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    <title>自由度を上げ、より「よく生きる」ために──自編著『ディスポジション──配置としての世界』（現代企画室、2008）｜柳澤田実</title>
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    <published>2008-06-30T09:26:18Z</published>
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    <summary>自由なものが最終的に腕力に負けるのを見るのは悲しい。2006年のワールドカップで...</summary>
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        自由なものが最終的に腕力に負けるのを見るのは悲しい。2006年のワールドカップでアルゼンチンはドイツに敗れ、あまつさえ数日前にはポルトガルまでドイツに屈してしまった。フィジカルの強さに頼らず、他者に巧みに選択可能性＝スペースを与えることよって展開する自由度の高いサッカーに、筆者は希望を感じる。あえて乱暴に言わせていただくならば、この希望を語るための概念がディスポジションである。
        <![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="2" align="right">
<tr>
<td><img alt="concept" src="http://site-zero.net/image/review/concept.jpg"  align="right" width="300" height="459" border="0"></td>
</tr>
<tr>
<td align="right">
<p class="cap">ディスポジション概念図</p>
</td>
</tr>
</table>
ディスポジションとは、dis（離れて）position（置く）ことに由来する言葉で、一義的には「配置」を意味し、そこから転じて「配置」によって生じる「傾向」や「可能性」、人間を配置することとしての「習慣」などの意味を含む多義的な概念である。私は本書の中心的コンセプトである「ディスポジション」を、主にサッカーと競馬を愛好する自身の経験から得た。サッカーのボール運びや競馬における騎手と馬を見ているうちに、ものごとをうまくいかせている複雑な関係性や配置を分析してみたくなったのが始まりである。絵画においても、フレームを前提とした構図（コンポジション）という原理ではなく、描かれている個々の事物同士の関係がばっちりうまくいっているということが何を意味するのか知りたくなった。建築はまさに周到な配置そのものであるように思われたし、人間同士のコミュニケーションもまた上述のサッカーのダイナミズムと類比的に捉えられるように思われた。このような個々の事態について入念に分析することによって、私たちが生きているなかで思いがけず実現してしまっている可能性を見て取ることはできないだろうか。強い自己意識や意志を前提として、善／悪、正義／不正、規範を大仰に議論する以上に、より前向きで現実的なモデルを創出することができないだろうか。このように考えたわけである。

以上のようなヴィジョンをもって、自身が尊敬する同世代の理論家／実践家に研究会への参加を依頼し、本書が生み出された。権力論の論客としても著名な萱野稔人さん、生態心理学に基づき人々の生活を捉えるための哲学を展開している染谷昌義さん、デザイン・エンジニアの本間淳さん、17─18世紀の西洋思想に基づき人間形象の変遷について探求している大橋完太郎さん、制作行為としての建築を幅広く研究している東辻賢治郎さん、思考の方法としての音・映像の布置について研究し、批評および制作活動もしている平倉圭さん、近代日本の建築・都市について歴史的研究を行なっている天内大樹さん、そして編著者の柳澤の計8名のテキストが本書を構成している。留学や就職など参加メンバーの身上の変化により、最終的な原稿が揃うまでにはずいぶんと時間が掛かってしまったが、編者としては、その間に、この概念を導き手にすることの意義について思考が深まった。詳細はぜひとも本書の序論をご覧いただきたいのだが、20世紀の哲学においてはもっぱら分析哲学の専売特許であるこのディスポジションという概念の系譜は、古代ギリシアのアリストテレスにまで遡る。それ以来（いやおそらくはそれ以前も）、一貫してこの概念は人々の日常的な言語用法のなかに生き続けてきた。この概念が人々の思考の背後に退いたのは、事物の配置が人間の意識や主観に回収されてしまった近代以降のことである。力関係や価値もまた、事物の配置によって生み出されるものではなく、主観的な構成物になってしまったのだった。こうした思想史の経緯を知り、今改めてディスポジションを掲げることは、近代的な合理主義や主観性、あるいはそこから由来した値相対主義に抵抗することであるという確信を得た。世界の実在性を認め、その複雑性に粘り強く対峙し、そこに潜在する可能性（ディスポジション）を発掘することは、古びているわりにはちっとも解決されていない近代の超克という課題に対して、新たな展望を拓くのではないか。

本書は、ディスポジションという概念を導き手とする探求のはじまりである。先に「粘り強く」と言ったが、実際この探求はこれからも継続されなければ意味がないし、編著者としては、願わくは多くの方々にこの方策を共有していただきたいと願っている。ディスポジションを探求することとは、現状に配置を見出して、ただそれを追認することではない。膠着した現状の配置を知ることは、それを再配置することによって潜在する力を発現させるための条件となる。ディスポジション的探求は、現実に潜在する可能性の発見と採掘にこそ、人間の創造性があることを信じる。暴力的なエゴイズムを容認させる「天才」ではなく、周囲の潜勢力を活かす「達者さ」「発明の才」を信じる態度と言ってもよいだろう。本書が、より「よく生きる」ために世界を再配置したいと願う人々にとって、何らかのヒントになればこんなに喜ばしいことはない。6月21日に開催された刊行イヴェントでは、本書の探求に対して、岡崎乾二郎氏、小林康夫氏、藤村龍至氏が素晴らしいプレゼンテーションによって応答してくださった（ちなみに「発明の才」については非常に多くのことを岡崎氏に教示していただいた）。モダニストからの揺さぶりは覚悟のうえで、ディスポジションによる探求はすでに再出発している。
<br>
<a href="http://liv-well.org/disposition/" target="_blank">>>ディスポジション | 配置としての世界 特設サイト</a>
<br>
<td><table  border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" bgcolor="#f3e5e5">
<td><span class="t12 style2"><strong>柳澤田実　Tami Yanagisawa</strong></span> 
<span class="t10 style2">1973年生。東京大学総合文化研究科博士課程修了。現在、南山大学人文学部専任講師。哲学、キリスト教思想専攻。宗教的経験や美的体験など、従来人間の「精神活動」として捉えられてきた事柄を、行為と環境との相関関係において捉えなおすための方法論を探求している。『SITE ZERO/ZERO SITE』No.1「特集＝病の思想／思想の病」では特集企画を務めた。
</span></td>
</table></td>]]>
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    <title>SITE ZERO Review「自由度を上げ、より「よく生きる」ために──自編著『ディスポジション──配置としての世界』（現代企画室、2008）｜柳澤田実 」を更新しました。</title>
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    <published>2008-06-30T00:49:20Z</published>
    <updated>2008-06-30T10:34:35Z</updated>
    
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    <title>リアリズムはお腹の中に──アブデラティフ・ケシシュ『クスクス粒とボラ（La Graine et le mulet）』｜須藤健太郎</title>
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    <published>2008-05-15T07:58:10Z</published>
    <updated>2008-06-30T10:23:09Z</updated>
    
    <summary>今年度のセザール賞の話題が、オスカーとダブル受賞したマリオン・コティヤール（『エ...</summary>
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        今年度のセザール賞の話題が、オスカーとダブル受賞したマリオン・コティヤール（『エディット・ピアフ 愛の賛歌』主演女優）に収斂してしまうとしたら、それはあまりに悲しい話だと言わなければならない。なぜなら、前作『身をかわして（L&apos;Esquive）』（2004）に引き続き、アブデラティフ・ケシシュ監督の新作『クスクス粒とボラ（La Graine et le mulet）』が、作品賞をはじめ、監督賞、脚本賞、新人女優賞と、見事4部門での受賞を果たしたからである。クロード・ベリが製作に回り、前作に比べて大きい予算で作られた作品だとはいえ、非職業俳優を数多く起用し、上映時間も2時間を超える本作が大衆的な人気を獲得したことは驚くべきことだ。老舗の映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』『ポジティフ』両誌にロング・インタヴューが掲載され、週刊誌『レ・ザンロキュプティーブル』は、彼に責任編集を依頼し特集号をつくるなど、批評から暖かく迎えられただけでなく、観客動員数も75万人を超える勢い。ヴェネツィア映画祭での受賞に加え、ルイ・デリュック賞も獲得したケシシュの新作が、日本でもいち早く公開されることを願いたい。
        <![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="2" align="right">
<tr>
<td><img alt="La_Graine_et_le mulet" src="http://site-zero.net/image/review/La_Graine_et_le mulet_2.jpg"  align="right" width="200" height="464" border="0"></td>
</tr>
<tr>
<td align="right">
<p class="cap">上：『クスクス粒とボラ<br>（La Graine et le mulet）』<br>（2007）<br>
下：『ヴォルテールのせい<br>（La Faute à Voltaire）』<br>（2000）</p>
</td>
</tr>
</table>『クスクス粒とボラ』は、アブデラティフ・ケシシュにとって、3本目の長編映画である。1960年チュニスに生まれ、6歳の折り、家族とともに南仏ニースに渡って、そこで成長した彼は、ニースの演劇学校に通った演劇畑の映画作家である。はじめは俳優として映画の世界へと参入した彼は、この作品に出演することも考えていたようだが、自身の父親をもとに造形したともいうスリマン役には、当初、自身の父親を考えていたとのこと。つねにいくつもの企画を抱えているというケシシュがこの脚本を書き上げたのは、長編デビューの『ヴォルテールのせい（La Faute à Voltaire）』（2000）より前のことだった。南仏マルセイユが舞台だったクレール・ドゥニの『ネネットとボニ』（1997）で忘れがたいアリス・ウーリに加え、ブリュノ・ロシェやサブリナ・ウアザニなど、ケシシュ映画を支えてきた俳優たちが集結した本作は、念願の企画の実現と言っても過言ではないだろう。

舞台は南仏の港町セート。長年働いた造船所を突然クビになったスリマン（ハビブ・ブファレス）は、別れた妻のもとに集まる家族からもないがしろに扱われている。何かと親身になってくれるのは、現在の愛人スアドの娘リム（ハフジア・ヘルジ）だ。スリマンは、彼女に助けられながら、古い船を買い取り、そこでクスクス・レストランを開こうとする。しかし、それにはクリアしなければならない問題が山積している。行政上、司法上、そして金銭面での困難。このレストランの企画がどれほどいいものであるか、町の人々を説得するため、彼は一夜だけの宴を開くことを思いつく。映画は、一人無口な父親スリマンを中心に、子供たち、孫たちを含めた彼らの饒舌な言葉のやりとりを映し出していく。そう、『ヴォルテールのせい』では、チュニジアからフランスに移民した青年とその友人たちの姿を、『身をかわして』では、パリ郊外に住む高校生たちを描いたケシシュが今回取り上げるのは、南仏に住むアラブ系の大家族なのである。

しかし、監督自身が示唆するように、父親スリマンを中心に集まる家族の姿がフランク・キャプラの名作『我が家の楽園』（1938）を想起させるところがあったとしても★1、キャプラの作品に見られた楽天的とも言える大らかさと比べると、『クスクス粒とボラ』の用意するラストがそれとは遠く隔たったものであることは認めなければならないだろう。前作『身をかわして』においても、いや『ヴォルテールのせい』からすでに健在だった、ケシシュの現実をどこか冷たく突き放す視線がこの作品にも貫かれているのだ。ミシェル・シオンはその著書『シラノ・コンプレックス──フランス映画における話し言葉』において、ケシシュを「運命論者」とすら呼んでいる。『身をかわして』における、マリヴォーの『愛と偶然の戯れ』を演じる高校生を指導する教師の発言に顕著なように、ケシシュの登場人物は自らが規定された社会条件から抜け出すことができない。『愛と偶然の戯れ』には、「愛」も「偶然」もない。結果として、貧しい者が貧しい者に恋をし、金持ちが金持ちに恋をする。マリヴォーがここで描いているのは、自らの身分を偽ることはできても、けっしてそこから逃れることができない過酷な現実なのだと教師は熱く語っていたのだった。

「舞台の上で、あたしは扇子ってるから（Je suis sur scène et je suis en train de m'eventailler）」。リディア（サラ・フォレスティエ）が練習中にクリモ（オスマン・エルクハラズ）に口にする台詞に見られる、「扇子（eventail）」を強引に動詞化させたこの造語からも明らかなように、この映画には言葉遊びが満ちあふれている。「この造語は気が利いている。それに、『身をかわして』は、リディアがこの言葉を意識的につくり出したように見せている。この映画が見せるのは、貴婦人のように着飾ることが嬉しくてならない彼女の姿なのである。一般的に正しいとされている『仰ぐ（s'eventer）』という動詞と比べて、『扇子ってる（je m'eventaille）』という言い方は、いくつもの単語へと愉快な連想を誘うことだろう。『けんか（bataille）』という単語だけでなく、『ちびっ子（marmaille）』や『ごろつき（canaille）』、そしてもちろんここでしばしば口にされる『クズ野郎（racaille）』や、それのヴェルラン★2である『カイユラ（caillera）』などと」★3。しかし、シオンはここでの言葉遊びが単に愉快なものであるだけではなく、それが同時にある種の社会性を帯びることを無視することができないのだ。彼らの話す言葉は、たちどころに彼らの住む社会、彼らがパリ郊外に暮らす若者たちであることを雄弁に物語ってしまうのである。既存の言語の枠を食い破るかに見える若者たちの言葉遊びも、それが特異なものであるがゆえに、彼らがある社会的な環境に条件付けられていることを一方で指し示している。だから、『ヴォルテールのせい』が、ジャレル（サミ・ブアジラ）のチュニジアへの強制送還で唐突に幕を閉じたように、『身をかわして』が用意するのもまた、何も変えることができなかったクリモの諦念を示す、もの悲しいラストだったのである。

しかし、ケシシュの映画の魅力がそういった「運命論」的な現実を示し、あわよくばそれを糾弾することにあるなどと早とちりすることは慎まなければならない。なぜなら、『身をかわして』の試みは、言語に関わるものであると同時に、演出とスタイルの探求でもあったからである。エロディ・ブシェーズやサミ・ブアジラといった名の通った俳優を起用した『ヴォルテールのせい』が、スタイルのうえでも非常にオーソドックスなつくりをしていたのと比べると、『身をかわして』に見られるスタイル面での飛躍を誰もが認めざるをえないだろう。目と口さえ映っていればOKとも見えかねない、極端な顔のクロース・アップの素早い切り返しの多用によって、物語が語られていく。それゆえ、登場人物は空間から乖離し、その空間を把握することが難しくなっている。リセ、舞台稽古の行われている広場、あるいは彼らの住むHLM（低家賃集合住宅）が近いのか、遠いのか、その位置関係は観客にまったく明らかにされないまま映画が進んでいくのである。かつて、若き日のジャック・リヴェットが断言したように、「クロース・アップは、空間の関係性を省略」してしまうのだ★4。

だから、カメラがいくら人物に寄っているからといっても、それが、いわゆるドキュメンタリー的な効果を狙わんとしたものではないことも同時に理解しなければならない。画面の連鎖を見れば明らかなように、けっしてイマジナリー・ラインを誤ることのないここでの切り返しは、これが巧妙に構築されたものであることを自ずと主張している。撮影に一夏のヴァカンスをまるまる費やし、その大半をリハーサルにあてたという『身をかわして』において、彼がこのように映画を組み立てたことを看過することはできない。彼は、ほとんど上演可能なまでに俳優たちを演出しながら、それをひと続きに収めることなく、むしろ細かく割っていく。たった2つのカメラで離れた場所からズームを使って撮影していくケシシュの手法は、カメラの軽量化に伴い、人物を追跡するようになった流行りの手法とはむしろ対極的なものなのだ。『愛と偶然の戯れ』という劇中劇を配した『身をかわして』は、こうして、暴力的な言葉の交錯と、素早い視線の交換という不可視のものを、いや、そのタイトルを借りて言えば、なかなか把捉することのできない「身をかわして」いくものを、現実の空間からは切り離された抽象的なフィクション空間の上に立ち上がらせていたのだった。

ふたたび動きを取り戻した『クスクス粒とボラ』のカメラは、それこそひとり寡黙なクリモの瞳の動きが乗り移ったかのように、きょろきょろと素早く移動することで、人々の会話を捉えていく。顔のアップばかりの印象の強かった前作と比べると、『クスクス粒とボラ』では、港町のロケーションを生かした全景ショットも見られるのだが、例えば、別れた妻の作るクスクスに家族一同が会するシーンには、前作での「実験」が十分生かされているだろう。言葉そのものをめぐるここでの会話劇が、これまた素早い切り返しとカメラワークでもって構築されている。本作では、前作での試みがさらに推し進められているのである。

一夜限りの宴、なんとか成功へと導かなければならないこの宴の最中、炊きあがったクスクス粒をトランクに詰め込んだまま、息子マジド（サミ・ジトゥーニ）が失踪してしまう。次期市長候補の妻と浮気をする彼は、こんな場所にこれ以上いられないのだ。クスクスの登場を心待ちにする招待客たちは、怒りを露わにし始める。息子を探しに、ひとり原付を乗り出すスリマン、そしてなすすべなく途方に暮れる娘たち……。このとき、突然灯りが消えたかと思うと、舞台上で、肌も露わなリムが、ミュージシャンたちの演奏に合わせ、ダンスを披露し始めるのだった。船の改装や料理の手配など、スリマンの家族が集結して開かれたこのパーティに行くのをためらう愛人スアドとリムは、遅れてやってくる。しかしその2人が、このピンチを救うべく立ち上がるのだった。リムの腹踊りが、招待客たちの一時の空腹を忘れさせる。『クスクス粒とボラ』は、原付を盗んだ少年たちを追い回し疲労のうちに消尽していくスリマンと、踊るにつれてますます生気を帯びていくリムとを平行モンタージュで捉えていく。

これを、死と生のあまりに図式的な対比と片づけるのも可能かもしれない。しかし、平行モンタージュが、異なる空間の同時性を示す格別の映画技法であったことを想起すれば、ここでケシシュが導入しようとしているのが、紋切り型の二項対立というより、空間と時間に関わっているものであることが明らかになるだろう。『身をかわして』が、マリヴォーの流麗なフランス語と郊外のスラングとが対比される一方、スタイルの探求でもあったことを思い出せば、ケシシュがあくまで映画技法に意識的なのは明瞭である。そもそも、スリマンの船内レストランが、愛人スアドの経営するカフェの向かいに開かれることに顕著なように、ここでは、前作では意識的に排除されていた空間的な相互の位置関係が、ないがしろにされてはいなかったのである。

だから、言葉にならない叫びと身体とが拮抗する、この見事なダンス・シーンが、微視的にリムの剥き出しのお腹を捉えるショットと、観客と化す人たちとのカットバックで成り立っていたことを見逃してはならない。レストランが視線の交差する文字通りの劇場空間と化しているのである。映画が空間の芸術であるか、それとも時間のそれであるかという連綿と続く議論を想起するまでもない。つまり、映画が新たに身体を獲得するために、ここでは、不可視のものに拘泥するあまり前作が失うこととなった空間と時間が取り戻されている。まるで、リムが運動と身体を備えた「女優」として生成していくのを祝福しているかのように。頬が自然に紅潮し、腹の肉が、小刻みに震えている。

「すべてが、驚異的な存在感と的確さを獲得している。しかし、何より際立っているのは、やはり、年老いた長老たるハビブ・ブファレスの気高さ（…中略…）であり、そして、この小さな爆弾たるハフジア・ヘルジの血気盛んな激しさである。彼女が現われるたびに、スクリーンに電撃が走るのである」とセルジュ・カガンスキは書いている。そう、言語を軸に、厳密な画面連鎖による知的構築物を作り上げた前作から一転、『クスクス粒とボラ』は、身体の官能性へと捧げられているのだ。ジャン・ルノワール、マルセル・パニョル、モーリス・ピアラ、ジャック・ロジエ。そもそも、名だたる「フランス映画」の巨匠を召還せずにはいられないカガンスキは、その興奮を隠すつもりなど持ち合わせていないのだろう★5。身体が、腹が、肉が、揺れている。そのことが、ひたすら感動的なのである。しかし、それにはアドリアーノ・アプラの次のような言葉を思い起こすだけで十分だ。「ロッセリーニのネオレアリスモとは何か？  ロッセリーニは現実など信じていない。彼が信じるのは、現実の彼方にあるもの、例えば星々の間にあるものであり、もしくは、現実の下に隠れているもの、例えばお腹の中にあるもの、胎盤の中にあるものである」★6。今回、映画のために15キロの増量をしたハフジア・ヘルジが、あたかも妊娠しているかのように見えたとしても不思議ではない。


<br>
<strong>作品データ</strong>
『クスクス粒とボラ』La Graine et le mulet
監督：アブデラティフ・ケシシュ
製作：クロード・ベリ
撮影：ルボミール・バクチェフ
出演：ハフジア・ヘルジ、ハビブ・ブファレス、ハティカ・カラウイ、アリス・ウーリなど
2006年／151分／35ミリ／カラー
公式サイト：http://www.lagraineetlemulet-lefilm.com/

<br>
<strong>註</strong>
★1──「このお伽噺はキャプラを思わせます。例えば『一日だけの淑女』ですが、何か影響はありますか？」という質問に対して彼は、次のように答えている。「ええ。キャプラの映画には、幸福な思い出がいくつもあります。彼の映画には家族というものが満ち満ちているのです。例えば『我が家の楽園』ですね」。«Entretien avec Abdellatif Kechiche», dans Cahiers du cinéma, No.629, décembre 2007, p.19.
★2──逆さ言葉。後ろから言葉をひっくり返して作られるスラングの一種で、verlanという言葉自体が、「逆さまに（à l'envers）」のヴェルランである。その始まりは17世紀に遡るとも言われるが、現在、若者たちの間で頻繁に使用されている。例えば、女性を指すfemmeをmeufと言ったりする。
★3──Michel Chion, Le Complexe de Cyrano: La langue parlée dans le cinéma français, Éd. Cahiers du cinéma, 2008, p.166.
★4──Jacques Rivette, «Nous ne sommes plus innocents», dans Bulletin du ciné-club du Quartier Latin, janvier 1950, repris dans Hélène Frappat, Jacques Rivette, secret compris, Éd. Cahiers du cinéma, 2001, p.66.
★5──Les Inrockuptibles, No.628, 11 decembre 2007, p.54.
★6──Cité dans Tag Gallagher, The Adventure of Roberto Rossellini, Da Capo Press, 1998, p.297 (trad. fr. de Jean-Pierre Courodon, Les Aventures de Roberto Rossellini, Léo Scheer, 2006, p.411).

<td><table  border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" bgcolor="#f3e5e5">
<td><span class="t12 style2"><strong>須藤健太郎　Kentaro Sudoh</strong></span> 
<span class="t10 style2">1980年生。映画史。横浜国立大学博士後期課程在籍。
</span></td>
</table></td>]]>
    </content>
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    <title>親密さの2形態──「アルド・ロッシのために」「画家ベルニーニ」両展｜東辻賢治郎</title>
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    <published>2008-01-28T08:24:39Z</published>
    <updated>2008-05-16T03:03:03Z</updated>
    
    <summary>昨年末に訪れていたローマで、表題の2展覧会を見る機会があった。いずれも扱われてい...</summary>
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        昨年末に訪れていたローマで、表題の2展覧会を見る機会があった。いずれも扱われている芸術家の業績の全体からいえば、余白とはいえないまでもあくまでも副次的な部分に重心をおいたものでありながら、想像以上にそれぞれ印象深いものであったので、旅の覚え書きという体裁ながら報告させていただく。両展とも立体を主たる──あるいは公的な──活動分野としていた芸術家の、平面との関わりが扱われている展覧会である。
        <![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="2" align="right">
<tr>
<td><img alt="bernini-rossi" src="http://site-zero.net/image/review/bernini-rossi.jpg"  align="right" width="200" height="443" border="0"></td>
</tr>
<tr>
<td align="right">
<p class="cap">上：「画家ベルニーニ」展パンフレット<br>
下：「アルド・ロッシのために」展告知<br>（筆者撮影）</p>
</td>
</tr>
</table>「アルド・ロッシのために──10年を経て」と題されていたのは、昨年に没後10年を数えた建築家アルド・ロッシのドローイングと模型の展示である。展示されているのはDARC（イタリア文化財・文化活動省の現代建築・美術部門）とMAXXI（イタリア国立21世紀美術館、現在ザハ・ハディドの設計による新館がローマに建設中である）のコレクションから、1964年から1997年まで、つまり期間でいえば彼が実作に関わっていたほとんどの期間のものである。とはいえ、展示空間自体はきわめて簡素な、規模の小さなもので、内容もドローイングが数十点、模型が十点ほどであったと記憶する。建築家の仕事の展示として、それぞれのプロジェクトが理解されるに十分な情報が与えられる構成というよりは、比較的大判の作品化されたドローイングが固有のコンテクストから切り出されて並べられているという印象で、それらと対応しているのはどうかも俄には判断しがたい木製の模型がところどころに置かれていた。<p>

ドローイング、と書いたが、線、そして色面の多いロッシの表現は、図面であると同時にコンセプトドローイングであり、時には同時に個人的な〈落書き〉としか思えないものも併存するもので、建築家の思考（試行）の軌跡としては自由な印象を与える。建築の形態を具体的に扱ったものにしても、たとえばアルヴァロ・シザのようにドローイングに残る手の軌跡を空間へと昇華させることへのある種フェティッシュ的な執着は感じられない。こうした印象は作品集等を通じてロッシの筆致に触れているわれわれの想像を裏切るものではなかった。しかしコピーされた図面の切片、貼り付けられた異種の紙、夥しい線、さらに水彩による彩色が執拗に重ねられたその紙面は、ドローイングというよりはむしろコラージュ作品であって、定規で描かれた図面と、手の軌跡と、コーヒーポットや犬の形などが互いに逸脱し続けるものというより、それらすべてが重なりあうものであった。色面と黒々とした描線が嬉々として折り重なる様が、観る者のうちに、子供のような、という感想をもたらすことは自然なことであるように思われた。その脆く重ねられた紙のマチエールは少なくとも複製を通じては知ることができなかったものであり、手の生々しさはきれいに払拭されているにも関わらず、日光にさらされた直後のような乾いた暖かみが残っているように感じられた。

展示物は上述の機関がローマに保有するアーカイヴからのみ選ばれたものであって、少なくとも今回の展示がレトロスペクティヴとして企画されたものではないことは明白である。後日知ったところによれば、このコレクション自体は2001年、つまりロッシの没後にDARCが得たもので、ロッシが最期までミラノで手元に置いていたものであったようだ。この「アルド・ロッシ個人アーカイヴ」の収蔵品の全貌を紹介する展覧会がすでに2004年に開かれ、目録が編まれている★1。そもそも、ローマはロッシの業績のうえでも人生のうえでも特別の舞台ではなかったはずで、街角でこの展覧会の告知（というより会場そのものを示す掲示であったのだが）を見つけたときには、ローマでロッシの名を目にすることに若干の奇妙なものを感じないわけではなかったが、そのような事情で展示品はミラノに由来するものであるらしい。「アルド・ロッシのために」、そして「10年を経て」という慎ましい展覧会の題目もこうしたある種の遠さに向けられたものだという一旅行者の理解は、果たして正しいものだったろうか。今回の展示には、フリーハンドの描線が目立つドローイングなどのロッシの個人的な色彩が豊かな、いわば作品性のあるものに加えて、標準的な図面の形式をとったものも含まれていたが、そのいずれも不思議とスケール感や実務的コンテクストから離脱した頼りなさを宿していた。こうした印象は、建築家がとりわけそれらを最期まで手元に置いていたこととも関係があるのではないだろうかとも思われた。その頼りなさの印象は、用に供することとも、作品化されることとも異なる作家と所産の親しい関係の名残であったのかもしれない。

帰り際に管理人らしい人物を探し当てて、暗い物置のような場所に積まれていたカタログを受けとってみると、それは図版のカタログというよりは小さなポスターの束のようなものであって、展覧会の規模に似つかわしくないほどに美しいものだった。大延ばしにされて切り取られたロッシのドローイングの裏面に、よく知られた名から挙げれば安藤忠雄、カルロ・アイモニーノ、ピーター・アイゼンマン、ラファエル・モネオ、パオロ・ポルトゲージ、アルヴァロ・シザ、ダニエレ・ヴィターレといった面々、あるいはロッシのスタジオで協働した少なからぬ建築家が寄せた証言（カタログには「友の証言testimonianze degli amici」とある）を認めるに至って、やはりこの展示は静かで、親密なイヴェントであったのだとの思いを強くし、それはなぜかいかにもこの建築家にふさわしいように思われた。

「画家ベルニーニ」と題された展覧会は、建築と彫刻を通じてよく知られるジャン・ロレンツォ・ベルニーニの画業に焦点をあてたもので、この〈画家〉がボッロミーニとともに建設に携わったバルベリーニ宮で開催されている。ベルニーニの仕事の全体にとって絵画があくまで副次的ものであることは知られているが、はじめて彼の真筆と認められているその絵画「すべて」が一同に会した今回の展覧会は、彫刻・建築の大家の知られざる一面、というありきたりなもの珍しさと無関係にひじょうに興味をそそられ、そして幻惑させられるものだった。なお今回新たに行なわれた、いくつかの作品に関する既説を覆すアトリビューションについては、その根拠は史料に基づくものではなく様式的な分析やベルニーニの特徴の解釈に拠るものであって、その意味で野心的な試みであるとする論評もあるが、この点に関する議論はほかに譲りたい★2。ベルニーニの真筆とされたもの16点、さらに彫刻1点、ドローイング10点とベルニーニ以外の画家の作品を含めて全部で30点あまりからなる小規模な展覧会である。

ベルニーニの絵画は依頼を受けた仕事ではなく、余暇に自身の楽しみとして嗜んだもので、したがって自由で、私的で、親密なものであるということはよく言われる。しかしながらけっして多くはないカンヴァスの並びを見ていると、そうした「余技」とか趣味的な慰みの残滓としてそれらを見ることへの甘い期待は見事に裏切られるのであって、しかも、それは「余技を越えた」力量がそこに認められるから、というわけでもない。なにしろ絵画として一応の「完成」を画家とわれわれが一致して認めうる、いわば「安心」して向き合うことのできる画布などほとんどないのである。その大部分を占めるのは、なによりも「顔」と、人間の相貌、とりわけそれを形づくる表面に向けられた執着の痕跡であるといって過言ではない。

7枚の油彩による「自画像」がある。そのうちの4枚は《自筆による自画像》、残りのうち2枚は単に《自画像》というタイトルを冠している。「自筆自画像」という呼称は、かつてはいずれも「自画像」とされてきたもののうちの3枚は実のところベルニーニ門下の画学生らが課題として描いたものだということがどうやら判明したため、それらと区別して呼ぶためのものである。展覧会場の初めの部屋におかれたその真筆の4枚の印象があまりに強い。それらは非常に似た構図をとり、物質的な対象としての顔の造形とマチエール、そしてごく僅かな表情の差異に揺るぎない注視が向けられている。そのやや横を向いた己の顔貌を見据える視線の透明さが忘れがたい。あたかも数十分の1秒の間の微細な表情の変化を追った連続写真のようにも見えるその4枚が、じつのところ数十年の長きにわたる時間軸の上に散在しているという事実が、むしろあまりに奇妙で、おもわず髭や髪の変化などを探して視線が彷徨う。そして、残りの「自画像」3枚は、自らの顔を、弟子らにほとんど自画像のように描かせたものだという。自らによるあまりに似通った複数の「自画像」と、真筆と誤解さえされてきた異なる手に描かせた「自画像」が隣り合っておかれ、すべてのベルニーニの視線が観る者に絡まり続ける空間は、4、50分もあれば一通りみられる展覧会の規模とは裏腹に予想以上の体力を必要とするものであったと告白しておこう。

思えば、没後十年、と題しているうえに作品を集める手間もかからないはずのロッシの展覧会が、その年の暮れも迫ってからようやく開かれていたのは、いずれも建築家や批評家として多忙を極めているであろう25名を数える「友」たちの証言を集め、訳し、編集することに費やされた時間の結果であったのかもしれない。そう思えばこの展覧会がまさしくロッシのために編まれたものであったという得心がいく。これは「たまたま建築家であった詩人」に時間を経て応える複数の声を編むための機会であったのだろう。

やや日が経って、触れようのない場に去った「友」を語るということ、そしてそのことのみが互いの言葉を同じ場に集わせるという、来訪者もほとんどない展覧会の近傍で静かに行なわれた編集作業がもたらした出来事への偶然の出会いと、素朴な親しさとは無縁のところで、己の顔をほとんど他なるものであるかのように捉え、あるいは他人にまで「自らの顔」を捉えさせようとする過程が残した一群の「自画像」がようやく互いを見つめているという奇妙さの感触をともに記憶のうちに確かめようとしたとき、それらがなぜか滑稽で真正な「親密さ」の2つの形態であったように思い返そうとしていることに気がついた。

<br>
<strong>会場・会期：</strong>
・「アルド・ロッシのために──10年を経て」（per Aldo Rossi, dieci anni dopo）
Accademia Nazionale di San Luca, Piazza dell’Accademia di San Luca 77, Roma
2007年12月19日─2008年1月25日
・「画家ベルニーニ」（Bernini pittore）
Palazzo Barberini, Roma
2007年10月19日─2008年1月20日

<br>
<strong>註</strong>
★1──展覧会、目録ともに未見ながら記しておく。
展覧会：「ALDO ROSSI. L' archivio personale. Disegni e progetti dalla collezione del MAXXI architettura」2004年7月1日—10月3日、MAXXI, Roma
目録：<em>Aldo Rossi. L' archivio personale. Disegni e progetti della collezione del MAXXi architettura: inventario</em>, a cura di Erilde Terenzoni, ed. MAXXI architettura, Roma, 2004.
★2──『レプッブリカ』紙web版の展評がこの点に触れている。http://www.repubblica.it/2007/10/sezioni/arte/recensioni/bernini-pittore/bernini-pittore/bernini-pittore.html

<td><table  border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" bgcolor="#f3e5e5">
<td><span class="t12 style2"><strong>東辻賢治郎　Kenjiro Totsuji</strong></span> 
<span class="t10 style2">1978年生。建築史研究／制作活動。東京大学大学院博士課程・スイス連邦工科大学ローザンヌ校博士課程在籍。論文＝「建築理論における類型概念について」など。訳稿＝ヘンリー・スミス「村としての東京」（東京大学出版会『シリーズ都市・建築・歴史6』所収）。作品＝《Open Space》（東京大学病院中央診療棟壁面レリーフ）。
</span></td>
</table></td>]]>
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    <title>ポスター＋ステッカー »</title>
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    <published>2008-01-23T09:44:03Z</published>
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    <summary>ポスター＋ステッカー｜秋山伸／schtüco ...</summary>
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        <![CDATA[ポスター＋ステッカー｜秋山伸／<a href="http://www.schtucco.com/" target=blank>schtüco</a>

<tr>
<td><img alt="No1_poster" src="http://site-zero.net/images/No1_poster.jpg"  align="left" width="294" height="200" border="0"></td>
</tr>]]>
        
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    <title>「最大の奥義」としての経済──アガンベンと光栄（グロリア）の謎｜ジョルジョ・アガンベン『王国と栄光──経済および統治の系譜学に向けて』｜フェデリコ・ルイゼッティ</title>
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    <published>2008-01-21T06:44:44Z</published>
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    <summary>本書『王国と栄光』は、アガンベンが『ホモ・サケル』にて着手した野心的計画をさらに...</summary>
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        本書『王国と栄光』は、アガンベンが『ホモ・サケル』にて着手した野心的計画をさらに推し進める続編にあたる。系譜学的な探究によって西洋思想を支えるカテゴリーを脱構築すること。言語の一見した堅固さにあらがって、宗教、経済、政治、哲学、美学の諸概念をまたぐ「不分明の敷居」を見出すこと。かかる企図にふさわしい方法は、「西洋思想」のコーパスに埋もれた言語学─宗教的マトリクスがもつ複数性の再活性化にある。ちょうどあたかも諸観念の歴史が砕けた鏡にとらえがたく映るかのように、西洋が見かけ上保っている文化的な単一性は、ギリシア思想、ユダヤ教、キリスト教といった傾向からなる万華鏡のなかで屈折する。偽りの内在ともいうべき権威から思考を取り戻すことにより、アガンベンは哲学的想像力の空間を再発見するのである。
        <![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="2" align="right">
<tr>
<td><img alt="gloria" src="http://site-zero.net/image/review/gloria_M.jpg"  align="right" width="200" height="265" border="0"></td>
</tr>
<tr>
<td align="right">
<p class="cap">Giorgio Agamben,<br>
<em>Il regno e la gloria.<br>
Per una genealogia teologica<br>
dell'economiae del governo</em>,<br>
Vicenza, Neri Pozza, 2007.</p>
</td>
</tr>
</table>アガンベンによれば、西洋の政治史における最大の出来事はキリスト教の三位一体の教説に「オイコノミア」の概念が内挿されたことにある。「オイコノミア」とは、アリストテレスにしたがえば、家の経営を典型とした非政治的な領域をさしている。この限りにおいて、「オイコノミア」は規範や法のもとから外れており、さらには、さまざまな目的が「無─政府」的かつ実践的に割り当てられていくなかで行使されるのである。三位一体と「オイコノミア」とが接触した結果、グノーシスやユダヤ教では厳密に区別されていたはずの「無為な神deus otiosus」と「活発な神deus actuosus」が一方から他方へと絶え間なく移行するようになる。近代哲学思想の最大の過ちとは──アガンベンはその責をかたやルソー、かたや自由主義に帰すのだが──、政治と経済、主権と統治が互いに重なるキリスト教的な交錯をほどいてしまったところにある。それゆえにこうした対置の脱構築が必要とされるのであり、こうした作業によってこそ政治と経済の神学的な不分明が系譜学的に取り戻されることだろう。

西洋という神学─政治的な建築は実のところ、その基礎を空虚な函のうえに、つまり「人間の無為な中心」のうえにおいている。この空虚な中心は、「栄光（グロリア）」のアトリビュートによって塞がれる。曰く、「空虚とは『栄光』の至高の形象である」。「栄光」は、「結合すべきものを絶えず切り離し、そのたびごとに、切り離されたままであるべきものを再度結合させる」ことによって、主権と経済を再編成する。「栄光」は、移行（トランジト）の場であるかぎり、空虚な函にほかならない。「栄光」を考察することは西洋神学機械を脱構築することに等しいのであり、そしてここにこそ、フーコー的な考古学を、ウェーバー、シュミット、レーヴィットらが提起した世俗化をめぐるドイツの議論に接続するアガンベンの目論見がある。

『涜神』と題された論文集★1では、アガンベンは「世俗化」を「涜神」に対置させている。前者の場合、神学の諸概念が世俗の語彙のなかへと移行してきたのであり、それゆえ、権力は無傷のままである。これに対し後者の場合、聖なるもの──すなわち、神学的な装置によって隔離されたもの──は固有のアウラを失い、使用へ、新たな生きた形式に再び託される。冒涜するとは、聖なるものの範例に割り込むことであり、さらには、この次元を人間の経験へと開きながらも、侵犯しえない実在的な核があるという前提を受け入れることを意味する。世俗化が権力をふたたび発動させるのに対し、涜神は権力の機構を機能不全に追いやる。というのも涜神は、創造的な自己領有を行なうと同時に、現に隔離されているものを中和させるのである。

『王国と栄光』においても、アガンベンは世俗化と涜神のこの区別を手放さず、むしろ世俗化の概念があまねく援用される歴史記述のパラダイムのなかにこそ潜在的な涜神者を捜し出している。涜聖という意味において再読するならば、世俗化という用語は、俗なるものと聖なるもの、資本主義経済と三位一体的「オイコノミア」をショートさせる導線となりうる。世俗化にまつわる語彙は、あらゆる否定的なコノテーションから解き放たれ、ひとつの「署名」になる──すなわち、隠れた解釈コードや非共約的な各々の時代を戦略的に参照しつつ、さまざまな概念を徴づけ、超出し、転位させる「秘められたインデックス」となるのだ。フーコーの考古学的な指向は、目も眩まんばかりの逃走線へと向かい、その結果、教父学、頌栄（dossologie）★2、拍手・喝采による採決（acclamazioni liturgiche）、天使たちの賛歌（innodie angeliche）★3が検討されることとなる。

三位一体的「オイコノミア」に固有のものである行為と統治の形象を、ユダヤ思想──とりわけ神秘─カバラ主義の伝統──が神性のうちに数えていないのだとすれば、このユダヤ思想には、メシア的な任務を負い、神聖な無為に──この無為を世界の歴史性へと従属させることなく──向き合う用意がある。かりにも経済の謎が「栄光」であるのならば、「栄光」の眩い光に隠された「語りえない謎」とは神的な無為である。では、「救済をもたらす無為」はどこにあるのか。この問いに対する答えは経験である。すなわちそれは、無為それ自体の経験であり、アガンベンが、ハンナ・アーレントによって理論化された「観想的生」に結びつける「メシア的時間における生の特質」である。思想の任務とは、主権と経済の通底を中断させることにより、神学的「オイコノミア」に阻害されたある言語の形式を練り上げることである。まさにここにこそ、ユダヤ的伝統のメシア的操作がある。結局のところ、アガンベンにとって政治は、無為の領域へと到達しうるエクリチュールの美学へと転じる。潜在性の概念と文学の実践が引き受ける中心性は（とりわけ論文集『思考の潜勢力』★4に顕著だが）、まさにこのような視点から理解されうるものである。涜神的な操作はことばの神秘‐文学的使用と機を一にする。いかなる真の政治も思想の政治であり、ことばの経験──「カバラ」と詩──としての思考の経験である。

［訳・長友文史］

<br>
<strong>筆者紹介</strong>
このレヴューは、フェデリコ・ルイゼッティ氏（1968─）が本サイトのために書き下ろしたものである。氏は、トリノ大学で博士号（美学、解釈学）を取得後、ノース・キャロライナ大学准教授として比較文学を講じている。その関心は広く、アタナシウス・キルヒャーからべルグソンやドゥルーズ、百科全書派から現代美術館など、バロックから今日にいたる芸術と哲学に関する多数の論稿がある。近年は、とりわけ芸術の「場」をめぐる問題に注目し、ジャンニ・ヴァッティモや、ハンス・ベルティング、ハル・フォスターらが名を連ねた『美術館以後(Dopo il museo)』（2006）の編者を務めた。氏の来日中、イタリア現代思想に対する日米での関心の高まりが話題になったときに、本サイトのコンセプトを伝えたところ、レヴューの執筆を喜んで引き受けてくれた。『ホモ・サケル』から、『涜神』や『思考の潜勢力』を経由して『王国と栄光』へといたるアガンベンの「プロジェクト」を手際よく俯瞰してくれた、ルイゼッティ氏に感謝したい。

［文責・鯖江秀樹］

<br>
<strong>註</strong>
★1──<em>Profanazioni</em>, Nottetempo, Roma, 2005.（『涜神』堤康徳＋上村忠男訳、月曜社、2005）.
★2──神の栄光（グロリア）をたたえる詩句から始まる賛美歌。
★3──アガンベンは例えば偽ディオニシウスの天使学を参照している。
★4──<em>La potenza del pensiero. Saggi e conferenze</em>, Neri Pozza, Vicenza, 2005.

<td><table  border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" bgcolor="#f3e5e5">
<td><span class="t12 style2"><strong>フェデリコ・ルイゼッティ　Federico Luisetti </strong></span> 
<span class="t10 style2">1969年生。哲学。トリノ大学美学・解釈学博士号。ノース・キャロライナ大学准教授。 
主な編著書＝<em>Plus Ultra. Enciclopedismo barocco e modernità</em>, Trauben, Torino, 2001; Dopo il museo, Trauben, Torino, 2006 (a cura di Federico Luisetti e Giorgio Maragliano).

</span></td>
</table></td>]]>
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    <title>死体の重さ、あるいはアネット・メサジェの反ベルクソニスム｜郷原佳以</title>
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    <published>2007-12-28T07:18:20Z</published>
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        <![CDATA[あらゆるものは重力の法則に従っている。誰も1本の鉛筆を、1個のりんごを中空に浮かせておくことはできない。支えを失うやいなや、すべてのものは落ちてゆく。それが脆いものであれば、またたくまに地面にぶつかって毀れ、あるいは潰れ、もはや使いものにならなくなるだろう。もちろん無機物ばかりではない。私たちの身体もまた同様である。窓から突然放り出されたなら、足下の床が突然抜けたなら、私たちもまた重力のなすがままとなって、何かに衝突するまで落ちてゆくしかない。この点で人間は、身ひとつで軽々と宙を舞う鳥や虫に到底かなわない。とはいえ私たちは、重力に対して、全重量を私たちの掌に預けている一個のりんごと同じ在り方をしているわけではないだろう。羽を羽ばたかせて飛んでゆくというわけにはいかないが、少なくとも重力に逆らって立ち上がり、<strong>自力で</strong>身を支えて生きているのだから。そしてそこにこそ、つまり、無機物であれば完全に下方へと引っ張られるがままになるところで重力に抵抗し、自己の身体を自力で上方へと持ち上げようとするそのエネルギーに「生」の現われを見て取るとすれば、毎日朝になると起き上がって1日の活動を始める私たちにとって、それは実感として受け容れやすい「生」のイメージであるかもしれない。「生の哲学」を提唱した哲学者、ベルクソンはまさしく、「腕を上げる動作のようなものを考えてみよう」と呼びかけていた。そして、
]]>
        <![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="2" align="right">
<tr>
<td><img alt="lust_caution" src="http://site-zero.net/image/review/annette_m.jpg"  align="right" width="225" height="268" border="0"></td>
</tr>
<tr>
<td align="right">
<p class="cap">アネット・メサジェ</p>
</td>
</tr>
</table>「次にこう想像してみよう。その腕は放っておかれるとまた落下する、しかしその腕のなかには、腕を活気づけたある意欲のようなものが残存していて、それが腕を持ち上げようとしている、と。このように、自己解体しながら創造する動作というイメージを描くなら、より正確な物質の表象が得られることになる。そのとき私たちは、生命活動を見て、そこに、逆転した運動のなかにいくらか残存している直接的な運動を、<strong>解体するものをつらぬいて出来上がってゆく事象</strong>をとらえることであろう」★1。

ここからわかるのは、しかし、「生」の根源すなわち「エラン・ヴィタル（生の飛躍）」を見つけ出すことが、けっして単純ではないどころかきわめて繊細なイメージ操作を必要とするということである。それによれば、生命活動は、腕を下に引っ張る重力のような物質の運動によってたえず妨害を受けている。しかしその物質の運動は、実のところ、腕が落下する前にその腕を上げようとしていた何かある意欲のような根源的な衝力に対する「逆転した運動」である。したがって、生命活動がたえまない物質への抵抗であるとすれば、それはしかし、物質よりも根源的な生命の力（「直接的な運動」）たる「エラン・ヴィタル」の残存なのである。かくして、個々の生命体はたえず危機に曝されながらもつねに根源的な「生」によって支えられ、物質との「妥協（modus vivendi）」として生きてゆくことになるだろう。

さて、先ごろ東京と京都において、ベルクソンの『創造的進化』刊行100周年を記念し、その「生の哲学」をめぐる大規模なシンポジウム（<a href="http://www2s.biglobe.ne.jp/~sug/20071016-20.htm" target=blank>「生の哲学の今」</a>、2007年10月16─20日）が開かれた。国際的に見てひとつの事件であっただろうと思われるきわめて活気溢れるシンポジウムで、門外漢の筆者も、高水準の発表や引きも切らぬ討論に、すぐれたシンポジウムならではの興奮を覚えずにはいられなかった。上記のような一節に何か騙されたような感触を覚えていた筆者にとって何より刺激的だったのは、「生の哲学」における「死」や「否定」の契機が証されたことであった。たとえば「エラン・ヴィタル」の「ヴィタル」は、もちろん「生命の」という意味だが、フランス語の用法としてより一般的な「生存に必須の」あるいは「死活に関わる」といった意味も、それと無縁ではない、等々。なるほど考えてみれば、「生命に関わる」が「死に関わる」とほとんど同義であるのは明らかだ。「ヴィタル」とは、これがなければ生命が危うくなる、という限界を示すのに用いられる形容詞である。だからいまでは、かつて松浦寿輝が行なったように、ベルクソンの名高い砂糖水の譬喩に対して、「砂糖が溶ける前に『私』が死んでしまえば、もう『私』は『待つ』には及ばない」とドゥルーズに倣って──しかしむしろデリダ的な──「茶々を入れ」つつ、「ベルクソンの作り上げた強力な『実在の形而上学』に欠落しているほとんど唯一のものがあるとすれば、それは『死』なのではないだろうか」★2と問いかける必要はなくなったといえるかもしれない。

にもかかわらず、白状すれば、結局のところやはり欠落しているのではないか、という思いが拭えない。そしてそのことが、この思想を、20世紀後半のある種の思想や芸術から決定的に隔てていはしないだろうか、という思いが。しかしそれは、「死」ではない。「死」への眼差しは確かにそこにある。そうではなく、欠けているのはむしろ、「不死」への眼差しではないだろうか。「不死」、それは、つねにすでに「死んでいる」状態で「生きている」ことである。そこでいつのまにか思い出していたのが、去る7月にパリのポンピドゥー・センターで見た、アネット・メサジェの回顧展<a href="http://www.centrepompidou.fr/Pompidou/Manifs.nsf/0/28502FAD456429F8C125723D00304F6A?OpenDocument" target=blank>「メサジェ［メッセンジャー］たち」</a>だ。

この夏、ポンピドゥー・センターは死体に満ちていた。死体、すなわち生なき物に。しかし、オブジェ（物）とはそもそも「生なき物」であるならば、なぜそれら──メサジェのオブジェ群──は、ただの「物体」ではなく「死体」として現われてきていたのか。それはなぜなら、その物体たちが、あるものはおのれの全重量を一本の細釘に委ねて吊り下がり、あるものは床に身を拡げてその弛緩しきった姿を観者の前に曝け出し、あるいはまた、観者の前で実際に落ちてくるからである。ただし落ちるとはいっても、気がついたら眼下にあったという瞬速でではなく、ワイヤーに吊り下げられたままで、いかにも重量を感じさせる仕方で、だらぁっと垂れ下がってくる。当然ながら、重力に逆らういかなる力もそこには感じられない。それらの物体とは、大量のぬいぐるみ、布、袋、髪の毛のような網、写真、本、鳥や兎などの剥製、あるいはまた、性器や手足などの身体部位を象った巨大な張りぼて──メサジェのライトモチーフは「ピノキオ」だ──である。

ここには死の「切迫性」など皆無である。ここに見出されるのは、一瞬先に待ち構えているかもしれない可能性として私たちの「生」をたえず脅かし続け、そのことによって私たちの「生（ヴィ）」を「死活に関わる＝生気ある（ヴィタル）」ものにする「死」、つまり「生」を脅かすことによって「生」を活性化させる「死」ではない。あるいは端的に、ベルクソン的観点からすれば、そこには「死」などない、たんに「物質」の支配があるだけだ、ということになるかもしれない。確かにメサジェのオブジェはすべて「物質」であるだろう。いかなる生成変化も差異化も見出されぬそれらのオブジェに流れているのは「持続」ならぬ悪しき時間でしかないだろう。

しかし、ここで考えてみたいのは、ある種の物体が「死」を喚起し、「ヴィタル」な死の脅威とはまた別種の情動、すなわち「不気味さ」をもたらすということの意味である。たとえば床の上に無造作に投げ出されて襞を拡げたコートが、時と場合によっては何かきわめて恐ろしいものに見えることがありうる。私たちはそこに「死」を垣間見るような気がするのだ。だが正確には、私たちがコートに重ね見ているのは、生命の去った抜け殻としての死体である。そこにあるのは「切迫性」としての「死」ではない。そうではなく「死んでいる」状態、「死んだ後」の状態、ということは「生きた後」の状態である。これはしかし、考えてみれば奇妙なことではないか。なぜなら元来、無機物には生も死もないのだから。とすれば私たちは、ここから翻って考えるべく促されているのではないか。つまり、ある種の物体が不気味な仕方で「死」を喚起するのは、それが逆に、無機物であるにもかかわらず「生きている」かのようである、つまり私たち自身に似ているからではないだろうか。物体が「不気味なもの」として現われてくるのは、それが道具としての機能を停止させ、それ自体として<strong>生気を帯びてくる</strong>ときではないだろうか。無機物は「死んでいる」ことにおいて生物に似始める。そして幽霊のようになる。

実際、大小さまざまなメサジェのオブジェを目にして私たちが覚えるのは、それらが「死んでいる」ことにおいて「生きている」、という奇妙な感覚である。というのもそれらは、私たちを眼差してくるからである。たとえば、塀の向こう側の壁に鳥の死体が大量に貼り付けられている。私たちは塀に空いた穴を恐る恐る覗く。見てはいけないものを見てしまった、という嫌悪感が湧いてくる。しかし、一度見てしまったものはなかなか視界を去ってはくれないだろう。メサジェのオブジェは見る者に執拗に取り憑いてその足を引っ張り、作者名に引っかけた「メッセンジャーたち」とのタイトルどおり、何かを訴えかけてくる。要するに、<strong>重い</strong>のである。

死体の重さ。メサジェのオブジェ群が感じさせるのはこれである。その重さは私たちの生と無縁ではない。しかし私たちはその重さに抵抗し、あるいはその抵抗自体を生命活動へと取り込んで生きている。対してメサジェのオブジェ群が構成する宇宙は、いわば負のエネルギーに満ちている。それはベルクソンが考えた向日性の「生」とは正反対に、下方へ引きずり下ろそうとする力である。なるほどベルクソンも「死」をたえず視野に入れていただろう。しかしそれが、「生」を活性化させる脅威として、「生」の側から「死」を眺める眼差しであったとすれば、メサジェのオブジェは「死」の側から、「生」を照らし出す。そしてこれが現実なのではないか、と囁くのだ。私たちは大量の死体のうえに、「生きている」のではないか、と。

アネット・メサジェのオブジェ群、来年は日本にやって来る（<a href="http://www.mori.art.museum/contents/annette/index.html" target=blank>森美術館、2008年8月2日─10月26日</a>）。

<br>
<strong>註</strong>
★１──Henri Bergson, <em>L'évolution créatrice</em>, PUF, 1941, «Quadrige», 2006, p. 248. 強調原文。
★2──松浦寿輝「ベルクソニスムと死」（『謎・死・閾』筑摩書房、1997、212─213頁）。

<td><table  border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" bgcolor="#f3e5e5">
<td><span class="t12 style2"><strong>郷原佳以　Kai Gohara</strong></span> 
<span class="t10 style2">1975年生。フランス文学。日本学術振興会特別研究員。
論文＝「美術館病、あるいは展示価値のアウラ」「言語のアポリアから言語の魔術へ——ブランショとシュルレアリスム」など。
</span></td>
</table></td>]]>
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    <title>重なり合う境界――アン・リー監督『色・戒 Lust, Caution』｜御園生涼子</title>
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        街路に突然、一本のロープが現われて通行を遮断する。初め一筋の線のように見えたそれは、警察の圧力とともに押し寄せる人の波を堰き止め、先を急ごうとするヒロインを乗せた人力車の行く手をふさぐ。何か事件があったらしい。1941年の上海では、珍しいことではない。家に早く戻らなければならないのに、と不平をもらす人びと、軽口で不満を紛らわす人びと。住民たちの日常生活の流れを暴力的に止めてしまうこの細いロープは、しかし、上海の市街地に普段から潜在している分断線を可視化したものでしかない。東洋における経済の中心地であり、いくつもの通貨、言語、人種が交じり合い、行き交う上海の交通を一瞬にして凍結する非常線は、この街の特徴とされる異種混淆性が、実際には融合によってではなく、異なる文化・制度間のエスカレートする対立関係の上に成り立っているのだということを暴露する。そしてまた、国家の暴力による介入が、街の境界を浮き立たせ、固定する力を持っているのだということも。突如として権力として顕在化したこの境界に、ヒロインは絡め取られ、身動きが取れなくなってしまう。抗日レジスタンスのスパイとして、複数の境界線を潜り抜けてきたその能力も、もはや通用しない。

        <![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="2" align="right">
<tr>
<td><img alt="lust_caution" src="http://site-zero.net/image/review/lust_caution_m.jpg"  align="right" width="175" height="210" border="0"></td>
</tr>
<tr>
<td align="right">
<p class="cap">アン・リー監督<br>『色・戒 Lust, Caution』</p>
</td>
</tr>
</table>
アン・リーの新作『色・戒 Lust, Caution』のクライマックスに位置するこのシーンは、この映画が断片化された植民地支配下の都市の境界と、その越境と侵犯をめぐる物語であることをはっきりと私たちに告げている。ヨーロッパの列強が割拠する「半植民地」都市・上海の政治状況は、新興の帝国勢力である日本が軍事力によって占拠したことにより、一気に複雑化する。日本政府の傀儡政権の下、テロルによる取締りが相次ぐ殺伐とした都市の断層を、密通＝密告するスパイとなったヒロインは巡り歩き、結びつけることとなる。しかし、彼女の「交通」する能力――レジスタンスの敵である秘密警察の幹部を誘惑し、その情婦になることによって情報を引き出す――は、境界線で隔てられた領域間の交流を滑らかにする類のものではないだろう。むしろ、細分化された都市空間を行き来する彼女の身体は、二項対立的な図式ではとらえることのできない権力関係を媒介し、対立を加速させていく。ヒロインの武器である性的な魅力は、一方では彼女を境界線の向こう側へと運ぶパスポートとなるのだが、また一方では空間的・政治的な対立構造を男女の権力関係に翻訳することによって、その敵対関係を増幅させてもいるのだ。この映画のタイトル（張愛玲の原作小説のタイトルでもある）『色・戒 Lust, Caution』は、性的な欲望と権力による戒律を、対立すると同時に結びつき、結びつくことによって対立を激化させる2つの極として提示していると言えるだろう。この重なり合いつつも、けっして解かれることのない緊張関係を示す2つの極を媒介として、私たち観客は20世紀の東アジアをいくつにも分断していた錯綜した境界線の姿を、透かし絵のように見ることになる。

ここでもうひとつ興味深い点を挙げるとすれば、複数の国家の利害によって分裂していた日中戦争期の上海の政治状況が、メロドラマの二元的な構造にある種の変革を及ぼしているということだ。君主制にもとづいた絶対的な秩序が崩れた世界のなかで、悲劇に代わる新たな物語形式を市民社会の二元論的な倫理に求めたものがメロドラマの原型であるというピーター・ブルックスの定義を受け入れるとすれば、単一の「市民」というカテゴリーが通用しない20世紀前半の上海においては、メロドラマの法則は失調せざるをえないだろう。ここにあるのは、善悪や、ユートピアとしての農村共同体とその対立概念としての近代都市といった二元的な構造ではない。この映画が映し出す、旧ヨーロッパ租界や日本軍の占領区域によって都市空間が分断され、街路にいくつもの言語・人種が行き交う上海では、国民＝民族としての境界はつねに不安にさらされている。ヒロインのモデルとなった実在の女スパイ・鄭蘋如が、日本人と中国人の混血であったことは、象徴的だと言えるだろう（小説および映画においては、上海出身の母を持つ一方、広州で育ち教育を受けたという設定に置きなおされ、中国国内の言葉の差異が幾度も言及される。この設定は、本土─香港─上海という移動のなかで孤児的な状況に置かれるヒロインのアイデンティティや［父親はイギリスに移住し、再婚している］や、民族団結を呼びかける学生演劇運動の挫折といった挿話とともに、ナショナルな共同体という神話に揺さぶりをかける。ナショナリティの分裂という主題は、アメリカに移住した台湾人としてのアン・リー自身の経歴、またこの映画の多国籍的な製作状況においても分析されるべきものだろう）。その出自においても、行動においても複数の国民＝民族のあいだを行き来する国際スパイの紡ぎだすメロドラマは、多元化する20世紀以降の世界においてこの物語形式を捉えなおすための糸口を与えてくれているように思われる。善悪二元論に代わってこの映画を貫いているのは、「色 lust」と「戒 caution」という全く異なる2つの要素であり、境界線を越えようとする欲望と、それを押しとどめようとする制度とのあいだの、めまぐるしく変化する権力関係なのではないだろうか。

映画のなかで、異なる文化・制度領域のあいだの壁＝「戒 caution」は、さまざまな形をとって表われる。ヒロインと、その敵であり愛人である易先生は、密会のために上海の街をあちらこちらへと移動する。その道程には軍部による関門がいくつも敷かれ、彼らは問われる度に身分証明をしなければならない。そして、これらの境界を通り抜けるのも、またその存在を際立たせるのも、「色 lust」の存在なのだ。例えば、密会の場所として指定された日本料亭に向った時、ヒロインはいくつもの襖によって仕切られた日本的空間に足を踏み入れるだろう。突然開いた襖の中から流れ出してくる日本人将校の醜態と芸者の音曲は、暴力的なものとして彼女を怯えさせる。愛人の待つ部屋にたどり着いた彼女は、ここに私を呼び出した理由がわかったわ、と言う。私はここで娼婦のように振舞えばいいのね。それに対して、彼はそうじゃない、と答える。娼婦として振舞っているのは自分のほうだ。盃で酒を飲む彼の周りには、先ほどまで酒宴が開かれていたらしく、空の箱膳がいくつも並べられている。「娼婦」という言葉によって、日本の傀儡政権下で働く自分の立場を表現する易は、政治的な権力関係と性的な権力関係が通底していることをはっきりと自覚していると言えるだろう。この場面において日本風の座敷という空間は、ヒロインと易との非対称的な関係が、さらに外側の政治的な権力関係によって覆われ、決定づけられていることを視覚的に表す舞台装置となっている。

しかし、彼らを政治的な権力空間の奥深くにまで誘い込んだ「色 lust」は、また一方で境界を越える可能性を垣間見せてもいるのではないだろうか。芸者の長唄を聴きながら、彼らは泣くように歌う、と言う易に対し、ヒロインは、私のほうがもっと上手く歌える、と言って立ち上がって歌いだすのだ。正面からフルショットでとらえられたヒロインの歌う姿は、立っている彼女と座っている易という位置関係を伴って、彼らのあいだの非対称的な関係を逆転してみせる。しかし、中国語で歌うヒロインの甘い歌声の持つ効果は、それだけには留まらない。彼女の歌は、日本的空間の内部からの抵抗の徴となって易とのあいだに連帯の絆を生み、2人を情愛によって結びつける。「色 lust」は、この時、権力関係を生み出す欲望から、非対称性を無効にする愛情へと移行していると言えるだろう。もちろん、こうした対等な愛情の可能性は、一瞬だけ浮上したのち、すぐに不安定な政治力学のなかに飲み込まれてしまう。そもそも、外的な政治的非対称性が強調されることによってはじめて、性的な権力関係が解消されるという構図は、非常にアイロニカルなものだ。しかし、ここで重要なのはむしろ、異なる民族や文化、人種などによって多元的に決定された空間が、2人の関係性に絶え間なく働きかけ、さまざまな形に変化させているという点ではないだろうか。その一方で、彼らのあいだを結びつける「色 lust」もまた、入り組んだ植民地支配下の力学を男女の関係性において変奏させながら、境界を守ろうとする「戒 caution」の存在を浮き立たせると同時に、そこにある対立関係を変化させることを迫るのである。

この映画の細分化された空間力学のなかで、唯一つ意味づけが曖昧であり、宙吊りにされた場所として登場するのが、映画館の暗闇だろう。もう少し正確に言うならば、「アメリカ映画を上映する映画館」とするべきかもしれない。学生であったヒロインでも手の届く安価な娯楽として、また政治的に抑圧された環境や、父親へのやり場のない想いを忘れさせてくれる夢の空間として、映画館の暗闇はヒロインの感情を解放するシェルターとなる。上海へと移動してからは、その暗闇はレジスタンスの同志と連絡を取り合うための隠れ蓑となってくれるだろう。そこは上海の街で唯一、易の視線が届かない場所となる。暗闇を恐れる彼は、映画館へはけっして足を踏み入れないのだ。だが、映画館の暗闇の中は必ずしも、つねに解放区であるわけではない。映画フィルムが国家プロパガンダの道具として注目を浴びるとき、映画館は領土化への欲望によって、強烈に意味づけされた空間へと変化する。占領下上海の映画館では、スクリーンに日本のニュース映像が流れ、大東亜共栄圏の宣伝文が読み上げられると、観客は一斉にブーイングを起し、次々に席を立つ。しかし、よく考えてみると、これは奇妙なことなのだが――日本の植民地的欲望をむき出しにした教化フィルムのメッセージと、アメリカ映画が描き出す夢の共同体のメッセージとは、実際のところ、どれだけの差異があるのだろうか？　一方は人種や文化の差異を梃子にした排除と包摂の論理、もう一方は催眠的な魅力によって作り出された同一化の幻想という違いはあるにせよ、そこで言われていることは、結局のところ唯一つなのではないだろうか――つまり、私たちの領土へと参入しなさい、という命令にも似た呼びかけだ。

日本語の教育、軍事的な制圧、大衆的なプロパガンダと、ヒロインの眼を通して描かれる日本政府の植民地政策は、ヨーロッパ列強が19世紀から各地で繰り広げてきた方法論を、きれいになぞるものだ。この公式的な野心が民衆の反発を呼び、抗日運動を激化させたのに対し、アメリカ映画は観客の心の襞に分け入り、その想像力に働きかける。日本の教化フィルムに嫌悪で顔をしかめるヒロインは、アメリカ映画の映し出されたスクリーンに没入して涙を流すだろう。強く人びとを把捉すると同時に、解放的なヴィジョンを与えもするこの不思議な媒体は、1940年代初期のこの段階で、すでに国境を越える影響力を各地に波及させていた。しかし、人びとの生活を根底から変化させてしまうその文化的な拡張主義が、国境やローカルな文化と摩擦を起すことによってより問題化されるのは、もう少し後になってからのことだ。アン・リーがこの映画で描き出したのは、むしろ、伝統的な帝国主義によって分断されているかに見える1941年の上海において、まったく異なる形の勢力地図が、すでに水面下で動き出していたということではないだろうか。それはまさに、スパイとしての任務を抱えたヒロインが、国境を越えるための秘密の暗闇として描かれているのである。

国境を、文化の境目を、民族の分断線を潜り抜けて結びつけるヒロインの流動性は、易先生の暗殺計画が実行に移されることによって、急速に凝固へと向うことになる。暴力によって「戒 caution」を打ち破ろうとするレジスタンスの行動は、彼女と易がその境界線上を揺れ動いていた「色 lust」と「戒 caution」の関係を固定させ、多重決定された上海の街を二項対立的な政治カテゴリーへと分割しようとする。暗殺が計画された宝石店で、ヒロインはそれまで雑踏のなかに潜んでいたレジスタンスの同志――かつての学生演劇の仲間たち――の姿を見出すだろう。街のなかに埋もれていた境界線が、はっきりとした形をとって彼女の周囲を取り囲みはじめるのだ。宝石店の奥まった部屋で、金庫の中から取り出された指輪を目にしたとき、彼女は易と自分を隔てていた境界が取り払われたことを悟るのだが、彼女自身がそのことを証明するためにできることは、易に今すぐ逃げるようにと告げること、つまり自分がスパイであることを告げることでしかない。一瞬だけ消失したかに見えた「戒 caution」は、銃撃を逃れた易が発した戒厳令によって街を分断し、ヒロインを捕捉する。街路に引かれた細いロープは、複雑に入り組んだ植民地支配下の都市の亀裂を露呈させつつ、流れ出そうとする「色 lust」を押しとどめる。

この作品を通じて加速していく「色 lust」と「戒 caution」との攻防戦は、最終的には後者による前者への刑罰という形で幕を閉じるだろう。しかし、注意しておきたいのは、この二極が必ずしも二項対立的なものでもなければ、固定されたものとして描かれているわけでもないということだ。この2つの極は、むしろ男女間の抗争という形を通して、重なり合う文化・国家・民族の境界線上の争いを媒介し、その多面性を映し出すプリズムのような役割を果たしている。20世紀前半における権力の地勢図を折りたたんだかのような上海の街で繰り広げられるメロドラマは、揺れ動き、絶え間なく変化しつづける国境横断的な権力の網を表現するための方法論として、この物語形式を再考する可能性をあざやかに浮かび上がらせている。この映画が描き出す「色 lust」と「戒 caution」のあいだの抗争は、その可変性・複数性によって、もはや二元論的な公式によっては解消しきれない葛藤・対立をいかに可視化するかという問いに対する一つの答えを与えてくれているのだ。しかし、この時スクリーンを前にした私たちに問われているのは、単に2つの極の争いをその激しさにおいて賞賛することではないだろう。むしろ私たちに求められているのは、その抗争を生み出している複数の境界線の存在を、どれだけ繊細に知覚することができるかという力そのものなのである。
<td><table  border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" bgcolor="#f3e5e5">
<td><span class="t12 style2"><strong>御園生涼子　Ryoko Misono</strong></span> 
<span class="t10 style2">1975年生。映画論。東京大学総合文化研究科博士課程を経て、日本学術振興会特別研究員。現在、1930年代松竹メロドラマ映画と近代における文化の流動性をテーマとした博士論文を執筆中。共著＝『映像表現のオルタナティヴ──九六〇年代の逸脱と創造』（西嶋憲生編、森話社、2005）。論文＝「望遠鏡の視野」（『ユリイカ』青土社、2002）、「サスペンスと越境」（『表象文化論研究』、2006）、「幼年期の呼び声」（『映像学』、2006）など。
</span></td>
</table></td>]]>
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    <title>「一神教」と翻訳をめぐって｜柿並良佑</title>
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    <published>2007-11-29T09:17:36Z</published>
    <updated>2007-12-18T06:02:18Z</updated>
    
    <summary>2007年7月7日、エティエンヌ・バリバールは、モーリス・ブランショをめぐるコロ...</summary>
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        2007年7月7日、エティエンヌ・バリバールは、モーリス・ブランショをめぐるコロックで発表するために訪れたスリジー・ラ・サルで、自分の書いた一本の論文が日本語に訳されるという話を耳にした。それは「政治哲学者バリバール」というイメージからするとやや唐突な観のある主題、「一神教」を扱ったものであった……。
        <![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="2" align="right">
<tr>
<td><img alt="deguy" src="http://site-zero.net/image/review/balibar_s.jpg"  align="right" width="175" height="423" border="0"></td>
</tr>
<tr>
<td align="right">
<p class="cap">上：<em>Critique</em>, n° 704-705<br>下：<em>Transeuropéennes</em>, N°22</p>
</td>
</tr>
</table>
「一神教という言葉の起源と用法に関するノート」（以下「一神教ノート」と略記）と題されたバリバールの論文は、その名のとおり、「一神教」（monothéisme）という言葉の歴史をたどる試みである。そのなかで、われわれがいささか無自覚に使用してしまう一神教─多神教という対概念が不十分なものであるばかりか、この対の片方は歴史を下り（少なくともキリスト教圏内においては）近代になって初めて用いられるようになったことが明らかにされていく。ここでの争点は、キリスト教が自らを「一神教」と名乗るまでに乗り越えねばならなかったいくつもの障害を示すことにある。その障害のひとつはニカイア公会議で異端とされたアリウス派と自らを差別化するために、正統派キリスト教の方は容易に「一神教」を自らの呼称として採用できなかったことに起因する。他方では、三位一体を教義として抱え込んだキリスト教は多神教とも区別されねばならず、いわば内部と外部の敵に対して理論武装を行なわねばならなかった。「キリスト教は一神教と多神教から等しく距離を置いていた」（アンリ・コルバン）のである。「一神教」という曖昧な身分が近代においてキリスト教の自己規定として反転していく過程を、バリバールは特にシェリング、シュライアマハー、コントらの著作に見出し、「一神教」概念そのものの「発明」を明らかにしようとする。他の「一神教」であるユダヤ、イスラームとの差異には簡単に触れるにとどめられているものの、近代において「他者」の像を介することにより真正な一神教としてキリスト教が自己規定されていくというオリエンタリズム的な契機も本論文の隠された支柱であろう。

それにしても今なぜ「一神教」なのだろうか。フランスに限ってみても「一神教の発明」「一神教の誕生」といったタイトルを冠する著作は数多い。「不寛容」という紋切り型の観すら呈している批判に晒されてきた一神教内部からの神学者たちによる分析もあれば、一神教の起源を探る歴史家による試みもある。強力な否をつきつけられた一神教に倫理の可能性を見出そうとする試みがある一方、他方ではその可能性に疑義がさしはさまれる。一神教の批判と擁護の中道を行くと称するものから、さらには精神分析家による考察にいたるまで、この主題はすでに宗教や歴史の専門家だけのものではなくなっている。一神教をめぐる関心の高さをうかがい知ることができよう★1。

一神教そのものの起源をめぐる歴史的な研究において「唯一神」概念の誕生が追跡され、制度としての一神教の成立過程がたどられ、あるいはまたその核心にある「書物」の誕生が丹念に調査されるなかで、根本的に問われていなかったのが、そもそも一神教という「言葉」および「概念」はいつ、どこで、どのように成立したのか、という問題である。一見、単純に思われるこの問いが、複雑な事情と歴史を抱え込んだものであることは、今回訳出した「一神教ノート」を読めばすぐにおわかりいただけるであろう★2。

なおバリバール自身が「一神教ノート」の背景を説明してくれたので、以下に要約しておきたい★3。まず、この論文は雑誌『クリティック』による「神」特集号への寄稿依頼を直接の契機としている。一神教をめぐる哲学的な仕事としては、友人であるジャン＝リュック・ナンシーの「キリスト教の脱構築」があるが、ナンシーが身につけた宗教的＝キリスト教的教養とは疎遠だったバリバールは、自ら神学者や歴史家の著作を数多く紐解く必要があった。だがその過程で目にした「一神教」という言葉の曖昧な使われ方は著者を満足させるものではなく、またその歴史ないし「起源」についても決定的な典拠に行きつくことはできなかったために、自らがその「歴史」の再構成作業を行なうことになったのである。

その作業のなかでも特に注目した人物としてバリバールが挙げたのがヤン・アスマンとスタニスラス・ブルトンであった。前者はハイデルベルク大学でエジプト学を講じ、自らの著作（とりわけ後で触れる『エジプト人モーセ』）において、一神教が「真」と「偽」という「モーセ的区別」を導入した、従来の宗教に対する「反―宗教」である、とするテーゼを打ち出して多くの議論を呼び起こした人物。後者は20世紀フランスのキリスト教哲学を代表する「最後の形而上学者」（ピエール・アド）であり、バリバールの師であるアルチュセールの友人にしてバリバール自身も交際があったブルトンの死（政教分離法制定から100年目にあたる2005年）は、キリスト教における「単一性」概念をめぐるブルトンの仕事に強く惹きつけられているバリバールを促す大きな力となったようだ。この二人の仕事を共に視野に入れながら一神教問題に取り組むという大胆な企てが『クリティック』に掲載された論文である。

政治哲学者としてのバリバールと「一神教ノート」の執筆者バリバール。そこにはギャップが感じられるのだが、という訳者のいささかナイーヴな質問に、バリバールは「現在のヨーロッパで宗教に関心を持っていない人なんていないよ。同じ質問をあなたたちに返すことで答えようか。あなたたちは『宗教』についてどんな考えをいだいているかい？」と答え、政教分離、世俗化等々、10ものテーマについてこれからやりたいことが山ほどあると熱心に語ってくれたが、今後書きたいと言っていた著作のなかには宗教についての研究も含まれているようだった。一神教をめぐる論考は、そうしたこれからの仕事を垣間見せてくれるもののようである。以上が簡単ながら「一神教ノート」の背景である。

ところでアスマンをめぐるフランスでの状況だが、すでにバリバール自身がアスマンの研究を紹介する短い論考「ヤン・アスマンの仕事のいくつかの争点」★4を雑誌『トランスウーロペエンヌ』（第22号）に発表している。その冒頭でバリバールは、アスマンの著作『エジプト人モーセ』の仏訳版によってその仕事が専門家の狭い世界から抜け出すきっかけになると述べているのだが、その影響の一端を見ておこう。『トランスウーロペエンヌ』の次号には、フェティ・ベンスラマとジャン＝リュック・ナンシーの対談が掲載されているが★5、この対談は編集長ジスレーヌ・グラッソン・デショームがイニシアティヴをとったものであり、彼女がまず引き合いに出したのがアスマンの『エジプト人モーセ』であった。この対談は一神教どうしの、さらには一神教と他の宗教との「翻訳（不）可能性」をめぐるものだが、当のアスマンがまさに、不寛容な一神教と寛容な多神教という紋切り型を避け、神々の名の「翻訳可能性」を語っているのである。翻ってみればバリバールの論考が載っている『トランスウーロペエンヌ』は「翻訳すること、文化のあいだで」という特集を組んだものであり、また近著『ヨーロッパ、アメリカ、戦争』のなかでも「キリスト教的」ヨーロッパ内部での翻訳の問題に言及がある。「一神教ノート」ではこうした翻訳（不）可能性への関心が前面に押し出されたのだと考えることもできるだろう。

最後になるが、著者から補足的なコメントをいただいている★6（［追記］）。本来なら論文末尾に組み込むべきであったが、到着が締め切りに間に合わなかったので、この場を借りて全訳掲載させていただく。書籍版『SITEZERO／ZEROSITE』No.1の本文とあわせてご覧いただきたい。

<br>
<strong>追記</strong><br>本稿の発表後、寛大にも数人の読者がドイツ哲学の諸著作に見られる「一神教」の用法に関して補足的な言及を寄せてくれた。特にカントは「学部の争い」の準備草稿（1798）で、モーゼス・メンデルスゾーンによる「一神教の擁護」に言及しており、またヘーゲルは『エンチクロペディー』（1830年版）、および『宗教哲学講義』（1827年度）において何度かトマス・コールブルックに言及している。ヘーゲルが参照しているのは、1805年以降の『アジア研究』のなかで、コールブルックがどのようにして「ブラフマン」の「一神教」としてのヒンドゥー教を提示しているかである。こうした参照によって、少なくとも今のところは、私が提示した見取り図を根本的に再検討しなければならないというわけではない。とはいえ、これらの道筋をたどっていくことも必要だろう。それらが、西洋における一神教概念の発明の「オリエンタリズム的な」図式と私が名づけたものに具体的な形を与えてくれることもあると思われるからだ。──エティエンヌ・バリバール

<br>
<strong>訳者による補足</strong><br>上記コメントで言及されているように、ヘーゲルは『エンチクロペディー』（「精神哲学」、§573）や、「ヴィルヘルム・フォン・フンボルトによる、『マハーバーラタ』中の「バガヴァッド・ギーター」の名で知られる挿話について」（1827）のなかでコールブルックの名および「一神教」という語に言及している。そこで問題となっているのは一神教─多神教という対よりはむしろ一神教─汎神論という対である。また『哲学史講義』でインド哲学を論じるくだりでもコールブルックの名が繰り返し見受けられる。
1783年、イギリスのW・ジョーンズ（1746─94）がカルカッタの高等法院判事として赴任し、翌84年にベンガル･アジア協会（Asiatic Society of Bengal）を創設してインド学の礎石を置き、同協会から雑誌『アジア研究』（<em>Asiatic Researches</em>）が発行されインド研究が始まる（同年には東インド会社の書記C・ウィルキンズ（1749─1836）が『バガヴァッド・ギーター』を直接英語に翻訳する）。こうした環境を拠点として、インド古典研究を進めていたのがコールブルック（Henry Thomas Colebrooke, 1765-1837）であった。彼はイギリス・東インド会社の設立者の息子であり、ジョーンズの事業を継承･発展させ、法典、宗教、文法学、数学など多方面に精通し、特にインド言語学･考古学の基礎を築いた。ヘーゲルとコールブルックの関係を追った研究として、さしあたりMichel Hulin, <em>Hegel et l’Orient</em>, Vrin, 1979を挙げておくが、同書には先に触れたヘーゲルのバガヴァッド・ギーター論が訳出されている。近年では、P. GarnironとW. Jaeschkeによる『哲学史講義』（インド哲学が言及される箇所に関しては、G. Marmasseによる部分訳がある。<em>Leçons sur l'histoire de la philosophie</em>, Vrin, 2004）や『宗教哲学講義』の校訂版（邦訳は山崎純氏の手になる『宗教哲学講義』［2001］が創文社から刊行されている）によって、過去の版では埋もれてしまっていたコールブルックへの言及等が明確に分かるようになっている。

<br>
<strong>註</strong><br>★1──訳者の目に留まったものだけでも、以下のような著作が挙げられる。Shmuel Trigano, <em>Le monothéisme est un humanisme</em>, O. Jacob, 2000; <em>Le christianisme est-il un monothéisme ?</em>, Labor et Fides, 2001; Daniel Sibony, <em>Nom de dieu : par-delà les trois monothéismes</em>, Seuil, 2002 ; Jean Soler, <em>L'invention du monothéïsme</em>, de Fallois, 2002 ; André Lemaire, <em>Naissance du monothéisme : Point de vue d'un historien</em>, Bayard, 2003; Katell Berthelot, <em>Le monothéisme peut-il être humaniste ?</em>, Fayard, 2006.　またエーリク・ペータゾンの『政治問題としての一神教』（1935）が仏訳されたことも付け加えておくべきだろう（Erik Peterson, <em>Le monothéisme : un problème politique</em>, Fayard, 2007）。
★2──なおバリバールの論考に先駆けた研究として、ジル・ドリヴァルによる「一神教、宗教と哲学のあいだで」を挙げておく（Gilles Dorival, « Le monothéisme, entre religion et philosophie », in Thierry Fabre (dir.), <em>Dieu, les monothéismes et le désenchantement du monde</em>, Rencontres d'Averroès, Parenthèses, 2005, pp. 15-27）。そこでも一神教という「言葉」の歴史についての考察がみられる。バリバールの論文と比べればその分量は半分に満たないものの、ドリヴァルの論考は「宗教的一神教」と「哲学的一神教」という概念的図式を提示するとともに、専門のギリシア語・ギリシア文学の立場からバリバールの論文とも照らし合わせるべき、いくつかの有益な情報を提供している。なお、ドリヴァルは先に触れたペータゾンの仏訳にも共訳者として名を連ねている。
★3──訳者が渡名喜庸哲氏とともにバリバールを訪ねたのは2007年9月9日である。本レヴュー採録にあたって目を通してくれた渡名喜氏に感謝する。
★4──« Quelques enjeux du travail de Jan Assmann », <em>Transeuropéennes</em>, Paris, N° 22, 2002.　この論考の直後にはアスマンのインタヴューが掲載されており、そこでアスマンは著書『エジプト人モーセ』（原著1999年。フランス語訳は2001年。2003年に文庫化）が与えた「多神教の擁護」という印象が自ら望んだものではなかったとはっきり語っている。またこの著作が引き起こした反論に応じた『モーセ的区別』（2003）も今年2007年に仏訳されている。また、「一神教ノート」と同じく『クリティック』の「神」特集号に掲載されたNicolas Weillの論考（« Le « traumatisme amarnien » ou l'origine de l'antisémitisme et du monothéisme »）は、フロイトの『モーセと一神教』をめぐるイェルシャルミ、デリダらの議論の文脈にアスマンの著作を位置づけている。
★5──Fethi Benslama et Jean-Luc Nancy, « Du nom au neutre – Les traductions du monothéisme », in <em>Transeuropéenns</em>, N°23, 2003. この対談は後に« Traductions des monothéismes »という題で<em>Déclinaisons du monothéisme</em>, Erès, 2006に収められている。
★6──今回の翻訳に関して著者自身と連絡を取る機会を与えてくれたのは、スリジー・ラ・サルでバリバールと会った郷原佳以氏である。記して感謝する。
<td><table  border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" bgcolor="#f3e5e5">
<td><span class="t12 style2"><strong>柿並良佑　Ryosuke Kakinami</strong></span> 
<span class="t10 style2">1980年生。哲学、表象文化論。東京大学大学院総合文化研究科博士課程在籍。現在、パリ第10大学（ナンテール校）に留学中。「存在─神─論」をめぐる研究に従事。論文＝「ボードレールと（反）政治神学」、「神名の存在論」など。翻訳＝ジャック・デリダ×ジャン＝リュック・ナンシー「責任──来るべき意 味について」（共訳）
</span></td>
</table></td>]]>
    </content>
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    <title>ボーイ・スカウトの絶対肯定的世界観｜デヴィッド・リンチ『大きな魚を捕まえる』『エア・イズ・オン・ファイアー』｜柳澤田実</title>
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    <published>2007-11-12T05:49:13Z</published>
    <updated>2008-06-30T10:30:04Z</updated>
    
    <summary>デヴィッド・リンチの最新作『インランド・エンパイア』の公開に合わせ、美しく装丁さ...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://site-zero.net/">
        デヴィッド・リンチの最新作『インランド・エンパイア』の公開に合わせ、美しく装丁された2冊の書籍が出版された。2006年に出版された『大きな魚を捕まえる』★1は、リンチが30年以上に渡って実践している超越瞑想（Transcendental Meditation）に関する書籍であり、『エア・イズ・オン・ファイアー』★2は、2007年の3月から5月にかけてパリのカルティエ財団現代美術館で開催された回顧展の大部なカタログである。リンチは自らの作品を解説することや批評家によって解釈されることを嫌うので、これらの書籍にはこれまでの彼の映像作品に対するいわゆる作者解説は記されてはいない。シネマとは「抽象的な」（abstract）ものであり、音楽のように楽しむべきだという彼の主張は、さまざまなインタヴューにおいても一貫している。
        <![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="2" align="right">
<tr>
<td><img alt="deguy" src="http://site-zero.net/image/review/lynch.jpg"  align="right" width="175" height="359" border="0"></td>
</tr>
<tr>
<td align="right">
<p class="cap">デヴィッド・リンチ<br>『大きな魚を捕まえる』<br>『エア・イズ・オン・ファイアー』</p>
</td>
</tr>
</table>
確かにリンチの作品を解釈することは難しい。それは彼の作品が難解だからではなく、むしろ極めてオーソドックスなエレメントによって構成されていることによる。殺人、家庭内暴力、SM、幼児期の記憶、畸形、狂人、秘密結社、異教的集団、産業革命以降の重化学工業、木材、ハリウッドの黄金時代等々。これらはアメリカの現代文学においても頻繁に繰り返されてきたモティーフであり、しばしば粗悪なシミュラークルとして日本のサブカルチャーにさえ登場している。殺人の動機付けもまた、妻の浮気や同性への嫉妬など、メロドラマの王道的なテーマが多い。リンチの特異性は、こうしたティピカルなインデックスから、凄まじい強度のイメージ連鎖が惹起される点にこそあり、またそれらの一見したところは「暗い」（dark）イメージが基づく絶対的に肯定的な質感にこそある。つまるところこれらの書籍が詳らかにするのは、極めてユニークなテクスチャー（質感）を生みだす、もはやユーフォリック（＝多幸的）とさえ呼びたくなるような、リンチの肯定的な世界観にほかならない。

『大きな魚を捕まえる』では、魚に譬えられるアイディアを、純粋な意識（pure consciousness）の大海から生け捕りにする方法が語られている。リンチにとって、瞑想とは、この生け捕り＝直観（intuition）のために欠くことのできない日常的な実践である。リンチは、ストレスが創造性（creativity）に悪影響を及ぼすことを確信しており、毎日20分の瞑想はこうしたストレスやあらゆる否定性（negativity）を退却させると述べる。新プラトン主義をはじめとし、あらゆる神秘主義的な体験を語る際に登場する共通のターム、「一性」（unity）、「幸福感」（happiness）、「親密さ」（familiar）は、リンチが瞑想の経験を語る表現として本書に幾度も登場する。リンチの考えでは、しばしばその生涯の悲劇性ばかりが強調されるヴィンセント・ヴァン・ゴッホもまた、苦しみ（pain）ではなく幸福（happiness）を、自らが絵画を描く動機としていたのだ（同書、94頁）。

リンチのこうした肯定性への志向は、リンチの生涯を語るうえで欠かせないもうひとつのエピソードを連想させる。『エア・イズ・オン・ファイアー』の最後に掲載された、リンチの極めて簡潔なバイオグラフィカル・インフォメーションにはこうある。「デヴィッド・リンチ、1946年生まれ、ミズーラ州モンタナ生まれ、イーグル・スカウト」。これだけが記された頁の隣には、幼いデヴィッドと現在の彼と瓜二つの父親が材木を持って微笑んでいるモノクロ写真が掲載されている。毎日スーツにテンガロンハットといういでたちで出勤したという、農務省所属の研究者であった父親を通じ、リンチは森や木材に親しんでいた。そのような環境に育ったリンチが、自然のなかでの青少年の育成をモットーとするボーイ・スカウトに入団したことは想像に難くはない。彼が履歴として記した「イーグル・スカウト」とは、米国のボーイ・スカウト組織で、21個以上の勲功バッジを受けた団員のみが入団できる上層組織である。このあたりの事の次第は、インタヴュー集（『デヴィッド・リンチ』第2版、フィルムアート社、2007）に詳しい。このボーイ・スカウトというグローバルな組織は、たとえば『ツイン・ピークス』の地元の秘密結社「ブックハウス・ボーイズ」などに代表されるようなモティーフ上での影響のみならず、リンチの根本的な世界観に絶大な影響を与えているように思われる。

ボーイ・スカウトは、彼が現在基金まで立ち上げてその普及に尽力している超越瞑想と全く同様に、驚異的な肯定性に満ちた、ある意味宗教的とさえ言える結社である。1907年にイギリスの陸軍中将ベーデン・パウエルによって始められ、今や一部の社会主義国を除く世界中に広まっているボーイ・スカウトの目標とは、「ずばり、世界平和だ」（「ボーイ・スカウト日本連名ホームページ」★3より）そうだ。その論理は明快で、要するに「あいての国に友達がいたら、戦争なんかしない」というわけである。「瞑想する時、共感、他者への感謝、他者を助ける能力が高められる」（『大きな魚を捕まえる』169─170頁）という公明正大なリンチの主張が、世界中のボーイ・スカウトが皆唱えられるというスカウトの誓いの2項目「いつもほかの人々をたすけます」と呼応しているのは、単なる偶然ではないだろう。重要なのは両者の影響関係というよりもむしろ、多くの宗教がかった平和思想が共有する感動的なまでの論理の単純さであり、そのシンプリシティをリンチもまた強く支持しているという事実である。

ボーイ・スカウトが地元密着で活動するように、リンチもまた、基本的に自らの「近隣」（neighborhood）にしか関心がない。The Air is on Fireの225頁以降に収録された1980年代の終わりから90年代の初頭にかけて制作された油彩画はすべて、彼が魅惑されて止まない「近隣」の美しくも「地獄のような思い出」（hellish memories）を源泉としていると言われる（同書27頁のインタヴュー）。また、『ブルー・ベルベット』や『ツイン・ピークス』、そして最新作の『インランド・エンパイア』において、「近隣」という限定された空間が物語の発端となっているのは言うまでもないだろう。とかく夢や内面的世界ばかりがその解釈の糸口とされるリンチであるが、彼の内面的世界を構成するのは、彼が愛着する「近隣」という限られた一区画であり、また身近な身の回りの物にほかならない。彼は限定された対象に近づき、観察の限りを尽くす。まさしくこの徹底したクローズアップこそが、彼の対象に対する絶対的肯定の態度である。

「ぼくは必ずしも腐敗する死体を愛しているわけではない。しかし、腐敗する死体には驚くべき質感（texture）がある。きみは、腐った動物を見たことがあるか？　ぼくはこうしたものを見るのが好きだ。丁度木の切り株や小さな虫やコーヒーカップや一切れのパイをクローズアップで見るのが好きなのと同じくらい。近づけば、質感（textures）はよりいっそう素晴らしい」（『大きな魚を捕まえる』121頁、訳は筆者による）。

徹底したクローズアップは、質感＝テクスチャーを捕らえ、その素晴らしさがあらゆる否定性を排除してしまうという極めてシンプルな論理。ポリティカル・コレクトネスを求める多くのインタヴュアーは、平和を主張しながら暴力的な映像を撮り続けるリンチの態度は矛盾しているのではないかと彼に尋ねる。こうした問いに対するリンチの答えは往々にして曖昧であるのだが、上記のような「質感＝テクスチャー」のエチカこそが、リンチの首尾一貫した肯定性を根拠づけているのは間違いがないだろう。

『インランド･エンパイア』ラストで「シナーマン」をBGMに女たちが踊るシーンの圧倒的な多幸感は、世界の質感＝テクスチャーに魅了され、絶対的に世界を肯定するリンチの映像世界が、今後いっそう留保なく展開していくことを予感させる。本作からソニーのDVカムという手軽な道具を手に入れた、スカウト（＝偵察兵）のなかのスカウト、デヴィッド・リンチは、前人未踏のハッピーエンドの領野へと足を踏み入れていくことになるだろう。しばらくはこれらの2冊の書籍と、近々DVDとして再販される『火よ、われと共に歩め』（邦題＝『ツインピークス　ローラ・パーマー最後の7日間』）とともに、次に彼のカメラが捕らえる世界の報告を心待ちにしたいと思う。



<br>
<strong>註</strong><br>★1──David Lynch, <em>Catching the Big Fish; meditation, consciousness, and creativity</em>, Tracher/Penguin, 2006. 未訳。
★2──David Lynch, <em>The Air is on Fire</em>, Foundation Cartier pour l'art contemporain, 2007. 未訳。
★3──<a href="http://www.scout.or.jp/mokuteki.html" target='_blank'>http://www.scout.or.jp/mokuteki.html</a>。設立当初、軍隊をモデルとしていたボーイ・スカウトは、ナチス・ドイツのヒットラー・ユーゲントや旧ソ連邦のピオネールにも影響を与えたが、第二次世界大戦後以降は軍隊的ニュアンスを払拭し、徹底して平和主義的な団体へと変貌したとされる。その矛盾した歴史、今日に至るまでの世界規模の普及力など、ボーイ・スカウトもまたそれ自体かなり面白い考察対象であるのは間違いがない。

<td><table  border="0" cellpadding="0" cellspacing="0" bgcolor="#f3e5e5">
<td><span class="t12 style2"><strong>柳澤田実　Tami Yanagisawa</strong></span> 
<span class="t10 style2">1973年生。東京大学総合文化研究科博士課程修了。現在、南山大学人文学部専任講師。哲学、キリスト教思想専攻。宗教的経験や美的体験など、従来人間の「精神活動」として捉えられてきた事柄を、行為と環境との相関関係において捉えなおすための方法論を探求している。『SITE ZERO/ZERO SITE』No.1「特集＝病の思想／思想の病」では特集企画を務めた。
</span></td>
</table></td>
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    <title>立木康介『精神分析と現実界――フロイト／ラカンの根本問題』（人文書院、2007）｜柵瀬宏平</title>
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    <published>2007-10-29T08:10:45Z</published>
    <updated>2007-11-12T06:15:13Z</updated>
    
    <summary>1950年代、ジャック・ラカンは、構造主義言語学、とりわけシニフィアンの概念を援...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://site-zero.net/">
        1950年代、ジャック・ラカンは、構造主義言語学、とりわけシニフィアンの概念を援用することによって、フロイト読解に画期的な革新をもたらした。その際、彼によって強調されたのは、想像界に対する象徴界の優位であった★1。ところで、50年代から60年代の変わり目にかけてラカンの思索に大きな転機がおとずれる。シニフィアンの網目の残滓としての「もの」（das Ding）に焦点を当てたラカンは★2、象徴界の領野に「同化されえぬもの」として現実界を「不可能なもの」として再定義し★3、この概念を自らの議論の中核に据えたのである。
        <![CDATA[<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="2" align="right">
<tr>
<td><img alt="deguy" src="http://site-zero.net/image/review/lacan.jpg"  align="right" width="175" height="186" border="0"></td>
</tr>
<tr>
<td align="right">
<p class="cap">立木康介『精神分析と現実界』</p>
</td>
</tr>
</table>
『精神分析と現実界』は、60年代のラカンの論考を出発点として、精神分析における根本概念としての現実界の意義を明らかにするものである。とはいえ、このことは、本書が単なるラカン解説書であることを意味しない。というのも、現実界の概念を練り上げるために、ラカンは他の思想家たちの思索を参照したからであり、著者はこの道程を自らたどり直すことによって、精神分析という言説の可能性を逆照射することを企図するからである。

例えば、本書第五章「夢と覚醒のあいだ」において、著者は『精神分析の四基本概念』の中で「現実界との出会い（損ない）」として導入されたアリストテレスの「テュケー」（偶運）をめぐる議論を、「非決定の因果関係」（138頁）として捉え返している。このよ