SITE ZERO Review | サイトゼロ レヴュー

待合室にて|阿部真弓 2006年09月19日

「わたしの思いは、つねに、永劫回帰へと立ち返る」。わたくしの思いは、ボルヘスの『永遠の歴史』に収められた「円環的時間」という文章の、この初めの一行のところに、時々、戻ってくる。永遠という感覚から、回帰という語から、この言い回しが蘇ってくる。違う類いの読書のあいだに、というのはたとえば、三島由起夫の『豊饒の海』の頁に重ねられていたのも、この一文であった。輪廻という観念が、思いを誘ったとして、まったく不思議でない。想起に至るたび、続きをことさら真剣に読むこともあれば、時には、ただ思い出すだけで、もう十分である。この文から発して、「図書館」の住人が、 永遠回帰をめぐる既存の説の整理をしながら、第三の「ただ想像的な解釈」へとたどり着いて、彼の想うそれが、同一のものの回帰ではなくて、類似したものの循環であることを記している、その短い文章は、マルクス=アウレリウスの『自省録』から、幾つも引用をしているうちに、展開されることもなく、あっというまに終わってしまう──「いかなる時の経過も、一年であれ、一夜であれ、そしておそらくは捕捉しえない現在であれ、完全な形で歴史を包蔵している」。

9月5日、欧州に着く。乗り継ぎ便を待ちながら、こうして5時間もの空き時間ができることは、さすがに珍しい。前の晩から、なにとはなしに、ひとり思いあぐねていたのは、3時間を超す待ち時間は、いくらなんでも長すぎるということであった。そうはいっても、空港は、前世紀の初頭、鉄道の駅舎がそうでありえたような「悲劇的な原形象」になることはない。反対に、地名が輝くという趣も、ない。たとえここが、しばし留るべき都市への入り口であったとしても、この構造に、都市を枠取るような、「抽出」するような力もなく、ひとつの「行き止まり」を感じさせてくれるということも、たぶんないだろう、という気がしてきて、わたくしは、「橋」という形象の、その喩のうちに、はいりこんで、いる。足が地面に届かない、この堅い椅子の上に落ち着き、レモン味のシュウェップスをちびちびと飲み、延々とも悠々とも続くはずの、この5時間が、わたくしの前にあって、ミュンヘンに比べても、実に陰気な、こうして灰色の諧調で塗り込められた、待合室にて、フィレンツェ行きの便を待っている。周りのドイツ人やアメリカ人たちは、株式市場についてしゃべっている。出発ロビーの席は、ほとんど中国人の家族連れで占められていて、その多くは、炊飯器の絵の描かれた段ボール箱を手にしている。これはミラノ行きでも、同じであるらしい。

清顕に答えて聡子が言う、「わたくしたちが歩いている道は、道ではなくて桟橋ですから、どこかでそれが終わって、海がはじまるのは仕方がございません」という、『豊饒の海』の『春の雪』中の台詞が浮かんできて、ボルヘスの永遠と聡子の桟橋とを、そうしてまた勝手に、ひとつにしていたのは、青いヨックモック・ビルの正面、南青山4丁目の観世家のなか、松岡心平教授に引率されて訪れた学生たちに混じって、能舞台を前にして、「橋掛かり」を眺めていた時のことである。窓にはプラダ・ビルの姿が切り取られて、ある。表通りから、ちょうどひと角分だけ横に入ったところには、青山墓地近くの家から坂を登り下りしながらやってきて、子供の頃通っていた、ソルフェージュ教室のあったことを思い出し、なにか「似通ったもの」が、ふたたび体験されている、ということが喚起されてきたのは、信州から戻った明くる日の、8月最後の日の午後のことであった。二拍子の謡の一節を、てほどきされて唄い終わった後の昼下がりに、足袋を履いて動きを学びならっていたわたくしたちに向かって、手にされた「扇の先からは、永遠に伸びてゆくエネルギーのようなものを、見るように」と、その「師」は告げていた。既視感の訳をすこし探ってみれば、かつて全く同じように、というのは20年前にも、紙に詞を書き取ることなく、口承で習ってはそのままに、わらべ謡を声合わせて唄っていたのであるから、同じ二拍子をとっては、歩を進めていた、というだけのことだった。子供たちは、輪になって、たとえば「さるのこしかけめたかけろ」を繰り返して口ずさみながら、じつに真面目な顔をして、白に近いベージュの絨毯の上を、くるくると廻り続けていたのであった。隣の待合室では、母親たちが、たいてい生徒の姉妹を連れて、稽古が済むのを待っていた。

漠としているようで、扇の先にあるのは、閉じられていた扇を、あらためて開くことであり、橋、桟橋ならば、水や大気のひろがりであり、もうひとつの岸であり、そのように、待ち受けているものを、海だとか空と呼ぶ。無、と名指す。舞台でのそれは、ただ舞台脇であり、そこでは、そこから出て、戻ってくる、「鏡の間」であって、先代たちの肖像写真がずらりと並べられた、その床の上を通り抜けてしまえば、薄いグレーの絨毯の敷き詰められた、いったい廊下とも部屋ともつかない空間が、待合室が、用意されていた。ともすると、先にあるものとは、いま玩ばれていた「扇」のような、たったいま渡っていた「橋」のようなものそのものであったかのようにも、後先になれば見えてくる、諸々の「出来事」の、途中に余韻や予感を挿んだ、記憶にほかならないのかもしれなくて、思いが立ち返る、ということが可能となるためには、「少なくとも一度は」忘れなくてはならない、というならば、それは、忘却ということとも、時には同義となる。歌や移動の最中、出来事の続くあいだ、忘却と想起とは、二拍子をなし、対となって、どちらか一方が、空き時間である、待合室である、というのではけっして、ない。どちらかが0で、もう片方が1で、あるいは、運動か休止か、ということでもなく、そのどちらでも、ある。そのような反復(か混沌)と回帰のなかでは、「忘れる」と、忘れかけている対象を「待つ」とが、なぜか似通った営みになってきてしまう、ということが起こりもし、目印になるような名や形象なくしては、互いの見分けさえつかなくなるということが、ありはしなかったか。 

(9月5日、フランクフルト)


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