ビル・ヴィオラ展「はつゆめ」オープニング|田中純 2006年10月14日
森美術館の内覧会に足を運ぶ。アジア初の大規模な個展とのこと。来る度に迷う(学習できない)六本木ヒルズ内の迂路に興趣をそがれつつ会場へ向かう。水あるいは炎に包まれて人物が消失する《クロッシング》や、水中撮影を利用して天使めいたイメージを現出させた《ミレニアムの5天使》など、1990年代以降を中心とした作品が展示されている。
《天使》が代表的だが、ものすごい勢いで噴射された水流に見舞われる人間集団の身振りを高速度撮影によるスローモーションで映し出す《ラフト/漂流》など、「水」という物質の反射性、透明性、可塑性、破壊性をめぐる執拗な探究の軌跡が印象的だ。これは作家の個人的なテーマである以上に、ビデオ映像のインターフェイスが水、水面に近いものであるからかもしれない。
激しい苦悩の感情表現を演じる男女を左右のディスプレイに、これもスローモーションで描く《静かな山》、3人の男女の、ほとんど知覚できない緩慢さで変化する喜び、悲しみ、怒り、恐れの表情を映す《アニマ》など、2000年代に入ってからの〈パッション〉シリーズは、ヴァールブルクの「情念定型」を連想させずにはおかない。ヴィオラ自身、1990年代に美術作品、とくにイタリア/ルネサンスの美術作品(とりわけ宗教絵画)を参照対象とするようになっている。
タブローを見るように見つめていた肖像が、徐々に動いて表情や身振りを変化させてゆく様は、凝固したイメージの「解凍」過程を思わせる。かつてナム・ジュン・パイクは、ビデオとは時間の「圧縮」であり、だから「詩」(ドイツ語で詩はDichtung、つまり「濃縮する dichten」ことである)なのだと言ったが、ヴィオラはここでその逆を行っている。しかし、それによってこれらの作品は、さまざまな絵画や彫刻に似たイメージを随所に出現させるなど、無数の情念定型としての身振りを発見させる結果になっているのだ。情念定型論をはじめとするヴァールブルクのイメージ論に近い感覚は、そこにごく一般的な映画的イメージの運動を見る解釈(アガンベンなど)よりも、ヴィオラのこうした作品にこそあるように思われた。なお、パイクもヴィオラも音楽の制作から出発していることは非常に重要だろう。
ジャン=リュック・ナンシーも論じていたポントルモの《訪問》に基づく《グリーティング/あいさつ》や、シエナ派のアンドレア・ディ・バルトロ作《シエナの聖カタリナの祈り》から着想を得た《キャサリンの部屋》などもまた同様に、ビデオというメディアを用い、イメージによって提示された美術作品の解釈として、中世・ルネサンス絵画のあらたな見方をもたらしうるものかもしれない。いずれにせよそれらは、もはや特定の宗教とは関わりのない、現代の「宗教画」たらんとしていると言ってよかろう。
展覧会のタイトルにされている「はつゆめ」は常時上映ではなく特別上映のみ。14日の中沢新一氏との対談に合わせて上映されるが、すでに満員らしい。