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vol.0 エステティクスの臨界 CRITICAL AESTHETICS

観念装置としての気球|石橋正孝 2006年07月26日

1783年に発明された気球は、1903年に飛行機が登場するまでの間、19世紀を通じて、人類が飛行するための唯一の手段だった。しかし、操縦することができないという致命的な欠陥を抱えているために、気球は見る者の立場によって、夢と現実の間を激しく動揺することになった。飛行機の出現に伴って、気球が冷淡に見限られてしまったのも、それが何よりもまずイデオロギー的な争闘の道具として機能していたからではないか。例えば、一切の合理化から幻想を純化しようとするガストン・バシュラールにとって、気球は合理化の一手段であるばかりか、この目的のために動員されるイメージにあって最も喚起力に乏しいもののひとつにほかならず、それというのも、「20世紀初頭において飛行機が果たしていたのと同じ、説明の役割」をかつて果たしていたというだけの、時代遅れな代物にすぎないからだ。それは、夢想が現実化した時の失望を象徴し、現実に対する夢想の優位を証明する存在なのである。ところが、マージョリー・ホープ・ニコルソンに言わせれば、まさにその強力な「説明の役割」ゆえに、気球は排斥されなければならない。事実、彼女の主張するように、現実の技術的達成が過度の縛りとならない限りにおいてのみ科学的想像力は文学においてなんらかの役割を果たしうるのだとすれば、気球によって史上初めて人類が大地を離脱した事実の衝撃は看過しえないということになるだろう。以後、真実らしさに配慮しなければならなくなった作家たちは、以前のような奔放な空想を許されなくなる。しかし、モンゴルフィエ以後の科学的想像力の中で気球がささやかな位置づけに甘んじざるをえないのもまた事実である。かくて、『小説家と機械』のジャック・ノワレは、『気球に乗って五週間』のヴィクトリア号に『海底二万海里』のノーチラス号や『征服者ロビュール』のアルバトロス号に匹敵するステータスを認めようとはしない。「自らの運動の起源を自身のうちに持たない以上、それは機械ですらない」ということになる。

バシュラール、ニコルソン、ノワレがそれぞれ、詩的想像力、モンゴルフィエ=気球以前の科学的想像力、モンゴルフィエ以後の科学的想像力の名の下に気球を断罪したのだとすれば、おおまかにいって、これら3つのタイプの想像力のいずれかに対立させるべく、19世紀の何人かの作家たちは気球を自作に導入しているように思われる。例えば、亡命中の共和主義者ヴィクトール・ユゴーが人類を解放する機械の卵に気球を見立てた時、彼は、現実との完全な分離を意味するバシュラール的な夢想を拒否したのだといえる。これに対して、ポオによって1849年に発表された短篇『メロンタ・タウタ』において、操縦不能な気球は、一個の無責任な存在として、モンゴルフィエ以後の科学的想像力の産物ともいうべき機械に体現される地上的合理主義を虚仮にする。とはいえ、気球が現実的な技術の産物であり、その点でモンゴルフィエ以前の科学的空想とははっきり性質を異にしているのも確かであり、『コンドル』のアーダルベルト・シュティフターと『ハンス・プファールの無類の冒険』のポオは、それぞれ異なる方法によってではあるが、両者共に科学的厳密さを気球の形象を通じて追求するだろう。ポオがニコルソンに擁護されたモンゴルフィエ以前の科学的想像力に公然と論争を仕掛けるのに対し、シュティフターのエクリチュールはその厳密さによって科学的実験そのものに成り代わろうとするのである。

ジュール・ヴェルヌの事実上の第1作『気球に乗って五週間』は、科学小説に分類されることが多い。そうした見方はそれとして間違ってはいないものの、一連の気球文学のなかに置かれる時、ヴェルヌ自身は、彼のヴィクトリア号をモンゴルフィエ以前の科学的想像力に対立させたりはしていない——というか、気球において問題とされてきた3種類の想像力のいずれにも対立させていないのである。ヴェルヌはアフリカの地理学的描写を小説形式で行なうべく、それまでの無数の探検家の業績を要約しつつ、その間の空白をフィクションで繋ぎ、アフリカに関して西欧の持つ知見の一望を目指した。この目的に奉仕する小説的装置として採用された気球は、それが初めて可能にした上空からの視線だけが必要とされたのではない。主人公サミュエル・ファーガソンは、気球を完全に操縦可能にすることは原理的に不可能と断言している。旅行者が見るもの、見るべきではないものを決めるのは気球なのだ。気球は「すべて」を見せるがゆえに「すべて」を見ることの不可能性を知らしめる装置なのである。「アフリカを横切ることだけが問題なんじゃない、見なければならないんだよ」というこの「見ること」と「横切る」ことの対立関係において知はエンターテインメントとなったのである。


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