SITE ZERO Review | サイトゼロ レヴュー

「でもぼくのせいじゃない」──細野晴臣『東京シャイネス』(DVD)|門林岳史 2006年11月27日

2005年9月4日、埼玉県狭山市の稲荷山公園で開かれた第1回ハイドパーク・ミュージック・フェスティヴァルの最終日は豪雨に見舞われていた。返還後、公園として整備された進駐軍ジョンソン基地跡地の一角。その付近に並んでいたいわゆる米軍ハウスは60年代後半から70年代前半にかけてミュージシャンを含む若者たちが移り住んだことで知られ、幾多の音楽的記憶を持っている。そこを舞台に草の根的な運動のなかから実現を見たこの音楽祭が、それらの記憶の引き出しから数々の情動を再演してみせたであろうことは疑う余地がない。なかでもトリを務めた細野晴臣は、それまでの豪雨が嘘のように止みあがった頃、熱狂とは裏腹に極度の身体的な疲労のうちにあったはずの観客の前に姿を現わし、軽妙に謝意を伝えながらこう語りかける。「きのう洗車しちゃったのがいけないんだよね。洗車すると雨が降る。……でもぼくのせいじゃない」。間を置かずに彼は、狭山の音楽的風景を束ねる結節点のひとつ、自宅録音のソロアルバム『HOSONO HOUSE』(1973)のなかから「ろっかばいまいべいびい」のコードを爪弾き始めるだろう。

tokyoshyness

細野晴臣『東京シャイネス』

「でもぼくのせいじゃない」。はっぴいえんどとYMOというともに記念碑的なグループで中心的な役割を果たし、しかし、それだけにはとどまらずいくつかのポップ・ミュージックの新しい流れに関わりながら、それが煮詰まってきたと見るやさっさと放棄して逃走してしまう。細野晴臣のそんな音楽的キャリアを振り返ってみるとき、局面ごとに繰り返し聞こえてきたのは転移関係を断ち切るこのつぶやきではなかっただろうか。しかしながら、そのようなある種の健忘症的な節操のなさのなかでも、ここしばらくの間は、というのはおおよそ1993年、再結成したYMOで1枚のアルバムを発表して以降、細野の活動は本質的には過去に自分が切り開いたいくつかの方向性を辿り直すことを繰り返してきたように見える。すなわち、はっぴいえんどからティン・パン・アレー時代の、アメリカを中心とする過去のポピュラー・ミュージックの異種混交的なエキゾティズムへの憧憬★1。YMOにおける電子技術に媒介された音楽の参照項を欠いた抽象的な音色と反復強迫的リズムに向けての実験★2。そして、それ以前から伏線にはなっていたがワールド・ミュージックの流行に乗りながら80年代後半から90年代前半にかけて前景化される音楽のスピリチュアルな次元への傾倒★3。

もちろん、上で仮に分節した3つのセリーが、近年の活動はもとより以前から分ちがたく相互浸透しあっていたことは言うまでもない。また、近年の活動が以前の単純な再演であったわけでもない。とりわけ、いつの間にかテクノに代えてエレクトロニカと総称されるようになったジャンルにおいて、新しい世代の音楽家たちが制作プロセスの全面的なデジタル化に伴って生み出してきた新しい音を積極的に吸収していることは指摘しておく必要がある。90年代後半の一時期、そうした音を取り込みながら生み出される彼の音楽を束ねるコンセプトとして、「アンビエント」という着想が独自の変形を被りながら再浮上させられていたことも注目に値するだろう★4。そして、なによりも強調しておくべきは、彼が絶え間なく新曲を発表しつづけ、時に応じて取り上げなおされる過去の曲もそのうちに相対化されてきたという点だ★5。

そんななか、2005年から06年にかけての「東京シャイネス」名義でのライブ活動は、そのレパートリーのほぼすべてが過去の曲に限定され、このプロジェクトのために書き下ろされた新曲が一曲も披露されなかった、という点が、逆説的にも際立っている。ティン・パン・アレー時代から細野のリズムを支えてきた浜口茂外也に、細野に決定的な影響を受けながら音楽活動を続けてきた鈴木惣一郎や高野寛といった新しい世代の音楽家たち(しかしながら意外なことに、両者ともステージでの競演は初めてだという)を加えたメンバーによる友愛に満ちた演奏。それを聴く機会が、今回発売されたDVDのおかげでコンサートに行きそびれた者にも与えられたのは喜ばしい。「第三の男」のゆったりとしたカバーから静かに始められるパフォーマンスには、くつろいだサンバのリズムが心地よい「夏なんです」(特に初回特典の狭山での演奏が素晴らしい)、カリプソ風のイントロが新たに付け加えられた「Black Peanuts」、シンプルなフォークのコード進行によるギター・ストロークに乗った「Lotus Love」サビの大合唱など、聴き所が多い。とりわけ、故高田渡の息子である高田漣のスティール・ギターは名曲の数々に新たなディメンジョンを付け加えていたように思われる。

これまでの活動の総決算にも見えるこのコンサートは、再び始まる新しい何かへの符牒ではないか、と実際ファンの期待を誘うにちがいない。むろん、ハイドパーク・ミュージック・フェスティヴァルへの出演を依頼されるという偶然がきっかけとなって実現したこのプロジェクトが、このアーティストの長いキャリアを集成しているなどと捉えるのは端的に倒錯している。今後も彼は「でもぼくのせいじゃない」とつぶやきつつ、言説の布置に還元されることで初めて遡行的に見出されるにすぎない新しさなどには捉われず、音を作り出していくことだろう。しかし、なんといってもやはり、このつぶやきの裏側から聞こえてくる「この次はモアベターよ」への期待をぬぐい去ることは困難だ(公演は毎回YMO前夜を記念する「はらいそ」[『PARAISO』(1978)]で締め括られたという)。「エロい女はエコである」などというフレーズによってナルシスティックな自己イメージをキャッチーにマーケティングされた環境運動に接続してみせる器用な盟友、坂本龍一よりも、現在制作中と噂されるニュー・アルバムでこの音の職人がどんな新たな境地を披露してくれるのかが楽しみに待たれるのである。


★1──例えばコシミハルとの『SWING SLOW』(1996)、久保田真琴との『Road to Louisiana』(1999)やティン・パン・アレーの中心メンバーが再び集まった『TIN PAN』(2000)。
★2──エレクトロ・ミュージックの新しい世代、アトム・ハートとテツイノウエとのHAT(1996─98)、そして高橋幸宏と組んだSKETCH SHOWの活動(2002─)。
★3──ビル・ラズウェルとの共作『N.D.E』(1995)および『Interpieces Organization』(1996)など。もちろん以上の腑分けは暫定的なものにとどまる。
★4──このあたりの経緯はDVDとほぼ同時期に出版された近著『アンビエント・ドライヴァー』(マーブルトロン、2006)に辿ることができる。
★5──もちろん、新曲を発表しつづけることは、新しい取り組みをしていることを直ちには意味しない。現在のポピュラー・ミュージック業界では、ビッグネームが既定路線に乗った新曲を着々と発表しつづけることがむしろ常態となっている。ただ、にもかかわらず新作が新たな取り組みと映るタイプのアーティストがなかには存在し、細野は間違いなくそのうちに含まれる。それは、彼が本質的にモダンな作家であることを意味している。



門林岳史 Takeshi Kadobayashi
1974年生。表象文化論・メディア論。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程修了、日本学術振興会特別研究員。言説の認識論的な布置を 同時代の科学技術や文化との関わりから分析することを主な研究のフィールド 及び方法としている。論文=「G・Th・フェヒナーの精神物理学──哲学と心 理学の間、精神と物質の間」、「メディアの幼年期──マクルーハンのテレビ 論を読む」、「探偵、バイオメトリクス、広告──『マイノリティ・レポー ト』に見る都市の時間と空間」など。http://homepage.mac.com/kanbaya


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