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ボーイ・スカウトの絶対肯定的世界観|デヴィッド・リンチ『大きな魚を捕まえる』『エア・イズ・オン・ファイアー』|柳澤田実 2007年11月12日

デヴィッド・リンチの最新作『インランド・エンパイア』の公開に合わせ、美しく装丁された2冊の書籍が出版された。2006年に出版された『大きな魚を捕まえる』★1は、リンチが30年以上に渡って実践している超越瞑想(Transcendental Meditation)に関する書籍であり、『エア・イズ・オン・ファイアー』★2は、2007年の3月から5月にかけてパリのカルティエ財団現代美術館で開催された回顧展の大部なカタログである。リンチは自らの作品を解説することや批評家によって解釈されることを嫌うので、これらの書籍にはこれまでの彼の映像作品に対するいわゆる作者解説は記されてはいない。シネマとは「抽象的な」(abstract)ものであり、音楽のように楽しむべきだという彼の主張は、さまざまなインタヴューにおいても一貫している。

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デヴィッド・リンチ
『大きな魚を捕まえる』
『エア・イズ・オン・ファイアー』

確かにリンチの作品を解釈することは難しい。それは彼の作品が難解だからではなく、むしろ極めてオーソドックスなエレメントによって構成されていることによる。殺人、家庭内暴力、SM、幼児期の記憶、畸形、狂人、秘密結社、異教的集団、産業革命以降の重化学工業、木材、ハリウッドの黄金時代等々。これらはアメリカの現代文学においても頻繁に繰り返されてきたモティーフであり、しばしば粗悪なシミュラークルとして日本のサブカルチャーにさえ登場している。殺人の動機付けもまた、妻の浮気や同性への嫉妬など、メロドラマの王道的なテーマが多い。リンチの特異性は、こうしたティピカルなインデックスから、凄まじい強度のイメージ連鎖が惹起される点にこそあり、またそれらの一見したところは「暗い」(dark)イメージが基づく絶対的に肯定的な質感にこそある。つまるところこれらの書籍が詳らかにするのは、極めてユニークなテクスチャー(質感)を生みだす、もはやユーフォリック(=多幸的)とさえ呼びたくなるような、リンチの肯定的な世界観にほかならない。

『大きな魚を捕まえる』では、魚に譬えられるアイディアを、純粋な意識(pure consciousness)の大海から生け捕りにする方法が語られている。リンチにとって、瞑想とは、この生け捕り=直観(intuition)のために欠くことのできない日常的な実践である。リンチは、ストレスが創造性(creativity)に悪影響を及ぼすことを確信しており、毎日20分の瞑想はこうしたストレスやあらゆる否定性(negativity)を退却させると述べる。新プラトン主義をはじめとし、あらゆる神秘主義的な体験を語る際に登場する共通のターム、「一性」(unity)、「幸福感」(happiness)、「親密さ」(familiar)は、リンチが瞑想の経験を語る表現として本書に幾度も登場する。リンチの考えでは、しばしばその生涯の悲劇性ばかりが強調されるヴィンセント・ヴァン・ゴッホもまた、苦しみ(pain)ではなく幸福(happiness)を、自らが絵画を描く動機としていたのだ(同書、94頁)。

リンチのこうした肯定性への志向は、リンチの生涯を語るうえで欠かせないもうひとつのエピソードを連想させる。『エア・イズ・オン・ファイアー』の最後に掲載された、リンチの極めて簡潔なバイオグラフィカル・インフォメーションにはこうある。「デヴィッド・リンチ、1946年生まれ、ミズーラ州モンタナ生まれ、イーグル・スカウト」。これだけが記された頁の隣には、幼いデヴィッドと現在の彼と瓜二つの父親が材木を持って微笑んでいるモノクロ写真が掲載されている。毎日スーツにテンガロンハットといういでたちで出勤したという、農務省所属の研究者であった父親を通じ、リンチは森や木材に親しんでいた。そのような環境に育ったリンチが、自然のなかでの青少年の育成をモットーとするボーイ・スカウトに入団したことは想像に難くはない。彼が履歴として記した「イーグル・スカウト」とは、米国のボーイ・スカウト組織で、21個以上の勲功バッジを受けた団員のみが入団できる上層組織である。このあたりの事の次第は、インタヴュー集(『デヴィッド・リンチ』第2版、フィルムアート社、2007)に詳しい。このボーイ・スカウトというグローバルな組織は、たとえば『ツイン・ピークス』の地元の秘密結社「ブックハウス・ボーイズ」などに代表されるようなモティーフ上での影響のみならず、リンチの根本的な世界観に絶大な影響を与えているように思われる。

ボーイ・スカウトは、彼が現在基金まで立ち上げてその普及に尽力している超越瞑想と全く同様に、驚異的な肯定性に満ちた、ある意味宗教的とさえ言える結社である。1907年にイギリスの陸軍中将ベーデン・パウエルによって始められ、今や一部の社会主義国を除く世界中に広まっているボーイ・スカウトの目標とは、「ずばり、世界平和だ」(「ボーイ・スカウト日本連名ホームページ」★3より)そうだ。その論理は明快で、要するに「あいての国に友達がいたら、戦争なんかしない」というわけである。「瞑想する時、共感、他者への感謝、他者を助ける能力が高められる」(『大きな魚を捕まえる』169─170頁)という公明正大なリンチの主張が、世界中のボーイ・スカウトが皆唱えられるというスカウトの誓いの2項目「いつもほかの人々をたすけます」と呼応しているのは、単なる偶然ではないだろう。重要なのは両者の影響関係というよりもむしろ、多くの宗教がかった平和思想が共有する感動的なまでの論理の単純さであり、そのシンプリシティをリンチもまた強く支持しているという事実である。

ボーイ・スカウトが地元密着で活動するように、リンチもまた、基本的に自らの「近隣」(neighborhood)にしか関心がない。The Air is on Fireの225頁以降に収録された1980年代の終わりから90年代の初頭にかけて制作された油彩画はすべて、彼が魅惑されて止まない「近隣」の美しくも「地獄のような思い出」(hellish memories)を源泉としていると言われる(同書27頁のインタヴュー)。また、『ブルー・ベルベット』や『ツイン・ピークス』、そして最新作の『インランド・エンパイア』において、「近隣」という限定された空間が物語の発端となっているのは言うまでもないだろう。とかく夢や内面的世界ばかりがその解釈の糸口とされるリンチであるが、彼の内面的世界を構成するのは、彼が愛着する「近隣」という限られた一区画であり、また身近な身の回りの物にほかならない。彼は限定された対象に近づき、観察の限りを尽くす。まさしくこの徹底したクローズアップこそが、彼の対象に対する絶対的肯定の態度である。

「ぼくは必ずしも腐敗する死体を愛しているわけではない。しかし、腐敗する死体には驚くべき質感(texture)がある。きみは、腐った動物を見たことがあるか? ぼくはこうしたものを見るのが好きだ。丁度木の切り株や小さな虫やコーヒーカップや一切れのパイをクローズアップで見るのが好きなのと同じくらい。近づけば、質感(textures)はよりいっそう素晴らしい」(『大きな魚を捕まえる』121頁、訳は筆者による)。

徹底したクローズアップは、質感=テクスチャーを捕らえ、その素晴らしさがあらゆる否定性を排除してしまうという極めてシンプルな論理。ポリティカル・コレクトネスを求める多くのインタヴュアーは、平和を主張しながら暴力的な映像を撮り続けるリンチの態度は矛盾しているのではないかと彼に尋ねる。こうした問いに対するリンチの答えは往々にして曖昧であるのだが、上記のような「質感=テクスチャー」のエチカこそが、リンチの首尾一貫した肯定性を根拠づけているのは間違いがないだろう。

『インランド・エンパイア』ラストで「シナーマン」をBGMに女たちが踊るシーンの圧倒的な多幸感は、世界の質感=テクスチャーに魅了され、絶対的に世界を肯定するリンチの映像世界が、今後いっそう留保なく展開していくことを予感させる。本作からソニーのDVカムという手軽な道具を手に入れた、スカウト(=偵察兵)のなかのスカウト、デヴィッド・リンチは、前人未踏のハッピーエンドの領野へと足を踏み入れていくことになるだろう。しばらくはこれらの2冊の書籍と、近々DVDとして再販される『火よ、われと共に歩め』(邦題=『ツインピークス ローラ・パーマー最後の7日間』)とともに、次に彼のカメラが捕らえる世界の報告を心待ちにしたいと思う。




★1──David Lynch, Catching the Big Fish; meditation, consciousness, and creativity, Tracher/Penguin, 2006. 未訳。
★2──David Lynch, The Air is on Fire, Foundation Cartier pour l'art contemporain, 2007. 未訳。
★3──http://www.scout.or.jp/mokuteki.html。設立当初、軍隊をモデルとしていたボーイ・スカウトは、ナチス・ドイツのヒットラー・ユーゲントや旧ソ連邦のピオネールにも影響を与えたが、第二次世界大戦後以降は軍隊的ニュアンスを払拭し、徹底して平和主義的な団体へと変貌したとされる。その矛盾した歴史、今日に至るまでの世界規模の普及力など、ボーイ・スカウトもまたそれ自体かなり面白い考察対象であるのは間違いがない。



柳澤田実 Tami Yanagisawa
1973年生。東京大学総合文化研究科博士課程修了。現在、南山大学人文学部専任講師。哲学、キリスト教思想専攻。宗教的経験や美的体験など、従来人間の「精神活動」として捉えられてきた事柄を、行為と環境との相関関係において捉えなおすための方法論を探求している。『SITE ZERO/ZERO SITE』No.1「特集=病の思想/思想の病」では特集企画を務めた。


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