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2007年02月17日

『新潮』3月号所収。
「師とは脆いものである。」
由良君美の存在の大きさとその悲劇性に触れる。

四方田氏や高山宏氏との師弟関係について、はじめて詳しく知ることができた。
また、社会学者遠藤知巳氏も由良ゼミ出身という経緯に、何やら知のかたちの継承を見て納得する。
60〜70年代の「脱領域的」な知の運動の背後にいた編集者にして「工作者」、久保覚の存在も大きな発見である。

父である哲学者由良哲次との関係をはじめ、君美にいたる知的な系譜も実に興味深い。
後年になって日本美術や南朝研究に没頭した父とのつながりからは、この作品に名を伏せられたまま登場する人物の父子関係を連想した。

しかし、何と言っても、由良との関係を鏡とし、ジョージ・スタイナーや山折哲雄の師弟論を手がかりに考察される、師と弟子との関係性こそが、この著者にしか書きえない部分だろう。それはあまりに陰翳に富んでいる。
由良をアルコールへの依存にまで陥らせた焦燥の由来と、著者自身が体現している世代の差の振幅のようなものの両者が、グローバル化のもとでの人文知のあり方について考えることを否応なく迫る。

そして、由良との関係をめぐる内省を経たのちに綴られた次のような一節に、自分もまた抱え続けている問題との交錯を見た。
「私見するに、由良君美という存在の再検討は、かつては自明とされていた古典的教養が凋落の一途を辿り、もはやアナクロニズムと同義語と化してしまった現在、もう一度人文的教養の再統合を考えるためのモデルを創出しなければならない者にとって、小さからぬ意味をもっているのではないだろうか。」

(言うまでもなく、以上はこの作品が事実に基づくことを前提としている。それがフィクションを含むかもしれないという点については、判断の材料がない以上、ここでは考慮しない。)[2007.2.18追記]