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D・リバ編『精神分析フランス誌──80年の精神分析 テキスト1926─2006年』(Revue française de psychanalyse. 80 ans de psychanalyse. Textes 1926-2006, (réunis par Denys Ribas), Paris, PUF, 2006 [未訳])|佐藤朋子 2007年04月18日

人間は壊れる存在であるという事実を、現在のフランスで活動するフロイト派の精神分析家たちは「死の欲動」の観念に依拠しながら理論的言説のかたちで表現しようと試みている。フロイトにとって、自らが発明したこの観念はあくまでも「思弁」の産物であり、転移現象やトラウマ神経症者が示す症状について反省するなかで行き着いた仮説にすぎなかった(フロイト『快原理の彼岸』)。しかし現在、あるいは異論が出される可能性を承知したうえで一つの目安をあえて提案するならば、1990年代以降のフランスにおいて★1、この観念は、自己や他者に向かって現われた攻撃性とそのあり方を言説上でとらえるため、つまり臨床上の経験が課す要請に応えるためのそれとしてしばしば用いられている。昨秋『精神分析フランス誌(Revue française de psychanalyse)』(以下『RfP』と略記)は、同誌の80周年を記念してその間に掲載された論文類の精選集を出版した。その特集は、時代順に並べられた32篇の末尾に、フロイトの後期欲動論(「死の欲動」導入以降の欲動論)を精密に読解する1998年第5号発表のB・ロゼンベルクの論文を置いたが★2、そのことによって、同国のフロイト派が展開する理論活動がもつ今述べたような一面を強調かつ肯定しながら、同誌の歴史を辿り直すことになったように思われる。

RfP

Revue française de psychanalyse.
80 ans de psychanalyse.
Textes 1926-2006

パリ精神分析協会(Société psychanalytique de Paris、以下SPPと略記)は、フランス最古かつ、J・ラカンなど幾人かの有力者の脱会が起きた1953年までは唯一、そして以降も同国における主潮流の一つをなしてきた精神分析団体である。そのSPPによる理論活動をすぐれて表現してきたのが、協会設立と同時に創刊されたこの『RfP』である。同誌で行なわれている議論の独自性と質の高さを自負して、前任の編集長はこう述べている。『RfP』は「まさに一思想潮流と呼ぶべきものの場所である。この思想潮流は、フロイトの作品がなす資料体によって自らの革新的な性格を支え、また、自我心理学やクライン派の諸変転にみられた行き過ぎを避けるすべを、そしてラカン的な諸前提をめぐって行なわれた討論を活用するすべをわきまえてきた」★3。その言葉は決して不当ではない。だが反面、そのように自負されている事柄が、ごく限られた範囲でしか知られてこなかったというのもまた事実であるだろう。同様に本特集についても、自負と周囲の認知度のあいだの格差という従来と変わらぬ印象が感じられたと言わねばならず、具体的に指摘するならば、所収テクストについての解説がきわめて簡素である点が惜しまれるところだった。

32篇のうち1953年までの11篇には、当時のフランスにおける精神分析運動全体を証言する文書資料のおもむきがある。幾つか挙げるならば、まずSPP創立の辞、M・ボナパルトをはじめとする創立時のメンバーの手になるもの、フロイトの「否定」の翻訳、D・ラガーシュの最初期の仕事があり、ついで出版が中断した戦間期を経て再度刊行が始まった1948年以降では、F・ドルトによる幼児分析の報告、SPP分裂の原因とも無関係ではない教育分析の問題をめぐって展開する1953年のS・ナシュトの議論がある(編者言によれば、「鏡像段階論」の名で知られるラカンの論文を、ドルトの論文の直後に配すことが企図されたが、必要な許可が得られなかったためにそれは実現しなかったという)。その後1960年代末までは、一部はすでに遠景に退きつつあるがしかし確実に現在の『RfP』の活動風景の部分をなしている8篇が続く。ウィニコットやビオンの著作の翻訳、「対象の欠如」や「他者の欲望」などラカン的な用語が登場するA・グリーンの初期の作品、そして、心身医学という観点のもと、フロイト以来の古典的技法の傍らに別の技法(対面式など)を導入したP・マルティによる講演の記録をここでは特筆しておこう。以上と相対的にみたとき、1970年代から現在までの13篇については、本特集の編者が自らの選択を評して述べた「偏りがあって部分的かつ不均質」という言葉がもっともよくあてはまる。だがそれは、以前にも増しての細分化、特殊化というこの期の研究情勢を反映したなかば不可避的な事態であり、また13篇を通じては、それでも適切に、幾つかの基本的な研究動向──分析家の位置や役割に対する関心、転移神経症以外の疾患への積極的な取り組み、前意識の機能の重視など──が際立つ結果となっている(フランスのフロイト派の活動についてとくに関心をお持ちの方に一読を勧めるとすれば、M・ネロによる「ラカン的」とも形容すべきウィニコット論と、フロイトが構想した「一次/二次過程」の彼岸ないし此岸に位置づけられるべき過程の考察を試みたP・リュケの論考の2点が挙げられるだろうか)。

冒頭で言及したロゼンベルクの論文は、一潮流として思想界に身を位置づけようとする『RfP』の自負に呼応する射程をもっている。もっとも、その表立った論旨は、今日の諸議論の例に漏れず特殊であるには違いない。つまりロゼンベルクが狙うのは、直接的には、マルティ(上記参照)の欲動観念の問題化である。身体的次元にも及ぶ病理的現象の過程を説明するにあたって、マルティは「生の欲動の緊張の低下」という観念に依拠する。それに対してロゼンベルクは、「生の欲動と死の欲動の脱錯綜」という観念の上にその説明をうち立てる。すなわち欲動の一元論(マルティ)と二元論(ロゼンベルク)の対立である。しかしそこにはまた別の意味合いがある。フロイトにとって、身体的なものと心的なものの境界に位置するものとしてのこの「欲動」はさまざまな運命を辿りうるものであるが、それは二元論に従って、すなわち、結合を目指す生の欲動と解体を目指す死の欲動とのあいだの拮抗関係に応じてのことである(逆に、生の欲動の一元論においては、欲動的刺激がさまざまな運命を辿りうるという事態は思考不可能である)。要するに、フロイト独特の心身観──身体的なものと心的なものとの関係は、一様な仕方ではなく、社会的、文化的次元のそれらを含む諸要因によって、個々のケースにおいて複雑に規定されているとする考え★4──は、欲動の二元論に立脚している。そして精神分析的知見は、そうした欲動の二元論と心身観がなす基盤を足がかりにして、どのように解体ないし切断が生じるか(どのように死の欲動は働いているか)と問いながら、社会、文化、言語のうちにある身体的存在としての人間という問題へと接近する。ならばこう言うべきだろう。二元論を主張するとき、ロゼンベルクは同時にフロイト的心身観を擁護し、思考としての精神分析の開口を保証しようとしているのであると。

ロゼンベルクが論じる「欲動の脱錯綜」は、死の欲動の解放を、そして終局的には死を結果する。裏返して言うならば、生が開始するところにおいては、2つの欲動の錯綜(より精確には、生の欲動による死の欲動の拘束)、そして2つの欲動を錯綜させるものとしての他者(=「母」)があるということである。ロゼンベルクの議論はそのようにして、フロイトが築いた理論的構築物のうちに、それまで必ずしも明らかではなかった「母」の位置を指定しようとする。そのことがもつ理論史上の意義を示唆する出来事として、2006年第5号の『RfP』では「第三局所論」──フロイトの第一局所論(無意識/前意識/意識)、第二局所論(エス/自我/超自我)と十分に接続可能であると同時に、クライン以降の母子関係研究が明らかにした心的なあり方を表現しうる局所論──の構築の可能性と展望について議論が交わされたことを最後に報告しておこう。





★1──換言するならば、次の書物の出版年と重要性を考慮するという提案である。Benno Rosenberg, Masochisme mortifère et masochisme gardien de la vie, Paris, PUF, 1991.
★2──ロゼンベルクが読む後期欲動論とは、精確には『マゾヒズムの経済的問題』(1924)以降の欲動論である。なお、フロイトはこのマゾヒズム論を著した翌年に、自らが展開した「思弁」に対して制限を課す注を『快原理の彼岸』に追加している。
★3──Paul Denis, «Éditorial», RfP, t.61, nº1, p.5.「自我心理学」に付されていた強調処理を省略した。
★4──さらに詳しくは、ラプランシュ、ポンタリス『精神分析用語辞典』(村上仁監訳、みすず書房、1977)「心的代表」の項目を参照。同項目の端的な説明によればこうなる。「並行論的」でも「因果論的」でもないこのフロイトの考えにおいては、身体的なものと心的なものの関係が、いうなれば「委託人とその代理人」の関係、つまり、代理人が使命を逸脱するという事態も生じうるような関係としてとらえられている。


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