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Charles Jencks, The Iconic Building, New York: Rizzoli International Pub., 2005.(チャールズ・ジェンクス『アイコン的建築物』[未訳])|南後由和 2007年02月05日

音響などの内部機能、トルネードという自然災害と切り離せないロサンゼルスの場所性、ハリウッドの象徴として映画『七年目の浮気』でマリリン・モンローのスカートが捲れあがるシーンなどを連想させるというフランク・ゲーリーのウォルト・ディズニー・コンサートホール、ロケットやミサイルなど9.11以後の軍事化する都市・建築のあり様を彷彿させるというノーマン・フォスターのスイス・リ本社(本書のカヴァー写真参照)。著者である建築家・批評家のチャールズ・ジェンクス(1939─、アメリカ生)は、コンピュータ技術や構造技術の発達にともない、これら1990年代以降に世界各地で相次いでいるグローバル資本と結びついたスター建築家(starchitect)の設計による建築物を総称して、本書のタイトル通り「アイコン(イコン)的建築物」と呼ぶ。

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Charles Jencks,
The Iconic Building

まず、ジェンクスは、従来型のモニュメントの終焉や文化の商品化を説いたうえで、美術館やブランド・ショップなどが都市のランドマークとして君臨している現状を指摘する。かつて宗教や政治と結びついた教会や庁舎のような公共建築物が、共有された意味を内包した集合的表象であったのに対して、近年のマスメディアやコマーシャリズムの原理と分かちがたく結びついた美術館やブランド・ショップは、手っ取り早い名声と経済成長を要求する社会的勢力に駆動されているというのだ。後者は、自らの正当性をマスメディアを介しつつ自己言及的に担保せざるをえない。第二次世界大戦後しばらくは巨大集合住宅や空港が近代のアイコンであったのに対して、いまや「いかなるビルディング・タイプもアイコンになりえる」(40頁)時代になったという。

アイコン的建築物とは、相矛盾するイメージが圧縮された、人目をひく得体の知れない形態を持つ建築物を指す。シンボルとの違いが不明瞭など、アイコンという概念の定義には曖昧さが残るが、それはジェンクスが本書で繰り返し用いるキーワードである「謎めいたシニフィアン」とも言い換えられる。アイコン的建築物とは、たとえば、スイス・リ本社が形の類似性から「ガーキン」(ピクルス用のキュウリ)という愛称で呼ばれるような明瞭さを持つ一方で、冒頭に示したような隠れたメタファーをも携えている。つまり、単一の意味には還元されずに、複数のイメージを拡散的に喚起させる「開かれた作品」なのだ。このような隠れたメタファーを、本書ではマデロン・ヴリーゼンドープによるドローイングを掲載することによって「わかりやすく」視覚化している(ヴリーゼンドープは、OMAの共同設立者、レム・コールハースの妻、コールハースの著書『錯乱のニューヨーク』(1978)に収められた挿絵「現行犯」の作者としても知られていよう)。

ジェンクスは近年のアイコン的建築物は生産量の点で目を見張るものがあるとしながらも、その実践自体は長い歴史をもっているという。そこで、ピラミッドやロードス島の巨像など、アイコン(イコン)の歴史を簡単に振り返り、近年の潮流に直結する事例としては、1950年代以降――ル・コルビュジェによるロンシャンの教会や、その後のヨーン・ウッツォンによるシドニー・オペラハウスなど――の動向に注目している(ちなみにロンシャンの教会やシドニー・オペラハウスのメタファーのドローイングは前著『ポスト・モダニズムの建築言語』(1977)――ポストモダニズムへの転回を提唱したとして有名な書物――でも掲載されている)。そして、アイコンには鑑賞者の精神や感情に訴えかけるような宗教的側面、形/機能や内部/外部の関係を処理する科学的側面、コンピュータ上のアイコンのように複雑性を縮減する、わかりやすさという側面があるとしている。

本書は、ゲーリー、フォスターを含めた、ダニエル・リベスキンド、レム・コールハース、エンリック・ミラーレス、レンゾ・ピアノ、サンティアゴ・カラトラヴァ、ウィル・アルソップ、ザハ・ハディド、ピーター・アイゼンマンらによる近年のアイコン的建築物の、時にジェンクス自身によるインタヴューを交えながらの事例分析が大半を占める。

そのなかで、ジェンクスはアイコン的建築物が賛否両論、愛憎入り乱れた感情を引き起こす両義的なものであるとしながらも、あえて良いアイコン的建築物と悪いアイコン的建築物の違いをどう判断するのかという問いを提示している。たとえば、コールハースのCCTV(中国中央電視台)は、すでに約300本もの高層ビルが林立する北京の現状を鑑みて、既存の垂直型のタワーを提案しなかった点、しかも、その形が中国の伝統的なL字形アームの組物の構法、中国パズル、メビウスの帯などを彷彿させる点、さらにドーナツ型の空洞はテレビのスクリーンを思い浮かばせ、テレビ局の内部機能と外観のデザインが連関しているというアイコンの豊潤さを評価する。それに対して、ピアノによるローマのパルコ・デッラ・ムジカ(音楽公園)は、内部機能と関係のないネズミ、ブタの尻などを能記する、アイコン的建築物の失敗例として紹介している。

つまり、ジェンクスが言うアイコン的建築物の成功例は、ヴァナキュラー、伝統、機能要件、コマーシャリズムなどの問題と巧く折り合いをつけた、メタファーが豊かな空間を指している。そこでの問題関心には、混成言語やラディカルな折衷主義といった概念を提示し、建築におけるコミュニケーション方式やディスクールの問題に焦点を当てた『ポスト・モダニズムの建築言語』からの連続性を看取できる。また、本書の後半部では、近年のアイコン的建築物の成功例が、前著『複雑系の建築言語』(1997)にも見られたように、自然の言語を探求し、宇宙のコードを解読しようとするような、宇宙参加型建築の条件を備えているという。

しかしながら、厳しい言い方をすれば、ジェンクスの分析枠組みは70年代からさほど洗練されておらず、本書の切れ味は鋭いとは言えない。というのも、近年のアイコン的建築物をめぐる状況を建築言語の観点からのみ語ることは十分ではないように思われるからだ。むろん、特定の言葉に還元されないイメージであるアイコン的建築物の台頭は、建築批評の弱化とも関係しており、それを建築言語という観点から切り取ろうとするジェンクスの姿勢は、あまり言葉を語りたがらない最近の建築家への警鐘や挑発とも解することはできなくもないが。ただし、本書では90年代のアイコン的建築物の台頭が70年代および80年代とどのような連続性と差異をもっているかが明確にはされていない。それをポストモダニズムの文脈のなかで位置づけるならば、ジェンクス自身も関心を寄せている50年代以降の建築の潮流を、後期資本主義およびグローバル資本主義(新自由主義)、トランスナショナルな金融資本と文化の関係といった観点から再考する必要があるだろう。他方で、本書には新しい角度からの分析がいくつか披露されている。そのひとつに、マスメディアの作用の考察を補助線とした分析がある。

アイコン的建築物の社会的評価は、本書がコンコルド広場やエッフェル塔の象徴性や社会的受容の位相の変貌を事例として挙げているように、時代の変遷とともに反転しえる。それゆえ、近年のアイコン的建築物を取り巻く状況は、評価対象がマスメディアの注目度、集客力、経済効果という点に矮小化し、一過性のメディア・イヴェントとして消費されてしまうところに問題があるだろう。あたかも、コンペティションの話題性や竣工時における瞬発的な伝播力や知名度(publicity)が競われているかのようだ。

本書でジェンクスは、「アイコン的メディア戦争」と題した章を設け、WTC跡地のコンペティションをめぐるマスメディアの影響力や政治性に注目している。また、ゲーリーへのインタヴューのなかでは、ポストモダニズムへの転回と建築の伝播力の関係という点で、フィリップ・ジョンソンのAT&Tビル(1978)を重視している。というのも、AT&Tビルの模型を抱え、マントのようにコートを羽織ったジョンソンの写真が『TIME』誌(1979年1月8日号)の表紙を飾ったのだ。かつて磯崎新もこの件に言及し、ジョンソンを「現代のトリック・スター」と称していた(『a+u』1979年6月臨時増刊号)。本書のタイトルである「アイコン的建築物」という名称には、建築物がアイコンとなっていると同時に、商標としてのスター建築家それ自体もアイコンと化しているという意味が込められている。実際、クライアントのなかには、スター建築家固有の「スタイル」の再生産を求める者がいよう。マックス・ヴェーバーの議論を踏まえたジョージ・リッツァーの言葉を用いれば、脱魔術化後の再魔術化と言ってもよい。

では、なぜ、スター建築家を召喚しようとする欲望を禁じえないのか。あるいは、そのような欲望を抱く人々とは、どのような階層によって占められているのか。この問いには、たとえば本書の序で触れられている「ビルバオ効果」を掘り下げて追求することでひとつの解を提示できるのではないだろうか。ゲーリーのビルバオ・グッゲンハイム美術館は、スペインの地方都市を一躍、世界的な観光・集客都市にし、美術館それ自体が鑑賞物となるランドマークとしての役割を果たしている。90年代以降のアイコン的建築物の台頭は、ビルバオのグッゲンハイムの成功に追随しようとするものだ。世界中の都市がビルバオになりたがっていると言っても過言ではない。

つまり、AT&Tビルが民間企業の建築物であったのに対して、90年代以降のスター建築家とグローバル資本との蜜月には、熾烈な都市間競争が背景にある。否、必ずしも公共建築物とは限らず、「いかなるビルディング・タイプもアイコンになりうる」現代のアイコン的建築物は、ランドマークをめぐる公共空間/私有空間の境界線に新たな揺さぶりをかけているはずだ。アイコン的建築物は、ローカルな次元では、産業の空洞化が著しい衰退地域の復興の起爆剤として、グローバルな次元では都市間競争における卓越化の対象として希求されている。また、アイコン的建築物という空間の生産は、職業や所得階層の分極化、ジェントリフィケーションなどとも密接に関係しているに違いない。

当然、大規模な都市再開発をめぐる空間編制に介入するのはスター建築家の設計事務所だけではない。そこにはゼネコン、デヴェロッパー、クライアントはもちろん、ファンド、政治家および官僚、マスメディアなどが参入する。これらの社会的エージェントの連関を見取り図として提示することが求められよう。

しかしながら、ジェンクスはアイコン的建築物の行く末をスター建築家個人のデザインや創作原理に収斂させる嫌いがある。むしろ、等閑視されてならないのは、そのようなスター建築家の社会的位置だろう。今や個人名を掲げる設計事務所も数百人規模の所員を抱えていることは珍しくない。個々の組織内における建築家の決定権や責任の所在の追求と関連させつつ、都市間競争を背景にした複雑に重層する建築のプロセスにおいて、スター建築家が厳密にはどこまで関与できるのか、単なる名義貸しに終わる危険性はないのか、といった点が問われなければならないだろう。


付記:
・本書のFrances Lincoln Pub. 版(2005)は、書名にThe Power of Enigmaというサブタイトルが付けられている。
・ジェンクスは、国立新美術館オープンに合わせた「黒川紀章展――機械の時代から生命の時代へ」のシリーズ講演会で来日し、1月22日に「建築における新しいパラダイム」と題したレクチャーを行なった。レクチャーでは、国立新美術館をヘリコプターから見ても判別可能なアイコン的建築物と指摘したうえで、本書の内容に沿った話が展開された。そのなかで、無名の「建築家」による建築物がアイコンになりえる可能性や、宇宙の歴史という観点から見れば、どのようなアイコン的建築物がこの先ずっと残りつづけるのかという問いが提示されていたことが印象に残った。



南後由和 Yoshikazu Nango
1979年生。社会学、都市・建築論。東京大学大学院学際情報学府博士課程在籍、日本学術振興会特別研究員。アンリ・ルフェーヴルやシチュアシオニストの都市論を学びつつ、都市・建築をめぐる有名性/匿名性の研究に従事。
共著=『都市空間の地理学』(加藤政洋+大城直樹、ミネルヴァ書房、2006)、『路上のエスノグラフィ——ちんどん屋からグラフィティまで』(吉見俊哉+北田暁大編、せりか書房、2007)、『M×M 2007——建築家が語る「都市への処方」』(槙文彦、前田建設工業、2007)など。論文=「丹下健三の建築と有名性——1950─60年代の専門誌・一般紙誌の分析を通して」「コンスタントのニューバビロン×建築界(1)」など。


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