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《私たちはライン河を訪れる》──バゼリッツ回顧展から|長友文史 2006年10月30日

「われわれはイメージなしには思考することができない」(アリストテレス)のが仮に確かであるならば、イメージそれ自体はおそらく選別の問いとしてその執拗さを増す。他のしかじかのイメージではなく、なぜこのイメージなのか。なぜこのイメージとともにこのわれわれがあるのか。たとえばバゼリッツの絵画を前にするとき、この小声の痛切な問いがわれわれのもとにふたたび舞い戻ってくる。

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「バゼリッツ──唯一の情熱、絵画」展
カタログ

この夏、スイスのローザンヌではゲオルグ・バゼリッツGeorg Baselitzの回顧展が開かれていた。イメージの権能をたえず問い続けるこの作家の旺盛な活動に見通しを得るにはまたとない機会である。1970年代に「新表現主義」のひとりとして迎え入れられたこの画家が回顧の対象となるのはこれがはじめてではないものの、とはいえ「具象を上下逆さまに描く画家」という符牒から理解が多く進んでいるともいえまい。今回、作家蔵の絵画を中心にした約100点が年代を追いつつ「手法」ごとに整理され、独自の探求の所在があらためて示されることとなった。

バゼリッツの実践とはおそらく、彼自身「メソッド」と呼ぶ「手法」の発案とその展開の線上にとらえることができよう。この点、明快な展示方法は妥当なものである。部屋ごとにまとめられた展示にしたがい、画面を断層よろしく分割した最初期のシリーズから近年の装飾文様と具象モチーフとが互いに干渉するシリーズまで、各手法の展開とその内的な論理が把握される。しかしこの明確な区分に反して──あるいは、むしろそれゆえに──一貫して通底する傾向もまた認めねばならない。それぞれの「手法」それ自体は習熟を要求せず、汎用的なものばかりであり、あるいはまた粗いマチエールや表現主義的な色彩(彫刻の場合には鋸と斧による削り跡)も単に記号として用いられているにすぎないにもかかわらず、それらを組み合わせた果て、ぎりぎりのところで読解を拒む不穏なものが姿をあらわすのである。

このあたりの機微は、たとえば《私たちはライン河を訪れる》(1996)に容易にみとることができるだろう。集団肖像であるこの大作(縦3メートル、横4メートル超)は、作家の子供時代の家族6人をモデルとする。父母兄弟一人ひとりの不当なまでに巨大な頭部が、例によって倒立して描かれ、強烈なピンク色のさなかに漂っている。その色彩は肉色とするにはキッチュにすぎ、見開かれた大きな目は戯画化され、線描の輪郭はどこまでも軽いのに、それでも鑑賞者がどこか切実な呼びかけをうけとるとするならば、それはどうした逆説だろうか。この家族肖像については、作家自身の口から語られる制作のエピソードを想い起こしておく必要があるだろう。当時バゼリッツは、東ドイツ時代の機密文書を閲覧し、若き日の自分にスパイの嫌疑がかけられていたと知る経験をもったのであった。1934年、東側に生まれ、のちに西ドイツへ亡命し、現在、ヨーロッパの各地に制作の拠点をもつ画家にとって、歴史とはわけても皮肉である。かつての「私」はのちの私が知るであろうことを知りえず、現在の「私」は過ぎ去った時を当時の言葉ではもはや語れない。われわれの世界はいくぶんにも破線的である。おそらく、この集団肖像が触れるのはこうした歴史の論理であろう。遠く記憶の像として残る「私たち」はついに出来事を画す「ライン河」を訪れる。西側の世界史の流れの渦に巻かれた往時の「私たち」は、消費可能な手法とその挑発的な色彩によってのみ、反語ながらに、触れえない私的な領域、「アンティーム(intime)」な残余をこちらに差し出すのである。

上下逆さまに描く手法とは、そもそも、なじみのあるイメージに適用されるときにもっとも効果を発揮するのではないだろうか。たとえ倒立して描かれても樹木は樹木であり、断層のように分断して描かれても牛は牛であるという像の経験は、その像を歪める力とともにある。バゼリッツの絵画は、こうした像をめぐる力の場に貫かれている。穴のあいた靴下はそれだけで絵画であると述べるのはほかならぬ画家自身であった。バゼリッツが、彼一流の挑発のかたわら、どこまでもアンティミストでありつづけるのは、掻き消されつつある像からのわずかな目配せに応答するその所作ゆえにほかならない。

ある奇抜な手法がその目新しさのみにて語られるならば、それは端的に失敗であろう。目新しさはあくまでも耳目をそばだたせる「罠」にすぎず、そこから何かを引き出すにはその罠に一度捕らわれてみるよりほかにない。バゼリッツの絵画も、爾後、上下逆さまの画家という符牒から踏み込み、イメージの探求としてふたたび問われる必要がある。そのとき、彼の探求が前衛の論理から人類学的なイメージへの関心へ──アフリカの彫刻の蒐集や現在の身振りに対する「考古学的」なまなざしへ――と接続するその軌跡があらためてたどられることになるだろう。


「バゼリッツ──唯一の情熱、絵画(Baselitz: Une seule passion, la peinture)」展(エルミタージュ財団[スイス・ローザンヌ]2006年6月30日─10月29日)


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