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2006年10月18日

ビル・ヴィオラ展「はつゆめ」(森美術館)を観る(内覧会ではない)。これまで企画展などで作品数点を脈略なく観たことがあるだけだったので、90年代以降の作品をまとめてみられる今回の機会は貴重であった。

今回展示された作品のほとんどは高速度撮影された映像をスローモーションで映し出す手法を用いている。ヴィオラは1998年に客員研究員としてゲッティ研究所に滞在しており、その際に培ったルネサンス美術への理解をもとに制作された〈パッション〉シリーズを中心に構成されたセクションがとりわけ充実している。計算し尽くされたライティングと人物配置によってスローな動きの中に大きく分けて三つほどに分節される絵画的な空間表現を生み出す《グリーティング/あいさつ》(1995)、二対のディスプレイに映し出される男女の苦悩の身振りが緩やかにシンクロする《静かな山》(2001) など、高解像度のヴィデオ・イメージが描写する細部は、確かに西洋の美術を貫く「情念定型」の系譜を引き継いでいるように感じられる。

他方で高速度撮影を用いた作風は、仮に「幽霊的時間」とでも名づけておきたいもう一つの効果を生み出しており、そのことは冒頭に置かれた《クロッシング》(1996) にもっとも顕著に感じ取ることができる。暗い会場中央に屹立するモノリスはその両面がディスプレイになっていて、それぞれ火に包まれる男と水を浴びせられる男がシンクロするスローモーションのうちに映し出される。構造上その両者を同時に観ることは許されておらず、したがって、観者は火に包まれる男のイメージを眼前に観ながら、それと同期しているはずの水に飲み込まれる男のイメージを、あるいはその逆を、想像のうちで観ることになるのだ。そのようにして「幽霊的」にイメージを二つに分岐させる効果は、しかしながら、二人の男(同一人物だが)がそれぞれ火と水に包まれる前、彼らがカメラに向かって歩み寄ってくる段階においてすでに別の次元で作動しはじめている。ガンマンの決闘さながらに背中合わせに進められる彼らの歩みは確かに遅い。けれども、その遅さがスローモーションの効果であり、実際にはそれなりのスピードで歩いているに違いないことは即座に感じ取られるだろう。厳密に言ってどれほどの速さで歩いているのか、正確に知ることはできない。したがって、観者の経験のうちには、想像のうちで男が「実際の速さで」歩み寄ってくる幽霊的なイメージの時間が不確定なまま流れ出すことになるのである。

本展覧会に関連するイベントのうちには「ヴィデオ・アートの創世記」(10月15日)と題された初期ヴィデオ・アートを巡るシンポジウムがあった。そこで回顧された啓明期のヴィデオ・アートと比べて、今回展示されたヴィオラの近年の作品はいかにもスタイリッシュな洗練をもって提示されている。そのことを商業主義化と嘆くこともできるだろう。しかし、このアーティストが次々に制作する作品で新たな経験を作り出しつづけていることは確かであるように思われる。