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2006年10月28日

『男たちの帝国』(星乃治彦、岩波書店)という書籍が出版されたことを知ったので、さっそく入手する。

副題には「ヴィルヘルム2世からナチスへ」とある。1時間ほどで読み終えた。
ひとしなみに「加害者」であるらしい「ヘテロ男性」としてはどうにも評価を書きづらい本だ。
ドイツ帝国からナチス時代にかけての、とくに男性の「同性愛者」をめぐるドイツの差別や抑圧の状況については、情報がコンパクトに整理されている。
これを著者は「クィア・ヒストリー」と呼ぶ。
ハインリヒ・シュルツの『年齢階梯制と男性結社』やオットー・ヴァイニンガーも取り上げられているが、ミソジニー(女性嫌悪)の同盟としての「男性同盟論」の系譜という扱いのなかで、あらかじめイデオロギー的な価値判断が先行していることもあり、あらたな視点は見出せなかった。
第二次世界大戦後の論述については、とくにドイツに焦点を絞ったものともいえず、散漫な印象を受ける。
とりあえず、自分自身との関心とは無縁の書物と見極めた。

ヴィルヘルム2世をめぐる同性愛については、ニコラウス・ゾンバルトのカール・シュミット論が取り上げていた。
通俗精神分析に寄りかかった分析には図式性が否めないものの、シュミットの法学思想に思いもかけない光を当てるものだった。
「男たちの・・・」というタイトルとの関係では、テーヴェライトの『男たちの妄想』が、圧倒的な力業で、白色テロルの実行者である兵士的男性たちの「妄想」を大胆に解剖している。
ちなみに、雑誌に書いた拙論のタイトル「男たちの秘密」は、テーヴェライトの原題 Männerphantasien を下敷きにしており、そんな意味も込めて、欧文タイトルには一時、Männergeheimnisse も考えていた。

2006年10月27日

ある新聞社から「SITE ZERO」について電話取材を受ける。
それをきっかけに、雑誌を印刷媒体として残すことの意味を再考してみる。

その一端は「テーゼ」にも書いた。
流行の言説として広範に、しかし、一時的に受容されるよりは、ごく少数であってもコアな読者が、それぞれの関心に沿って「是が非でも読まなければならない」と思うような要素のある媒体であってほしいと願う。
そのためには、拙速な同時代性よりは、長期的な持続性こそが素材に要求されるだろう。
長期間にわたる参照可能性を保証するためには、信頼できるアーカイヴが存在しなければならない。
そんなアーカイヴとして、書籍には図書館や古書店がある。
ネット上の情報にはまだ、そんなアーカイヴは存在していないのではないだろうか。
何かを書くのは同時代の見知らぬ読者へ向けてばかりではない。
その時間差を可能にする技術として、印刷媒体は雑誌にとって、いまだ不可欠に思われるのだ。

2006年10月18日

ビル・ヴィオラ展「はつゆめ」(森美術館)を観る(内覧会ではない)。これまで企画展などで作品数点を脈略なく観たことがあるだけだったので、90年代以降の作品をまとめてみられる今回の機会は貴重であった。

今回展示された作品のほとんどは高速度撮影された映像をスローモーションで映し出す手法を用いている。ヴィオラは1998年に客員研究員としてゲッティ研究所に滞在しており、その際に培ったルネサンス美術への理解をもとに制作された〈パッション〉シリーズを中心に構成されたセクションがとりわけ充実している。計算し尽くされたライティングと人物配置によってスローな動きの中に大きく分けて三つほどに分節される絵画的な空間表現を生み出す《グリーティング/あいさつ》(1995)、二対のディスプレイに映し出される男女の苦悩の身振りが緩やかにシンクロする《静かな山》(2001) など、高解像度のヴィデオ・イメージが描写する細部は、確かに西洋の美術を貫く「情念定型」の系譜を引き継いでいるように感じられる。

他方で高速度撮影を用いた作風は、仮に「幽霊的時間」とでも名づけておきたいもう一つの効果を生み出しており、そのことは冒頭に置かれた《クロッシング》(1996) にもっとも顕著に感じ取ることができる。暗い会場中央に屹立するモノリスはその両面がディスプレイになっていて、それぞれ火に包まれる男と水を浴びせられる男がシンクロするスローモーションのうちに映し出される。構造上その両者を同時に観ることは許されておらず、したがって、観者は火に包まれる男のイメージを眼前に観ながら、それと同期しているはずの水に飲み込まれる男のイメージを、あるいはその逆を、想像のうちで観ることになるのだ。そのようにして「幽霊的」にイメージを二つに分岐させる効果は、しかしながら、二人の男(同一人物だが)がそれぞれ火と水に包まれる前、彼らがカメラに向かって歩み寄ってくる段階においてすでに別の次元で作動しはじめている。ガンマンの決闘さながらに背中合わせに進められる彼らの歩みは確かに遅い。けれども、その遅さがスローモーションの効果であり、実際にはそれなりのスピードで歩いているに違いないことは即座に感じ取られるだろう。厳密に言ってどれほどの速さで歩いているのか、正確に知ることはできない。したがって、観者の経験のうちには、想像のうちで男が「実際の速さで」歩み寄ってくる幽霊的なイメージの時間が不確定なまま流れ出すことになるのである。

本展覧会に関連するイベントのうちには「ヴィデオ・アートの創世記」(10月15日)と題された初期ヴィデオ・アートを巡るシンポジウムがあった。そこで回顧された啓明期のヴィデオ・アートと比べて、今回展示されたヴィオラの近年の作品はいかにもスタイリッシュな洗練をもって提示されている。そのことを商業主義化と嘆くこともできるだろう。しかし、このアーティストが次々に制作する作品で新たな経験を作り出しつづけていることは確かであるように思われる。

2006年10月14日

10月12日に編集会議、ラインナップをほぼ確定する。精神疾患の臨床と言説の関係が、どのくらい反省されてとらえられるか、反応が期待される。病院建築の取材は個人的にもとくに関心のあるところ。メールによるジョアン・コプチェク氏へのインタビュー、(残念ながらなくなりました。2006.10.18追記)バリバールの翻訳なども企画中。レオ・シュピッツァー(スピッツァー)の論文を取り上げることも決定。研究史における古典の翻訳は少しずつでも続けてゆく価値があるだろう。T.J.クラークの新著書評もふさわしい人物に依頼する予定。投稿論文は随時募集中である。

連載については、資料の山が築かれてゆくばかりで、途方もないものに深入りしてゆく予感がしている。ヘフラーだけにかぎっても、古代・中世のゲルマン神話や文学、民俗、法制を知らなければならないわけで、ルーン文字の解釈まで含むのだから、底が知れない。もとより、すべてを極めつくすのは不可能であるし、そもそもの目的はあくまでいわば「20世紀の神話」の分析にある。しかし、それにしても、単純にイデオロギー的偏向をあげつらうような結論にいたらないためには、ヘフラーの研究対象の意義を再評価できる地平を拓かなければならない。
深みにはまるのはヴァールブルクで経験済みのことでもある。何しろヨーロッパ数千年のイメージ記憶がそこでも問題だったのだから。「ムネモシュネ」の解読を遅々たる歩みで進めながら、そこに集められた図像群が、ヘフラーやデュメジルと交錯するグルーピングを可能にすることに気づく。その一端はダミッシュが『パリスの審判』で論じていた。各領域が交差するこの「あわい」を凝視しなければならない。
今回はあまりに自分の関心に引きつけすぎるような気がして提案を控えたものとして、ピエール・クラストルの「未開戦士の不幸」の翻訳がある。『暴力の考古学』(現代企画室)に紹介解説はあるが、大した長さではないのでむしろ翻訳されるべきだろう。デュメジルの『戦士の幸運と不幸』と対にすることで、クラストルが問題にした対象の輪郭はより明確になるように思われる。どなたか、すでに翻訳したとか、計画をお持ちの方はいないだろうか。
ヘフラーの読み直しには、『ホモ・サケル』におけるアガンベンの考察を、その前提に遡って考え直してみたいという動機もある。ところでこのところ、アガンベン氏を日本に長期招聘しようという動きが起こりそうな気配。世間の大方の関心とは違う部分においてながら、自分にとっても目が離せない思想家なので、是非実現を期待したい。実際に会って話した方によると、カッチャーリの名前を出すと不機嫌になるとか。さもありなん。イタリアらしい、ミクロな政治も感じさせる(カッチャーリ氏の日本での講演などにも、アガンベンやネグリへの批判があった)。アガンベンが世界的な知的スターになる一方で、カッチャーリはイタリアのローカルな、しかし政界まで含めたスターというところか。もちろん、政治的な立場の違いも大きいだろう。ともあれ、流行のアガンベンとは異なり、カッチャーリはまず絶対日本では広く読まれない哲学者に違いない。

2006年10月14日

森美術館の内覧会に足を運ぶ。アジア初の大規模な個展とのこと。来る度に迷う(学習できない)六本木ヒルズ内の迂路に興趣をそがれつつ会場へ向かう。水あるいは炎に包まれて人物が消失する《クロッシング》や、水中撮影を利用して天使めいたイメージを現出させた《ミレニアムの5天使》など、1990年代以降を中心とした作品が展示されている。

《天使》が代表的だが、ものすごい勢いで噴射された水流に見舞われる人間集団の身振りを高速度撮影によるスローモーションで映し出す《ラフト/漂流》など、「水」という物質の反射性、透明性、可塑性、破壊性をめぐる執拗な探究の軌跡が印象的だ。これは作家の個人的なテーマである以上に、ビデオ映像のインターフェイスが水、水面に近いものであるからかもしれない。
激しい苦悩の感情表現を演じる男女を左右のディスプレイに、これもスローモーションで描く《静かな山》、3人の男女の、ほとんど知覚できない緩慢さで変化する喜び、悲しみ、怒り、恐れの表情を映す《アニマ》など、2000年代に入ってからの〈パッション〉シリーズは、ヴァールブルクの「情念定型」を連想させずにはおかない。ヴィオラ自身、1990年代に美術作品、とくにイタリア/ルネサンスの美術作品(とりわけ宗教絵画)を参照対象とするようになっている。
タブローを見るように見つめていた肖像が、徐々に動いて表情や身振りを変化させてゆく様は、凝固したイメージの「解凍」過程を思わせる。かつてナム・ジュン・パイクは、ビデオとは時間の「圧縮」であり、だから「詩」(ドイツ語で詩はDichtung、つまり「濃縮する dichten」ことである)なのだと言ったが、ヴィオラはここでその逆を行っている。しかし、それによってこれらの作品は、さまざまな絵画や彫刻に似たイメージを随所に出現させるなど、無数の情念定型としての身振りを発見させる結果になっているのだ。情念定型論をはじめとするヴァールブルクのイメージ論に近い感覚は、そこにごく一般的な映画的イメージの運動を見る解釈(アガンベンなど)よりも、ヴィオラのこうした作品にこそあるように思われた。なお、パイクもヴィオラも音楽の制作から出発していることは非常に重要だろう。
ジャン=リュック・ナンシーも論じていたポントルモの《訪問》に基づく《グリーティング/あいさつ》や、シエナ派のアンドレア・ディ・バルトロ作《シエナの聖カタリナの祈り》から着想を得た《キャサリンの部屋》などもまた同様に、ビデオというメディアを用い、イメージによって提示された美術作品の解釈として、中世・ルネサンス絵画のあらたな見方をもたらしうるものかもしれない。いずれにせよそれらは、もはや特定の宗教とは関わりのない、現代の「宗教画」たらんとしていると言ってよかろう。
展覧会のタイトルにされている「はつゆめ」は常時上映ではなく特別上映のみ。14日の中沢新一氏との対談に合わせて上映されるが、すでに満員らしい。

2006年10月13日

『SITE ZERO/ZERO SITE』の拙論を読んでいただいたある編集者の方からのメールに、ジョルジュ・デュメジルをめぐって、「この国では、不思議なことに、大事な思想家であればあるほど、ローカルな場所でしか読まれません」という指摘があった。まったくその通りだろう。それはそれとして、1940年に刊行されたデュメジルの重要な著書『ミトラ=ヴァルナ』(中村忠男訳、ちくま学芸文庫)の第二版(1947年)序文は、簡潔ながら奥行きのある学問論としても読める。

全体の計画と最終的な成果の定まっていない仕事を断片的に出版するというみずからの方針を擁護して、デュメジルは、「われわれはいまや大きな計画にあまりふさわしくない時代に生きている」と言う。崩壊する都市や図書館、強制収容所の人波のなかや焼却炉の灰のなかに散り散りになる学者たち——「あるいはあの日本人たちのように危険な微粒子へと消滅する」。だから、どんな些細なことも、手遅れにならないように、「人類の知という共有の財布」にしまい込まなければならない。
社会学的な研究にありがちな、前提となる規則や先験的な定義を増やした挙げ句の華々しい計画がもたらす、わかりやすくて自尊心をくすぐるが、実りのない空論への批判も、おおいに心当たりのあるところだ。「方法とは人が駆け抜けてきた後にできる道である」(マルセル・グラネ)。新たに誕生しようとする学問が帰着する「良識」、それはすなわち、1.与えられた素材はすべて使い、恣意的な切り取りを施さないこと、2.資料が示すことを、それがかいま見せる幻想も含め、じっくり見据えること、3.伝統的な判断を信用しないと同時に、何よりも奇抜な意見や流行の新説を信用しないこと、4.時期尚早な専門用語に囚われるのを避けること、5.大胆さと慎重さの両方を用いながら、手続きの正当性と全体の調和を検証してゆくこと——この「五原則」である。
失敗や試行錯誤は避けがたい。けれど、朧気に見えた新しいタイプの問題に「体ごとぶつかろう」とせず、最初からあれこれの文献学をマスターしようとしていたならば、それなりの専門家に落ち着いてしまうのが関の山だっただろう、とデュメジルは回想する。「しかし、冒険はあえて冒すに値すると思われた。」そのためにこそ、各専門領域が合流するかもしれない「あわい」にまなざしを据え続けることが必要だった。——「冒険者」としてのデュメジルがみずからを「ルペルクス」に譬えるのはもっともなことだ(その批判者だった「若く輝かしいフラメン」とは、のちの友人バンヴェニストである)。彼もまた、狼たちの眷属にほかならない。
そして、冒険者の良識は、時に明晰すぎるがゆえに錯乱した狂気に見えかねない(例えばフーコー)。
1947年の時点ですでに数多くの亡霊に満ち溢れてしまっていた、1938/39年という、デュメジルにとって劃期的な年——その後の十年にも満たない歳月のなか、戦場で、あるいは、強制収容所で失われていった聴講生たちの記憶。
この序文はこう結ばれている。
「そして、そのほかのさまざまな苦難に狙われていた若者たちの顔、顔・・・・・・。」