SITE ZERO Review | サイトゼロ レヴュー

美術館参拝、ミュンヘン|門林岳史 2007年03月19日

ともに19世紀に選帝候ルートヴィヒ1世により創立されたアルテ・ピナコテークとノイエ・ピナコテークを抱えるミュンヘンは、ベルリンと並びドイツが誇る美術館都市であるが、2002年にはそこにピナコテーク・デア・モデルネが付け加えられた。それぞれ「古い」美術と「新しい」美術を展示する2つの美術館に対して、「現代/近代」を扱う美術館が新たに開館したのだから、パリのポンピドゥー・センター(1977)、ロンドンのテイト・モダン(2000)に相当する美術館を遅ればせながらミュンヘンも持つに至ったことになる。

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上から:
•アルテ・ピナコテーク/ノイエ・ピナコテーク/
ピナコテーク・デア・モデルネ(航空写真)
•ダン・フレイヴィン回顧展
•カール・ロトマン特別展
•サイ・トゥオンブリ個展

もっとも、これら2つの先行する美術館に対して、ピナコテーク・デア・モデルネの建築は素っ気ない。フロアを支える構造物や昇降機、空調など、いわば美術館の骨格と内蔵がすべて建物の外側に露出しているポンピドゥー・センターの建築と、火力発電所を改装したテイト・モダンの建築(その点では19世紀的なガラスと鉄の駅舎を改装したオルセー美術館の後継者である)が、それぞれのかたちで「芸術の展示のための機械/工場」を形象化しているのに対して、シュテファン・ブラウンフェルス設計のピナコテーク・デア・モデルネの意匠は、むしろ控えめに隣接する美術館群との関係性に配慮しながら、ひたすら茫漠と広い展示空間を与える機能に忠実である。だが、そのことこそが逆説的にも、21世紀に入ってついに20世紀のための美術館が完成したことを示しているのかもしれない。この美術館は、もはや形象化されるまでもなく端的に展示のための工場なのであり、おそらくそれこそがモダニズム/モダニティとして理解された20世紀を納める器としてふさわしいのだ。

この美術館がモデルネ・ピナコテークではなくピナコテーク・デア・モデルネと名付けられているのは、おそらく語調を整えるといった理由のみによるのではない。地階、地上階、1階の3層からなるこの美術館は、入場者がまずアクセスする中央のロタンダと、そこから対角線上にそれぞれ地階と1階にのびる巨大な三角形の階段によって分節されており、そのことによって近現代美術(1階)、デザイン・コレクション(地階)、建築とグラフィック(地上階)の展示が無理なくひとつの建物に納められている。すなわち、この美術館は「純粋」な20世紀美術のコレクションであることをやめ、むしろ「現代というもの」そのものの美術館なのであり、そのこと自体が、20世紀に芸術が被った脱中心化を範例的に示しているかのようだ。

1階のフロアでは現在、その半分ほどのスペースを割いて、ドナルド・ジャッドとともにミニマリズムの彫刻を代表するダン・フレイヴィン(1933─96)の回顧展が開催されている。蛍光灯を規則正しく配列する彼の光の彫刻は、光り輝くオブジェである以上に、会場を照らし出し、展示スペース全体をインスタレーションへと変容させる装置として捉えるのが的確であるように思われる。ここに見られるのはそうした図と地の反転であり、とりわけ、もはや展示室をはみ出してロタンダからのびる回廊に反復される一連の《V・テトリンのための〈モニュメント〉》(1964─)は、作品として屹立するよりもむしろ、美術館全体の調光と調和しつつ、展示スペース全体を覆い囲み縁どるフレームを与えているかのようだ。それに呼応して、フロアの残り半分を占める常設展の一部は「光のための作品」としてささやかな展示替えが行なわれている。マン・レイに始まり宮島達男に終わるその展示がただただ適切なものであるのに対し、ドイツ表現主義からヨーゼフ・ボイスまで、ドイツの作家を中心に20世紀の美術の展開を追う残りの常設展は、もはやこの美術館の本来の機能への言い訳でしかないように見える。

美術館は元来、美術作品からそのサイト・スペシフィシティを剥奪することによって成立しているのだが、そのことによってむしろ、国民芸術を称揚する場所としてそれ自体が新たなサイト・スペシフィシティを獲得するに至ったのであった。しかしながら、例えばビルバオのグッゲンハイム美術館(1998)の成功に例証されるように、美術館のポリティクスの近年の展開においては、そうしたナショナリティへの参照すらもはや問題ではなくなってきているようだ。美術館は、参照項を欠いたままそれ自体として礼拝価値を持つに至ったのである。

そのことを例証するかのように、ノイエ・ピナコテークでは、ギリシアを旅したミュンヘンの画家カール・ロトマン(1797─1850)の特別展「10トンのヘラス──カール・ロトマンのギリシア連作」が開かれており、旅先でのスケッチと水彩画が油彩画に結実する過程や、第二次世界大戦の戦火による絵画の傷みを修復する過程が、美術館創立当初最も重要なコレクションと見なされたギリシア風景画の当時の展示を再現する一室とともに展示されている。ゲルマン的なギリシア憧憬の系譜を喚起するとともに美術館自身の伝統を祝うこの展示は、19世紀のブルジョワ的な美術館の起源を自己参照することで括弧に入れて前景化している。他方でアルテ・ピナコテークの一角ではサイ・トゥオンブリ(1928─)の彫刻の個展が開催され、新/旧の区分を攪乱している。画家としてますます重要視されつつあるこの芸術家の近年の彫刻作品をまとめて観ることができるこの機会は実際貴重であり、カタログではジョルジョ・アガンベンが、彼の作品(Untitled, Gaeta 1984)に刻印されたリルケのエレジーを注釈しながら、リルケとトゥオンブリに通底するヘルダーリン的な上昇と下降の「中間休止」に「可能な表題なき(Untitled)メシア的瞬間」を読み取っていもするのだが、閑散とした会場を通り抜けたあとではその言葉もいくぶん空疎に響かざるをえない。

しかしながら、いずれにせよ私が訪れた時期、ミュンヘンはカーニヴァルのただなかにあり、観光地化された旧市街の中心部がめいめい仮装した人々で溢れているのに対して、そこからやや離れた場所に位置する美術館群はすっかりマージナライズされていたのである。


追記
帰国後、1月にオープンした国立新美術館を訪れた。ただ「新」とだけ自己規定するこの美術館はそもそも常設コレクションを持たないのだから、多目的展示会場と呼ぶほうがふさわしい。そのことを、真にポストモダンな美術館がついに実現されたと捉えるべきだろうか。あるいは、しばしば語られるようにポストモダンとはモダンな諸条件のラディカルな追求にほかならないのだから、むしろ美術館が博覧会と分かちあう19世紀的起源を想起するのがふさわしいだろうか。ともあれ、常設コレクションを持たない美術館などここ日本においては目新しいものではなく、そのことは同じく六本木に一足先にオープンした森美術館も同様である。この美術館では展覧会のチケットは展望台への入場券を兼ねており、展覧会場はむしろ、六本木近辺の見晴らしにたどり着くための迂回路と捉えるほうが的確である。おそらく、必ずしも広い関心を集めるとは思えない現代美術の企画展を経済的に成立させるひとつの戦略なのだろう。シニカルになっているのではなく、むしろ主催者の狡知に喝采を送りたいくらいであるが、このようにして浮き彫りにされる美術館の経済的条件にはその裏面がある。すなわち、美術館を併設していることはそれ自体、観光客を呼び寄せる都市の文化アイコンとして、礼拝価値を高めるためのひとつの条件──必要条件とは言わないにせよ──なのである。


Dan Flavin Retrospective (Pinakothek der Moderne, München: 23.11.2006-8.4.2007)
Carl Rottmann - 10 Tonnen Hellas (Neue Pinakothek, München: 25.1.2007-29.4.2007)
Cy Twombly | Skulpturen 1992-2005 (Alte Pinakothek, München: 5.4.2006-18.2.2007)



門林岳史 Takeshi Kadobayashi
1974年生。表象文化論・メディア論。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程修了、日本学術振興会特別研究員。言説の認識論的な布置を 同時代の科学技術や文化との関わりから分析することを主な研究のフィールド 及び方法としている。論文=「G・Th・フェヒナーの精神物理学──哲学と心 理学の間、精神と物質の間」、「メディアの幼年期──マクルーハンのテレビ 論を読む」、「探偵、バイオメトリクス、広告──『マイノリティ・レポー ト』に見る都市の時間と空間」など。http://homepage.mac.com/kanbaya


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