SITE ZERO Review | サイトゼロ レヴュー

Jean-Claude Milner, Le périple structural. Figures et paradigme, Seuil, 2002.(ジャン=クロード・ミルネール『構造主義の周航』[未訳])|柵瀬宏平 2007年03月26日

1968年5月、ソルボンヌ大学の一教室で、ひとりの学生が、怒りをこめて黒板にある文章を書きつけた。「構造は街中を行進して歩かない」★1。5月革命に熱狂した学生たちによる激しい弾劾を受けて、60年代にフランスを席捲したドクサとしての構造主義は終焉を迎えたのである。しかし構造主義とはそもそも何であったのだろうか。この問いに答えるためには、いったんドクサから離れて、構造主義を規定するいくつかの公理を引き出し、それを検討しなければならない。その結果立ち現われてくるのは、自然科学と人文科学という境界の再編成を試みたユニークなプログラムとしての構造主義の相貌である。『構造主義の周航』においてジャン=クロード・ミルネールが描き出したのは、20世紀を通じて、このプログラムがたどった波瀾に満ちた遍歴なのである。

milner

Jean-Claude Milner,
Le périple structural.
Figures et paradigme,
Seuil, 2002.

フランスにおける生成文法研究の第一人者として知られるジャン=クロード・ミルネールは、専門の言語学にとどまらず、精神分析や社会批評といった幅広い領域において、精力的な執筆活動を続ける思想家である。その該博な知識は、ソシュール、デュメジル、バンヴェニスト、バルト、ヤコブソン、ラカンという構造主義の担い手たちを個別的に論じた本書第1部において遺憾なく発揮されている。鋭い筆致で描かれた思想家たちのプロフィールは、非常に魅力的であるとともに、貴重な示唆に富んでいる。豊穣な第1部を味読する愉みはそれぞれの読者に委ねて、ここではミルネールが構造主義というプログラムのパラダイムを検討した第2部の議論を簡単にトレースすることにしよう。

古代ギリシア人たちは、観察可能な現実の総体を「自然による」(phusei)/「慣習による」(thesei)という二分法によって分割した(p.181)。この二分法はさまざまなかたちで変奏されながら、19世紀末、ディルタイによる「自然科学」/「精神科学」や、リッケルトによる「自然科学」/「文化科学」という区分に至るまで、暗黙裡に維持されてきた。ところで、17世紀、「自然による」領域において、知の本質的な構造転換が起こった。科学史家のアレクサンドル・コイレが「ガリレオ革命」と名指した科学革命である。古典古代のエピステーメにおいて、科学の対象とは、永遠のものとされ、数学がその理想として想定されていた。これに対して、「ガリレオ革命」は「自然」を科学の固有な対象として措定したが、そこにおいて「自然」はもはや不変な事象としてではなく、技術によって介入可能な、数学化の対象として扱われたのである。このようなガリレオ主義は自然科学と人文科学という対立図式を強化するように思われた。なぜならそれは、「自然」にのみ本来的な科学の対象としての地位を賦与したからである。

こうした二項対立を乗り越えるべく現われたプログラムこそ、構造主義であった。構造主義は「慣習による」領域においてもガリレオ的な意味での科学が可能であると主張したのである。このことは「慣習」を「自然」へと還元することを意味しない。構造主義は「慣習による」領域において、自然法則に還元不能な独自の必然的な法則が存在することを示し、その法則を数式化することによって、「拡張されたガリレオ主義」(le galiléisme étendu)を実現したのである(p.199)。このようにして自然科学と人文科学の分割を再定位した構造主義が、言語学をその第一の研究領域としたことは偶然ではない。というのも、構造主義者にとって、言語とは「自然」と「慣習」の境界に位置する何にもましてポレミックな対象だったからである。

以上のような観点から、ミルネールは構造主義のプログラムとマルクス主義の本質的な類縁性についても論究している。なぜならマルクスが問題としたのは社会的な諸関係が有する特異な必然性だったからである。社会的な諸関係は、人間自身がみずからに課したものであるかぎりにおいて、「慣習による」必然性を帯びている。マルクスによれば、諸個人に課せられたこの必然性は、集合体としての人間集団によってのみ変革可能なものである。その結果、政治は科学的な基礎付けを獲得するにいたった。そして、その科学とは、社会的な諸関係という「慣習による」必然性についての科学であると同時に、それを変革するための科学なのである。こうしてミルネールは構造主義とマルクス主義を接合することを目指したアルチュセールの試みの妥当性を強調しつつ、構造主義のプログラムが有する政治的な意義について考察するのである。

しかし、隆盛を誇った構造主義は、つねに内的な不均衡に蝕まれてもいた。それは「拡張されたガリレオ主義」という構造主義のプログラムの本質に関わる問題であった。このプログラムは、「ガリレオ主義」によってみずからを正当化したが、数学化が決定的な重要性を占めるガリレオ主義にあって、構造主義が採用した数学化の方式は極めて不徹底なものだったからである。そればかりではない。構造主義は公理と基本概念を最小限に切りつめること、すなわちミニマリズムをみずからの原理としたのに対し、反証可能性に準拠するガリレオ的な科学は、仮説の増加を志向するかぎりにおいて、反ミニマリズム的なものであった★2。ここにおいて「拡張されたガリレオ主義」は、ガリレオ主義そのものと齟齬をきたしていたのである。

構造主義が抱えていたこのような矛盾を明確に指摘したのが、チョムスキーの生成文法理論であった。チョムスキーは55年に刊行した『言語学理論の論理的構造』において、構造主義言語学が依拠する数理論理学的なモデルが不十分であることを論証することで、「拡張されたガリレオ主義」を否定した。さらに彼は65年の『文法構造の諸相』において、言語習得の問題を論じる過程で、構造主義言語学に抗して反ミニマリズムの立場を先鋭化させたのである。このようなチョムスキーによる議論の射程は、構造主義言語学に対する批判にとどまるものではなかった。彼が疑問に付したのは、「拡張されたガリレオ主義」に基づいた構造主義のプログラムそれ自体であり、さらにはアルチュセールが目指した構造主義とマルクス主義の接合の試みだったのである。

こうして「慣習による」領域において、独自の科学を創設することを企図した構造主義のプログラムは決定的に破綻をきたした。なぜならこのプログラムの中軸にあった「拡張されたガリレオ主義」それ自体の正当性が揺るがされたからである。生成文法が示したのは、言語に関する科学が厳密な意味においてガリレオ主義的であるとすれば、言語は「自然による」ものだということであった。言語を「自然」へと還元することで、チョムスキーは実証主義という古典的な存在論に回帰した。そしてそれは、「自然による」/「慣習による」という伝統的な二項対立の再帰を意味するものなのである。

70年代以降の思想的潮流をこのように診断するミルネールの議論に、ある種のシニシズムを見ることには一定の妥当性があるだろう。しかし、もしそのような評価にのみ留まるとすれば、われわれは本書の核心を取り逃すことになる。ミルネールは第2部を結ぶにあたって、68年以降、構造主義プログラムの立役者たちが、それぞれの仕方で、反構造主義的なものと目されていた「変換」(transformation)の問題を議論の主軸に据えるようになったことを示唆している(p.236)。このことが意味するのは、構造主義の決定的な敗北であろうか。そうとばかりは言い切れないだろう。構造主義の祖、フェルディナン・ド・ソシュールは、07年から11年にかけて「一般言語学講義」を行なう傍ら、06年からの数年間にわたり、膨大な時間をアナグラム研究に費やしていた。スタロバンスキーが指摘したように、ソシュールにおいてこれら2つの研究が重要なかかわりを持つのだとすれば★3、構造主義というプログラムは、その淵源においてすでに、みずからの臨界を逸脱するような思想的な可能性と不可分だったのである★4。ミルネールが論じた他の思想家たちについても、おそらく同様のことがいえるだろう。とすれば、彼らによる反構造主義的な公理への旋回が示すものとは、構造主義がもともと内包していた他なる思想のポテンシャリティなのではあるまいか。

構造主義の問題機制を系譜学的にたどった『構造主義の周航』は、その担い手たちが織り成す認識論的布置を浮き彫りにするとともに、この布置それ自身のうちにおいて、いまだ知られざる思想の萌芽をもわれわれに垣間見せてくれる。人文科学の凋落が喧伝される今日において、「自然による」/「慣習による」という二分法を再編した構造主義というプログラムの限界と可能性を提示した本書は、人文科学と自然科学を越境するようなわれわれの知的な周航にとって、不可欠の海図となるだろう。



★1── Joan Copjec, Read My Desire: Lacan against the Historicists, MIT Press, 1994.(邦訳=『わたしの欲望を読みなさい──ラカン理論によるフーコー批判』梶理和子+下河辺美知子+鈴木英明+村山敏勝訳、青土社、1998)。
★2── 以上のようなガリレオ主義の定義について、ミルネールはカール・ポパーの『科学的発見の論理』(1934)に依拠している。
★3── Jean Starobinski, Les mots sous les mots: Les anagrammes de Ferdinand Saussure, Gallimard, Paris, 1971.(邦訳=『ソシュールのアナグラム』金澤忠信訳、水声社、2006)。そのような思想的可能性の探索こそ、ソシュールのアナグラム研究を参照しつつ、構造主義言語学の境界を超え出る「ララング」(lalangue)について論じたミルネールの著作『言語への愛』のテーマであった。
★4── Jean-Claude Milner, L'amour de la langue, Seuil, Paris, 1978.(邦訳=『言語への愛』平出和子+松岡新一郎訳、水声社、1997)。


ページの先頭へ