SITE ZERO Review | サイトゼロ レヴュー

Francis Haskell, History and its Images: Art and the Interpretation of the Past, New Haven & London: Yale University Press, 1993.|小澤京子 2006年12月11日

本書の著者フランシス・ハスケル(1928─2000)は、イギリスの美術史家であり、1995年までオックスフォード大学美術史学教授を務めた人物である。ハスケルの最大の功績は、美術史研究に社会史・社会学的な観点からのアプローチを導入し、芸術とそれを取り巻く社会との相互関係に目を向けたことにあるだろう。彼の主要な著作には、バロック期のイタリアにおけるパトロネージと芸術の関係を分析した『パトロンと画家(Patrons and Painters)』(1963)をはじめ、趣味形成や作品評価のなされる過程を丹念に辿った『芸術における再発見(Rediscoveries in Art)』(1976)、「展覧会」という視線の制度が孕む時代特有の政治性を検証した『つかのまの美術館(The Ephemeral Museum)』(2000)などがある。

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Francis Haskell,
History and its Images:
Art and the Interpretation of the Past

『歴史とそのイメージ──美術と過去の解釈』と題された本書でハスケルは、視覚的なイメージに依拠しつつ歴史を語ろうとする発想がいかにして誕生したのか、そしてその「解釈」の方法論が時代と地域、論者によっていかなる変遷を辿ったのかを、圧倒的な量の資料や史実に拠って検証している。それは、「イメージとテクスト」という古典的な問題系に連なるものであると同時に、自らの職分たる美術史記述に対する、一種の自己分析でもあるだろう。

美術を取り巻く諸制度や美術史を構成する言説などを分析対象に据え、メタ・レヴェルから「美術史」そのものについて分析を行なう研究は、とりわけここ十数年の間に興隆をみている。わが国でも、美術品蒐集やミュージアム、展覧会やそのカタログについての研究が、次々に登場している。ハスケルは間違いなく、このようなアプローチの嚆矢となったひとりであるが、彼の手法の特色は、早急で単純な抽象化や一般化、図式化を慎重に回避し、個々の具体的事例に徹底的に寄り添うことにあると言えよう。またこの書では、「美術」の歴史に限らず、文化史や社会史、政治史の記述とイメージ資料の関係までもが俎上に載せられている。

「イメージの発見」と題された第1部ではまず、テクスト至上主義であった歴史記述において、イメージが過去を語る資料として認識されていく過程が語られる。本書の大部を占める第2部には、「イメージの使用」というタイトルが付されている。まず検討されるのは、18世紀の中世史研究における、イメージ解釈の多義性を巡る問題だ。イメージは史実を忠実に描き出しているとは限らず、またそこに描かれた慣習や身振りの意味を、時代を隔てた現在において一義的に確定するのは、非常に困難な作業である。ハスケルは、さまざまな論者たちの営為から彼らのイメージに対する態度を丁寧に読み解き、視覚的資料に依拠した歴史学が次第に整序されていく様を示す。「古遺物研究者と歴史家との対話」では、美術品の複製イメージと美術史研究との関係が問われ、続く章では「文化史」の成立が、そしてある社会を読み解くための指標として視覚芸術を捉える視座の確立が詳述される。歴史資料としての視覚芸術を保存し展示する場としてのナショナルな美術館の誕生、視覚資料の正統性や論拠としての有用性を巡る問い、「様式」についての問題系などと並んで、社会史・文化史に指標的な功績を残したミシュレとホイジンガの2人の歴史家に、それぞれ1章ずつが割かれているのも特徴的だ。コインや銅版画、北方の油彩画が圧倒的多数を占める挿図のなかでひときわ読者の目を引くのが、第14章に登場するピカソやカンディンスキーらの抽象画であろう。社会的状況の「予言者」としての画家について通時的に論じたこの章は、相変わらず徹底して現象記述的であり、むしろ芸術家が神話化されるプロセスこそが問われるべきでなかったかと思われるのだが、それはともかく、西洋の美術史における彼の知識の該博さを示している。

厖大な事実の列挙された、ひとりの著者によるものとしてはかなりの大部であるこの書を要約するのは、至難の業であるだろう。それは、ハスケルが重点を置くのが理論や抽象的な思弁ではなく、個別の事象や事物の入念な調査と記述であるからだ。そこでは価値判断も当為も示されず、数多くの事象を統一的に説明しうる理論が導入されることもなく、あたう限り透明な語り手としての記述が目指されているように見受けられる。かような著者の態度は、「美的に優れた価値をもつ」と判断された作品や作家についての研究を至上のものとするような(おそらくは今日まで多数派を占めるであろう)美術史研究からも、他領域の思考体系、例えば記号論や精神分析、政治哲学やジェンダー論などを援用しつつイメージについて語る分析手法からも、そして厳密に体系化された理論を分析基盤とする社会学からも、等しく距離を置いたものである。これをハスケルにおける欠落として糾弾することもあるいは可能であろうし、本書に終始つきまとう単調さや平坦さも、かかるアプローチの帰結であるかもしれない。しかしながら、驚くべき量の一次資料に依拠し、個々の具体的な事例を念入りに叙述したこの書は、その資料的価値によっては勿論のこと、イメージとナラティヴの関係について語る際の繊細な手つきにおいても、美術史を語る者たちにとっての指針のひとつとして、永続的な価値をもつのではないだろうか。



小澤京子 Kyoko Ozawa
1976年生。表象文化論、美術史・美術理論。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。
主に18世紀の建築構想における「古代」の表象について研究している。歴史の「起源」としての古典古代が、美術において「復活」させられるとき、そこにどのような変形作用が働くのか、その背景にはいかなる政治的素因があったのかがテーマ。
現在ブルゴーニュ大学人文学科近現代史専攻に在籍し、フランスにおける「古代ローマ憧憬」の受容、流通過程について調査中。
論文=「不可視の過去を可視化すること──ピラネージによる古代形象の『考古学』的復元手法について」(UTCP研究論集、2007)、「『古代』が召還されるとき──明治二〇年代の日本におけるギリシア幻想」(『SITE ZERO/ZERO SITE』2006)など。


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