13]、ティンゲリ[fig.14]、またポル・ビュリ[fig.15]によるモーターや電飾を使用した作品は、独自のリズムで一部または全体が運動し、漠然と何かの生き物を想起させる)。

こうしたゼロの批判作業は確かにきわめてラディカルではあったが、単なる否定ではなかった。その射程も狭義の美学の内部に限定されるものではない。機関誌などに発表されたマニフェストから明らかなように、彼らの目的は、究極的には新たな人間像、新たな世界像の呈示だったからである。ゼロの美術家たちは、自己という境界のうちに満ち足りるのではなく、根本的に開かれ、外部との交流にさらされた存在として人間を構想した。たとえばマック[fig.16]、クリスティアン・メゲールト[fig.17]、ウーリ・ポール[fig.18]らが頻用するガラス、アルミ、鏡など反射性の高い素材は、一方的に見られるだけでなく、見る者の姿を映し出し、さらにはしばしば変貌させるというその性質において、世界と人間との相互浸透的な関係を形象化したものと見ることができる。またピーネの《光のバレエ》と総称される作品群(1959─)[fig.19]らをはじめとするインスタレーションは、さらに一歩進んで、彼らの構想する人間が住まうべき新たな環境のモデルを(あくまで抽象的にではあれ)示唆しようという試みだった。ピーネ、マック、ユッカー3名のコラボレーションによって制作された《光空間》(1964)[fig.20]は、ほとんどSF的と呼びたくなるような幻視的時空を演出しながら、展示空間全体を作品化し、その内側へと観者を包摂することで、同じく内と外との境界の曖昧化、見る主体/見られる客体という関係の無化を実現する。ゼロによる新世界像は、理想化されたテクノロジー観と分かちがたく結びついた、まぎれもなくユートピア的なものだった。

ほぼ半世紀を経て、ゼロの試みがややナイーヴに見えるようになったことは否定できない。とりわけ、ピーネ、マックら主流派メンバーの言説・作品に現れたテクノロジー(しかも、今となっては相当に原始的な形態におけるそれ)への素朴な信奉は、彼らの謳う人間と世界の変革のヴィジョンを、いささか古くさく無力なものに見せている。とはいえ初めに触れた通り、50年代から60年代半ばにかけて、こうしたヴィジョンが、その素朴さや楽天性をも含めて、多くの美術家たちによって共有され、多種多様な実践を鼓吹していたこと、これは事実であり、本展の功績のひとつは、この歴史的事実を豊富な実例をもって具体的に呈示してみせた点に存している。そしてまた、こうして集められた多数の作品の中には、主流派を内部から批判するかのような鋭さやアイロニーを示している事例が散見されたことを付け加えておきたい。ひとりだけ挙げればヤン・ヘンデリクセ[fig.21]。彼は反復やグリッドといったゼロお馴染みの造形語彙を取り上げつつ、それらの社会的含意を露呈させる。彼の仕事は一見ごく「正統的」なゼロ作品に思えるのだが、よく見るとワインのコルク、ビール瓶ケースその他の日常的なオブジェをただ単に並列したり積み重ねたりしただけのものである。レディメイドを接ぎ木するというこの単純な操作によってヘンデリクセは、他のメンバーにおいてはともすれば純粋に芸術的・抽象的なものにとどまっていた反復・グリッドが、「後期」資本主義のもとでの世界──大量生産によって無限に増殖する商品に埋め尽くされた世界──と不気味な鏡像関係にあることを示しているのだ(そこに込められたアイロニーは、すぐ後に登場するウォーホルを想起させずにはおかない)。主流派ゼロがユートピアを夢想したとすれば、ヘンデリクセのヴィジョンはまさしくディストピアである。彼の作品を再発見させてくれたことひとつを取っても、本展は貴重な機会であった。同種の試みが今後も継続されていくことを祈念して締めくくりとしたい。


Zero: Internationale Künstler-Avantgarde der 50er/60er Jahre
museum kunst palast, Düsseldorf
2006年4月8日─6月9日

Zero: Avant-garde internationale des années 1950–1960
Musée d'Art Moderne, Saint-Etienne
2006年9月15日─2007年1月15日


図版キャプション/出典:
•[fig.01]ハインツ・マック、オットー・ピーネ、ギュンター・ユッカー、62年ブリュッセルにおけるグループ展で
出典=http://www.artnet.com/magazine/features/cone/cone8-6-1.asp
•[fig.02]デュッセルドルフにおける集団パフォーマンス(1961)
出典=http://www.artnet.de/magazine/reviews/haun/haun05-16-06_detail.asp?picnum=1
•[fig.03]ヘンク・ペーテルス《白い羽毛》(1962)
出典=http://www.sammlung.daimlerchrysler.com/contemporary/01_04_newzero/newzero_peeters_e.htm
•[fig.04]ヤン・スホーンホーフェン《白の小レリーフ》
出典=http://www.fondazionecalderara.it/eng/asp/ind_img.asp?dati=..\..\_img\quadri\thumbs42.jpg
•[fig.05]ピエーロ・マンゾーニ《無色》(1959)
出典=http://www.comune.milano.it/webcity/comunicati.nsf/d68aa3e55927f9f7c1256c4500573452/952a458e2f091d7dc1256faa00393752/$FILE/Arte_09.jpg
•[fig.06]制作中の白髪一雄
出典=http://perso.orange.fr/articide.com/gutai/galeries/shiraga/pages/shiraga_17.htm
•[fig.07]ラジコンを使って制作中の金山明 (1957)
出典=http://perso.orange.fr/articide.com/gutai/galeries/kanayama/pages/kanayama_7.htm
•[fig.08]ジャン・ティンゲリ《メタマティック No. 7》(1959)
出典=http://www.krefeld.de/Kommunen/krefeld/41KWM.nsf/0/27a0e929601282d4c1256dba00522c58/st2Body1/0.8A?OpenElement&FieldElemFormat=jpg
•[fig.09]ヤン・ヘンデリクセ《無題》(1961)
出典=http://www.artnet.com/Artists/LotDetailPage.aspx?lot_id=7CDE1717F1D386F9
•[fig.10]フランソワ・モルレ《グリッド=球》(1962)
出典=http://www.artnews.info/gallery.php?i=141&exi=2224
•[fig.11]ピエーロ・ドラーツィオ《真夜中》(1963)
出典=http://www.museion.it/img/dorazio.jpg
•[fig.12]エンリーコ・カステッラーニ《黒の表面》(1959)
出典=http://www.kettlesyard.co.uk/exhibitions/archive/castellani-k.html
•[fig.13]ギュンター・ユッカー《ニューヨーク・ダンサー I》
出典=http://www.artnet.com/magazine/features/cone/cone8-6-11.asp
•[fig.14]ティンゲリ《自分で作ってみましょう彫刻》(1961)
出典=http://www.sammlung.daimlerchrysler.com/contemporary/01_04_newzero/newzero_tinguely_e.htm
•[fig.15]ポル・ビュリ《句読点》シリーズ (1960)
出典=http://www.aeroplastics.net/paranormal/Pol_BURY_002-cropped.jpg
•[fig.16]ハインツ・マック《光ダイナモ》(1960)
出典=http://www.artnet.de/magazine/reviews/haun/haun05-16-06_detail.asp?picnum=10
•[fig.17]クリスティアン・メゲールト《ズーム》(1962/67)
出典=http://www.artnet.de/magazine/reviews/haun/haun05-16-06_detail.asp?picnum=3
•[fig.18]ウーリ・ポール
出典=http://www.uli-pohl.de/
•[fig.19]オットー・ピーネ《光のバレエ》シリーズ (1960)
http://www.orbit.zkm.de/?q=node/86
•[fig.20]オットー・ピーネ、ハインツ・マック、ギュンター・ユッカー《光空間》(1961)
http://www.artnet.de/magazine/reviews/haun/haun05-16-06_detail.asp?picnum=5
•[fig.21]ヤン・ヘンデリクセ《無題》(1960)
http://www.artnet.com/Artists/LotDetailPage.aspx?lot_id=820808C2B21DB8C2



近藤學 Gaku Kondo
1972年生。20世紀美術史専攻。


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