ピエール・ソヴァネ『ギリシアのリズム──ヘラクレイトスからアリストテレスへ』(Pierre Sauvanet, Le rythme grec. D'Héraclite à Aristote, Paris, PUF, 1999.)は、「リズム」という言葉のポテンシャルを耕すために、その古い姿であるギリシアの「リュトモス(rhuthmos)」ないし「リュスモス(rhusmos)」概念を復権させつつ、今日流布している「独断的」リズム論のクリシェを「批判」していくという著作である★1。
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Pierre Sauvanet, |
けれどもソヴァネが狙っているのは、こうした〈メタリュトモーズのメタフィジック〉を、断固として非プラトン主義的に展開することである。すなわち、理想的モデルとしてのコスモスに「調和」させるべく、ポリスの内を「ユーリズミー」(善きリズム:eurythmie)に整えるのではなくて、むしろ価値づけ未定の、そのたびの個体化として試される「変身」において、規範的「道徳」ならざる「倫理=生態」を問うこと、そこにこそリズム論の、いわばアナクロニックな未来があるのだ。
マルクス・アウレリウス曰く、途方に暮れたときは「すぐに自分を取り戻し、リズムを失ってはいけない」——「そこによく立ち戻るほど、汝は調和[harmonia]の主となるだろう」★3。しかしストア派のこんな箴言において、本当に〈プラトン主義の転倒〉が起こっているかどうか、微妙なところではある。「リズムを失わないこと」——それは、大文字の「秩序」のミメーシスではなく、即興的な「調子」合わせとして、くりかえし試し打ちされる〈ミメーシスのミメーシス〉なのだろうか?……ところが厳しく価値中立、いや価値創出的なリズムは、直後の「調和」(harmonia)に滑り込み、そこでこっそり、「ユーリズミー」に化けたように思えなくもないのである。
ハーモニーとリズム——この二つは、音楽において明らかに別物だが、哲学的なコンテクストにおいては、どこか分身的でありながらズレを孕む、厄介な一対である。ソヴァネによると、たとえば「季節のリズム」や「宇宙のリズム」といった比喩は、けっしてギリシア的なものではない。「われわれに伝えられたどんなテクストにおいても、リュトモスという語は、コスモロジーの文脈には出てこない(たとえばハルモニアとは異なって)」(p. 7)。むしろ「リズムは、音楽的であれ『形態的』であれ、つねに身体性、物質性、感性に結びついたままである。人間的領域において、リュトモスに固有の意味は、こうしてエートスのそれと共鳴する」(ibid.)。しかしそうだとしても、アトムのリズムにコスモロジーの含意がないとは言えないし、こうした曖昧さはストア派に関しても否めない。ハーモニーとコスモス、リズムとノモス、これら二つのセリーを切り離すにしても、それはじつのところ、交通を禁じるためではないのである。
問われるべきなのは、むしろ互いを共鳴させるためのメディア、とりわけ「アナロジー」という方式である。プラトンもそこに属する伝統——コスモスの本質は、秩序の代理=表象(ピタゴラス学派における単純な整数比など)に比べられ、それが人間的領域の理想形に比べられ、これら類似の関係=比について協和と不協和を測ること……アナロジカルなハーモニー、それはピタゴラス以来、「音楽」というものがコスモスとノモスの交通を「比喩的に解き明かす」ための仕掛けであった。しかしまた別のしかたで、それでも響きを交通させるチャンスを考えることはできないだろうか。ハーモニーからリズムへ。いや、アナロジカルなハーモニーから、リズムへ。問われるべきなのは、いたずらに攪乱し破壊するリズムでも、いっそう強力に接着しひとつにするリズムでもない。アナロジーの効力を全面的に変えてしまうような、リズムそれ自体の、リズムとハーモニーの、ハーモニーとリズムの変身——おそらくは何事も変わらないような回文的変身——において、釣り合うことなきコスモスとノモス、ノモスとコスモスの〈分身〉を聴くこと。
★1——ピエール・ソヴァネは一貫して「リズム論」(rythmologie)をテーマとしてきたフランスの若手研究者であり、ボルドー第3大学助教授として美学を教えている。ほかに博士論文『リズムと理性』全2巻など(Le rythme et la raison 1 et 2, Paris, Kimé, 2000.)。
★2——J. P. Dumont, Les présocratiques, Paris, Gallimard, « Pléiade », 1988, p. 861 (Démocrite, B33).
★3——Marc Aurèle, Pensée, VI, 11, trad. A. -I. Trannoy, Paris, Les Belles Lettres, 1925, p. 55.