SITE ZERO Review | サイトゼロ レヴュー

『SITE ZERO/ZERO SITE』No.3「ヴァナキュラー・イメージの人類学」刊行|
企画主旨:門林岳史
2010年05月27日

イメージ人類学(ジョルジュ・ディディ=ユベルマン、ハンス・ベルティング etc.)とヴァナキュラー文化論(ミリアム・ブラトゥ・ハンセン、ジェフリー・バッチェン etc.)。これら2つの近年活発になりつつある批評の言説は、おそらく大文字の芸術を肯定的に語ることが批評的意義を失った現在のアートをめぐる知的状況をマッピングするにあたって範例的な意義を持っている。大文字の芸術の最終形態としてのモダニズムへの信仰告白というかたちをとった芸術批評のスタイルは、おおむね80年代にポストモダニズムという考え方が登場して以来、批判にさらされてきた。美術史/美術批評の文脈でいえば、一方ではオクトーバー派のモダニズムの神話を脱構築する一連の美術批評があり、他方ではニューアートヒストリーによる制度論的な「芸術」という規範の問い直しがあった。

イメージ人類学とヴァナキュラー文化論という2つの構想も、そうした「芸術」規範の問い直しというプロジェクトの延長線上に理解することができる。一方でイメージ人類学は、イメージをめぐる太古からの人類の実践を、「芸術」という近代以降遡行的に再定式化された規範に包摂することなく新たに語りなおそうとするプロジェクトである(もっとも、そこには「芸術」を自然化することで、先行する諸言説が投げかけた「芸術」という近代的な神話への批判をかわして、人類学的な圏域に「芸術」を温存するという反動的身振りにもなりかねない懸念はある)。他方でヴァナキュラー文化論は、芸術運動における前衛としてのモダニズムに対して、それと並行して社会に浸透していたモダニティというプロセスを浮上させ、モダニズム/モダニティが分ちがたいカップリングを作っていたという視座をもたらす。モダニズムの運動も、資本主義経済や産業化、複製技術の社会への浸透といった同時並行していたモダニティのプロセスと切り離して考えることはできない。そういう観点からモダニズム/モダニティを再考することで、モダニズムの神話を別のかたちで問いなおす企図をヴァナキュラー文化論は持っている。

これまで比較的独立したかたちでそれぞれに議論が交わされてきたイメージ人類学とヴァナキュラー文化論は、以上のように近代以降規範化されてきた「芸術」という理念の問い直しという点で、異なる領域に異なる問題関心でアプローチしながらも、共通の批判的企図を持っているように思われる。本特集は、これら2つの言説の来歴を顧みつつ、両者が交錯する領域に開かれる新たな問いの可能性を模索する。


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