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「一神教」と翻訳をめぐって|柿並良佑 2007年11月29日

2007年7月7日、エティエンヌ・バリバールは、モーリス・ブランショをめぐるコロックで発表するために訪れたスリジー・ラ・サルで、自分の書いた一本の論文が日本語に訳されるという話を耳にした。それは「政治哲学者バリバール」というイメージからするとやや唐突な観のある主題、「一神教」を扱ったものであった……。

deguy

上:Critique, n° 704-705
下:Transeuropéennes, N°22

「一神教という言葉の起源と用法に関するノート」(以下「一神教ノート」と略記)と題されたバリバールの論文は、その名のとおり、「一神教」(monothéisme)という言葉の歴史をたどる試みである。そのなかで、われわれがいささか無自覚に使用してしまう一神教─多神教という対概念が不十分なものであるばかりか、この対の片方は歴史を下り(少なくともキリスト教圏内においては)近代になって初めて用いられるようになったことが明らかにされていく。ここでの争点は、キリスト教が自らを「一神教」と名乗るまでに乗り越えねばならなかったいくつもの障害を示すことにある。その障害のひとつはニカイア公会議で異端とされたアリウス派と自らを差別化するために、正統派キリスト教の方は容易に「一神教」を自らの呼称として採用できなかったことに起因する。他方では、三位一体を教義として抱え込んだキリスト教は多神教とも区別されねばならず、いわば内部と外部の敵に対して理論武装を行なわねばならなかった。「キリスト教は一神教と多神教から等しく距離を置いていた」(アンリ・コルバン)のである。「一神教」という曖昧な身分が近代においてキリスト教の自己規定として反転していく過程を、バリバールは特にシェリング、シュライアマハー、コントらの著作に見出し、「一神教」概念そのものの「発明」を明らかにしようとする。他の「一神教」であるユダヤ、イスラームとの差異には簡単に触れるにとどめられているものの、近代において「他者」の像を介することにより真正な一神教としてキリスト教が自己規定されていくというオリエンタリズム的な契機も本論文の隠された支柱であろう。

それにしても今なぜ「一神教」なのだろうか。フランスに限ってみても「一神教の発明」「一神教の誕生」といったタイトルを冠する著作は数多い。「不寛容」という紋切り型の観すら呈している批判に晒されてきた一神教内部からの神学者たちによる分析もあれば、一神教の起源を探る歴史家による試みもある。強力な否をつきつけられた一神教に倫理の可能性を見出そうとする試みがある一方、他方ではその可能性に疑義がさしはさまれる。一神教の批判と擁護の中道を行くと称するものから、さらには精神分析家による考察にいたるまで、この主題はすでに宗教や歴史の専門家だけのものではなくなっている。一神教をめぐる関心の高さをうかがい知ることができよう★1。

一神教そのものの起源をめぐる歴史的な研究において「唯一神」概念の誕生が追跡され、制度としての一神教の成立過程がたどられ、あるいはまたその核心にある「書物」の誕生が丹念に調査されるなかで、根本的に問われていなかったのが、そもそも一神教という「言葉」および「概念」はいつ、どこで、どのように成立したのか、という問題である。一見、単純に思われるこの問いが、複雑な事情と歴史を抱え込んだものであることは、今回訳出した「一神教ノート」を読めばすぐにおわかりいただけるであろう★2。

なおバリバール自身が「一神教ノート」の背景を説明してくれたので、以下に要約しておきたい★3。まず、この論文は雑誌『クリティック』による「神」特集号への寄稿依頼を直接の契機としている。一神教をめぐる哲学的な仕事としては、友人であるジャン=リュック・ナンシーの「キリスト教の脱構築」があるが、ナンシーが身につけた宗教的=キリスト教的教養とは疎遠だったバリバールは、自ら神学者や歴史家の著作を数多く紐解く必要があった。だがその過程で目にした「一神教」という言葉の曖昧な使われ方は著者を満足させるものではなく、またその歴史ないし「起源」についても決定的な典拠に行きつくことはできなかったために、自らがその「歴史」の再構成作業を行なうことになったのである。

その作業のなかでも特に注目した人物としてバリバールが挙げたのがヤン・アスマンとスタニスラス・ブルトンであった。前者はハイデルベルク大学でエジプト学を講じ、自らの著作(とりわけ後で触れる『エジプト人モーセ』)において、一神教が「真」と「偽」という「モーセ的区別」を導入した、従来の宗教に対する「反―宗教」である、とするテーゼを打ち出して多くの議論を呼び起こした人物。後者は20世紀フランスのキリスト教哲学を代表する「最後の形而上学者」(ピエール・アド)であり、バリバールの師であるアルチュセールの友人にしてバリバール自身も交際があったブルトンの死(政教分離法制定から100年目にあたる2005年)は、キリスト教における「単一性」概念をめぐるブルトンの仕事に強く惹きつけられているバリバールを促す大きな力となったようだ。この二人の仕事を共に視野に入れながら一神教問題に取り組むという大胆な企てが『クリティック』に掲載された論文である。

政治哲学者としてのバリバールと「一神教ノート」の執筆者バリバール。そこにはギャップが感じられるのだが、という訳者のいささかナイーヴな質問に、バリバールは「現在のヨーロッパで宗教に関心を持っていない人なんていないよ。同じ質問をあなたたちに返すことで答えようか。あなたたちは『宗教』についてどんな考えをいだいているかい?」と答え、政教分離、世俗化等々、10ものテーマについてこれからやりたいことが山ほどあると熱心に語ってくれたが、今後書きたいと言っていた著作のなかには宗教についての研究も含まれているようだった。一神教をめぐる論考は、そうしたこれからの仕事を垣間見せてくれるもののようである。以上が簡単ながら「一神教ノート」の背景である。

ところでアスマンをめぐるフランスでの状況だが、すでにバリバール自身がアスマンの研究を紹介する短い論考「ヤン・アスマンの仕事のいくつかの争点」★4を雑誌『トランスウーロペエンヌ』(第22号)に発表している。その冒頭でバリバールは、アスマンの著作『エジプト人モーセ』の仏訳版によってその仕事が専門家の狭い世界から抜け出すきっかけになると述べているのだが、その影響の一端を見ておこう。『トランスウーロペエンヌ』の次号には、フェティ・ベンスラマとジャン=リュック・ナンシーの対談が掲載されているが★5、この対談は編集長ジスレーヌ・グラッソン・デショームがイニシアティヴをとったものであり、彼女がまず引き合いに出したのがアスマンの『エジプト人モーセ』であった。この対談は一神教どうしの、さらには一神教と他の宗教との「翻訳(不)可能性」をめぐるものだが、当のアスマンがまさに、不寛容な一神教と寛容な多神教という紋切り型を避け、神々の名の「翻訳可能性」を語っているのである。翻ってみればバリバールの論考が載っている『トランスウーロペエンヌ』は「翻訳すること、文化のあいだで」という特集を組んだものであり、また近著『ヨーロッパ、アメリカ、戦争』のなかでも「キリスト教的」ヨーロッパ内部での翻訳の問題に言及がある。「一神教ノート」ではこうした翻訳(不)可能性への関心が前面に押し出されたのだと考えることもできるだろう。

最後になるが、著者から補足的なコメントをいただいている★6([追記])。本来なら論文末尾に組み込むべきであったが、到着が締め切りに間に合わなかったので、この場を借りて全訳掲載させていただく。書籍版『SITEZERO/ZEROSITE』No.1の本文とあわせてご覧いただきたい。



追記
本稿の発表後、寛大にも数人の読者がドイツ哲学の諸著作に見られる「一神教」の用法に関して補足的な言及を寄せてくれた。特にカントは「学部の争い」の準備草稿(1798)で、モーゼス・メンデルスゾーンによる「一神教の擁護」に言及しており、またヘーゲルは『エンチクロペディー』(1830年版)、および『宗教哲学講義』(1827年度)において何度かトマス・コールブルックに言及している。ヘーゲルが参照しているのは、1805年以降の『アジア研究』のなかで、コールブルックがどのようにして「ブラフマン」の「一神教」としてのヒンドゥー教を提示しているかである。こうした参照によって、少なくとも今のところは、私が提示した見取り図を根本的に再検討しなければならないというわけではない。とはいえ、これらの道筋をたどっていくことも必要だろう。それらが、西洋における一神教概念の発明の「オリエンタリズム的な」図式と私が名づけたものに具体的な形を与えてくれることもあると思われるからだ。──エティエンヌ・バリバール



訳者による補足
上記コメントで言及されているように、ヘーゲルは『エンチクロペディー』(「精神哲学」、§573)や、「ヴィルヘルム・フォン・フンボルトによる、『マハーバーラタ』中の「バガヴァッド・ギーター」の名で知られる挿話について」(1827)のなかでコールブルックの名および「一神教」という語に言及している。そこで問題となっているのは一神教─多神教という対よりはむしろ一神教─汎神論という対である。また『哲学史講義』でインド哲学を論じるくだりでもコールブルックの名が繰り返し見受けられる。
1783年、イギリスのW・ジョーンズ(1746─94)がカルカッタの高等法院判事として赴任し、翌84年にベンガル・アジア協会(Asiatic Society of Bengal)を創設してインド学の礎石を置き、同協会から雑誌『アジア研究』(Asiatic Researches)が発行されインド研究が始まる(同年には東インド会社の書記C・ウィルキンズ(1749─1836)が『バガヴァッド・ギーター』を直接英語に翻訳する)。こうした環境を拠点として、インド古典研究を進めていたのがコールブルック(Henry Thomas Colebrooke, 1765-1837)であった。彼はイギリス・東インド会社の設立者の息子であり、ジョーンズの事業を継承・発展させ、法典、宗教、文法学、数学など多方面に精通し、特にインド言語学・考古学の基礎を築いた。ヘーゲルとコールブルックの関係を追った研究として、さしあたりMichel Hulin, Hegel et l’Orient, Vrin, 1979を挙げておくが、同書には先に触れたヘーゲルのバガヴァッド・ギーター論が訳出されている。近年では、P. GarnironとW. Jaeschkeによる『哲学史講義』(インド哲学が言及される箇所に関しては、G. Marmasseによる部分訳がある。Leçons sur l'histoire de la philosophie, Vrin, 2004)や『宗教哲学講義』の校訂版(邦訳は山崎純氏の手になる『宗教哲学講義』[2001]が創文社から刊行されている)によって、過去の版では埋もれてしまっていたコールブルックへの言及等が明確に分かるようになっている。




★1──訳者の目に留まったものだけでも、以下のような著作が挙げられる。Shmuel Trigano, Le monothéisme est un humanisme, O. Jacob, 2000; Le christianisme est-il un monothéisme ?, Labor et Fides, 2001; Daniel Sibony, Nom de dieu : par-delà les trois monothéismes, Seuil, 2002 ; Jean Soler, L'invention du monothéïsme, de Fallois, 2002 ; André Lemaire, Naissance du monothéisme : Point de vue d'un historien, Bayard, 2003; Katell Berthelot, Le monothéisme peut-il être humaniste ?, Fayard, 2006. またエーリク・ペータゾンの『政治問題としての一神教』(1935)が仏訳されたことも付け加えておくべきだろう(Erik Peterson, Le monothéisme : un problème politique, Fayard, 2007)。
★2──なおバリバールの論考に先駆けた研究として、ジル・ドリヴァルによる「一神教、宗教と哲学のあいだで」を挙げておく(Gilles Dorival, « Le monothéisme, entre religion et philosophie », in Thierry Fabre (dir.), Dieu, les monothéismes et le désenchantement du monde, Rencontres d'Averroès, Parenthèses, 2005, pp. 15-27)。そこでも一神教という「言葉」の歴史についての考察がみられる。バリバールの論文と比べればその分量は半分に満たないものの、ドリヴァルの論考は「宗教的一神教」と「哲学的一神教」という概念的図式を提示するとともに、専門のギリシア語・ギリシア文学の立場からバリバールの論文とも照らし合わせるべき、いくつかの有益な情報を提供している。なお、ドリヴァルは先に触れたペータゾンの仏訳にも共訳者として名を連ねている。
★3──訳者が渡名喜庸哲氏とともにバリバールを訪ねたのは2007年9月9日である。本レヴュー採録にあたって目を通してくれた渡名喜氏に感謝する。
★4──« Quelques enjeux du travail de Jan Assmann », Transeuropéennes, Paris, N° 22, 2002. この論考の直後にはアスマンのインタヴューが掲載されており、そこでアスマンは著書『エジプト人モーセ』(原著1999年。フランス語訳は2001年。2003年に文庫化)が与えた「多神教の擁護」という印象が自ら望んだものではなかったとはっきり語っている。またこの著作が引き起こした反論に応じた『モーセ的区別』(2003)も今年2007年に仏訳されている。また、「一神教ノート」と同じく『クリティック』の「神」特集号に掲載されたNicolas Weillの論考(« Le « traumatisme amarnien » ou l'origine de l'antisémitisme et du monothéisme »)は、フロイトの『モーセと一神教』をめぐるイェルシャルミ、デリダらの議論の文脈にアスマンの著作を位置づけている。
★5──Fethi Benslama et Jean-Luc Nancy, « Du nom au neutre – Les traductions du monothéisme », in Transeuropéenns, N°23, 2003. この対談は後に« Traductions des monothéismes »という題でDéclinaisons du monothéisme, Erès, 2006に収められている。
★6──今回の翻訳に関して著者自身と連絡を取る機会を与えてくれたのは、スリジー・ラ・サルでバリバールと会った郷原佳以氏である。記して感謝する。



柿並良佑 Ryosuke Kakinami
1980年生。哲学、表象文化論。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。現在、パリ第10大学(ナンテール校)に留学中。「存在─神─論」をめぐる研究に従事。論文=「ボードレールと(反)政治神学」、「神名の存在論」など。翻訳=ジャック・デリダ×ジャン=リュック・ナンシー「責任──来るべき意 味について」(共訳)


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