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生まれる前の死|クロード・シュロー『彼の名は誰でもない』★1|ジャック・ジェリス『冥府の子供たち』★2|橋本一径 2007年08月27日

パリのサン・ヴァンサン・ド・ポール病院で、351体もの胎児や嬰児の死体が、不適切な状態で保存されているのが見つかり、スキャンダルを巻き起こしたのは、2005年8月のことである。フランスの法令によれば、死産あるいは堕胎による胎児・嬰児の遺体は、両親の意向に従い、病院の責任で火葬・埋葬、もしくは医学的な目的の解剖に供されることとされているが、このパリの病院のケースでは、書類上は埋葬されたことになっている胎児の遺体も混在しており、古いものは1985年から、半ば放置された状態で保管されているなど、病院側の怠慢は明らかであった。ド・ヴィルパン首相(当時)が直々に真相の解明を指示し、2カ月後には政府系の機関により、病院側の対応の「深刻な機能不全」を指摘する報告書が提出され、胎児の遺体の扱いを改善するための具体策を提言することだろう。だが問題は、そのような死亡した胎児の処遇だけにはとどまらないのではないか。こう問いを投げかけるのは、フランス倫理諮問委員会のメンバーで産婦人科医のクロード・シュローである。事件の直後に刊行された、ここに紹介する著作『彼の名は誰でもない』において彼は、さまざまな事例を挙げながら、受精卵なども含めた、「生まれる前」の存在のステータスについて、広く問題を提起することになる。

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Claude Sureau, Son nom est personne.
Jacques Gélis, Les enfants des limbes.

すべての問題が始まったのは1821年のことだと、シュローは語る。この年の12月26日、フランスの医学アカデミーにおいて、医師のルジュモー・ド・ケルガラデク(J.-A. Lejumeau de Kergaradec)が、「妊娠研究への聴診の応用」と題する発表を行なう。ラエネクが数年前に発明していた聴診器を、妊婦に応用した彼は、胎児の心音を聞き分けることに成功したのである。シュローによればこれは、「生まれる前の存在」としての胎児が客観的に意識されるきっかけとなった歴史的な出来事である。20世紀に入ると、エコグラフィーのような技術の出現により、その存在感がますます具体的なものとなったのは言うまでもないだろう。まだ「人間」ではないが、かといって「物」でもないこの存在は、両親、特に母親にとっては紛れもない「わが子」にほかなるまいが、法的には何のステータスも持っていない。このために例えば、飲酒運転の車が起こした交通事故によって胎児を失った妊婦は、運転手に対する殺人罪の適用を求めて法廷で争うも、棄却されてしまう(破棄院の決定、2001年6月29日)。あるいは体外受精用に凍結保存されていた受精卵が、病院の機械トラブルにより解凍し、廃棄を余儀なくされても、殺人罪はおろか、「物」ですらないそれらの受精卵には、器物損壊を適用することもできず、訴えを起こした両親に対しては、心理的な損害に対する賠償のみが認められる結果となる(アミアン行政裁判所の決定、2004年3月9日)。

「物」以下の扱いを受けるこうした「生まれる前」の存在を、法的な「人格」として認めることができないのは、母体の保護などのために胎児を犠牲にせざるをえない場面が存在するからである(例えば子宮外妊娠の場合など)。このような存在に、「物」でも「人」でもない「第三のカテゴリー」としての法的な地位を認めよ、とするシュローの主張は、医療の現場からの切実な訴えとして、傾聴に値するものであるのは確かなのであろう。しかしここでのシュローの議論からは、「弔い」の問題がすっぽりと抜け落ちてしまっていると言えはしまいか。サン・ヴァンサン・ド・ポール病院の不祥事が明るみに出たそもそものきっかけが、かつて同病院で妊娠を中絶し、その後の胎児の処遇を気に病み続けてきた女性による、火葬のなされた日にちを教えてほしいとの問い合わせであったことを考えれば、なおさらのことである。葬られるべきものが葬られぬままに放置されていたという、いわば「埋葬の剥奪」こそが、この事件をスキャンダラスなものに仕立て上げた要因のひとつであることは、想像に難くはないのだ。

生まれる前の胎児は、あるいは受精卵は、埋葬されるべき存在であるのか? 事件の争点をこのように問い直してみたとき、ことの本質は、シュローの言う1821年よりも、はるかに根の深いものであることがわかる。かつて西欧キリスト教社会においては、死産児には洗礼の秘蹟が認められず、結果として教会の墓地への埋葬も許されないというしきたりがあったからである。遺体は「動物と同じように」庭先などに埋められ、その魂は、「リンボ」と呼ばれる冥府を永遠にさまようとされた。出産の歴史を専門とする歴史家のジャック・ジェリスの新著『冥府の子供たち』は、中世以来のこの慣習の歴史をたどった集大成である。死産が今日よりもはるかに日常的だった頃、近親者たちは子供が洗礼の前に息を引き取るのを恐れ、時には助産婦自らが出産の場で直ちに略式洗礼を授けることもあった。しかし死者に洗礼を授けることは固く禁じられていたので、助産婦がすでに死んだ赤ん坊に略式洗礼を授けてしまわないよう、教会は厳しい監視の目を光らせていたという。

「洗礼名」が今でも多くの西洋語でファースト・ネームのことを指すことに示唆されるように、洗礼を受けていない者とは、文字通り「名もなき者」であり、誰でもない者であった。このような存在こそまさしく、クロード・シュローによれば妊婦への聴診の応用によって初めて意識されるようになった、「生まれる前の存在」にほかならないのではないか。この名もなき存在は、ある意味で「人間」未満の存在であるからこそ、宗教的な埋葬を剥奪され、「動物のように」地中に埋められることになるのだ。

つまり「人間」になるにはただ生まれてくるだけでは不十分で、洗礼という制度的な段階を経る必要があったということである。しかし19世紀に入り、出産が医師の管轄になるにつれて、このような誕生の二重性は見失われていくだろう。同じ時期には死もまた、もっぱら医師によって確認されるものとなるわけだが、そのような医学的死の後には、弔いの儀礼が、今日でもなお多くの場合宗教的に執り行なわれているのに比べれば、誕生の「脱神話化」は、よりラディカルだったと言うことができるのかもしれない。

洗礼が機能していた時代はよかった、ということなのだろうか。そしてわれわれは洗礼に代わる新たな制度を、再び導入する必要がある、ということなのであろうか。しかしジェリスが論じる、死産児の洗礼をめぐるもうひとつの興味深い風習を考え合わせてみれば、ことはそう単純ではないのがわかるはずだ。死産児の両親たちの多くは、永遠に冥府をさまようという運命からわが子の魂を是が非でも救おうと、遺体を担いで “Sanctuaire au répit” と呼ばれる聖堂に駆けつけたという。多くが聖母マリアを祭った、その秘教的な聖堂に子供の亡骸を奉じ、祈りを捧げた結果、遺体には「生の兆候」が蘇り、無事に洗礼が授けられることになるだろう。肌の色の変化、汗や涙の分泌、四肢の動きなどとして表われる「生の兆候」の判定には、時として地元の医師が加わることもあったといわれる。

だがなぜ、「生の兆候」を示さないものには、洗礼を授けることが許されず、埋葬すら剥奪されてしまうのか? 肉体的・生物学的に「生きている」ものだけが、洗礼を受けることができる(すなわち「生きている」ものだけが「人間」になれる)。ここに見られるのは、ある種の徹底した「生物学主義」である。そして19世紀初頭にルジュモー・ド・ケルガラデクが、聴診により聞き分けた胎児の心音も、「生の兆候」であるとするなら、そこにはシュローの言うような歴史的断絶よりも、地続きの「生物学主義」を見て取るべきではなかろうか。巻末でサン・ヴァンサン・ド・ポール病院の事件にも言及するジェリスの書は、死産児であれ、胎児であれ、あるいは受精卵であれ、それが「生きているのか/死んでいるのか」という議論をするときに、われわれが避けがたく囚われてしまうキリスト教的文脈の根深さを、垣間見せてくれるのである。





★1──Claude Sureau, Son nom est personne, Paris, Albin Michel, 2005.(未訳)
★2── Jacques Gélis, Les enfants des limbes, Paris, Audibert, 2006 .(未訳)


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